どこかの国のお話でした。王子と大臣の子が、森の奥深く、十力の金剛石を探しに行ったのです。ところで、「十力の金剛石」とは何なのでしょう・・・。賢治童話『十力の金剛石』より・・・。
野ばらがあまり気が立ち過ぎてカチカチしながら叫びました。
「十力の大宝珠はある時黒い厩肥のしめりの中に埋もれます。それから木や草のからだの中で月光いろにふるひ、青白いかすかな脈をうちます。それから人の子供のりんごの頬をかがやかします。」
そしてみんなが一緒に叫びました。
「十力の金剛石は今日も来ない。
その十力の金剛石はまだ降らない。
おお、あめつちを充てる十力のめぐみ
われに下れ。」
にわかにはちすずめがキイーンとせなかの鋼鉄の骨も弾けたかと思うばかりするどいさけびをあげました。びっくりしてそちらを見ますと空が生き返ったやうに新しくかがやきはちすずめはまっすぐに二人の帽子に下りて来ました。はちすずめのあとを追って二つぶの宝石がスッと光って二人の青い帽子に下ちそれから花の間に落ちました。
「来た来た。ああ、たうとう来た。十力の金剛石がたうとう下った。」と花はまるでとびたつばかりかがやいて叫びました。
そしていつか十力の金剛石は丘いっぱいに下って居りました。そのすべての花も葉も茎も今はみなめざめるばかり立派に変わっていました。青いそらからかすかなかすかな楽のひびき、光の波、かんばしく清いかをり、すきとほった風のほめことば丘いちめんにふりそそぎました。
その十力の金剛石こそは露でした。
ああ、そしてそして十力の金剛石は露ばかりではありませんでした。碧いそら、かがやく太陽、丘をかけて行く風、花のそのかんばしいはなびらやしべ、草のしなやかなからだ、すべてこれをのせになう丘や野原、王子たちのびろうどの上着や涙にかがやく瞳、すべてすべて十力の金剛石でした。あの十力の大宝珠でした。
とうとう、十力の金剛石に出会った二人です・・・。
けれどもこの蒼鷹のやうに若い二人がつつましく草の上にひざまづき指を膝に組んでいたことはなぜでしょうか。
終わりのシーンです。
さてこの光の底のしずかな林の向こうから二人をたづねるけらいたちの声が聞こえて参りました。
「王子様王子様。こちらにおいででございますか。こちらにおいででございますか。王子様。」
二人は立ちあがりました。
「おーい。ここだよ。」と王子は叫ぼうとしましたがその声はかすれていました。二人はかがやく黒い瞳を蒼ぞらから林の方に向けしづかに丘を下って行きました。
林の中からけらいたちが出て来てよろこんで笑ってこっちへ走って参りました。
王子も叫んで走ろうとしましたが一本のさるとりいばらがにはかにすこしの青い鉤を出して王子の足に引っかけました。王子はかがんでしづかにそれをはづしました。
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解説には、王子は大臣の子とふたりで森の奥へルビーでできた<虹の絵具皿>や金剛石を探しに行く・・・。しかし、子どもたちが見出したものは、自分らが探していたもの以上の宝、いわば人生においてそれをこそ求めるべきものであるところのものの象徴としての<十力の金剛石>、すなわち露であると同時に森羅万象をきらめかせる原理そのものであった。と。
私たちもいつかそのような十力の金剛石に出会うのでしょうか・・・。それとも、いつも幸せのなかにいるあなたは、もう、十力の金剛石を手にしているかも知れませんね・・・。もし、今が苦しくつらくおもわれても、きっと、十力の金剛石は、手のひらのうえにそっと置かれているでしょう・・・。
