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ある阿呆の徒然annex

「柳が如く、撓やかに、逞しく。」
ある阿呆大学生による自己満足blog!!

カテゴリー新設

2007年12月18日 20時56分18秒 | 冤罪・誤認逮捕事件
久々のカテゴリー新設です。
そういえば「プロ野球β」という初心者向けプロ野球情報のカテゴリー、作ったまま1回も書いてないですね。ごめんなさい。今年中に1回は書くようにします。

今回新設したカテゴリーは、「冤罪・誤認逮捕事件」。
あの「志布志事件」以来、色々と思うところがあって作りました。

志布志事件に関しては、以下のページを参照して下さい。
 南日本新聞「志布志事件」
 朝日新聞「マイタウン鹿児島・県議選公選法違反事件」
 読売新聞「鹿児島県議選『踏み字』事件」
 上山法律事務所 TOPICS「志布志公選法違反事件・国家賠償訴訟関連」
 Wikipedia「志布志事件」
ああいう横暴な捜査って、権力をもつ者が「権力にあるとはどういうことか?」を忘れてしまった結果だと思うんですよ。
(私の目指す「教師」という仕事も生徒に対して権力をもつ職業ですから、そのあたりは自戒の意味も込めて、なんですけど。)
権力をもつ者は、その権力の行使を軽々しく行ってはならないと思うんです。
一介の新人議員や一般人と、警察権力。権力の強弱関係は明らかです。
権力を行使するとはどういうことなのか、権力を与えられている意味は何なのか。それを考えなくてはなりません。

警察が一般市民に対して強大な権力を与えられているのは、言うまでもなく市民の生活を守るためであり、民主主義社会を守るのが警察の仕事です。
そんな警察が全くもって非民主主義的な捜査を、しかも「選挙における民主主義を守る」という名目のもと行ったことは、大変遺憾なことです。
「民主主義を守るための非民主主義」などということが罷り通ってはいけません。
せめて事後調査文書を作って表に出して、形式的ではなく自己一致した(心からの)謝罪をして、自浄能力があるところを示して頂きたい。

この志布志事件だけでなく、これだけ科学が発達したにもかかわらず冤罪事件というのが後を絶ちません。

富山での強姦冤罪事件も悪質です。
ちょっと調べれば無罪ということがはっきり分かったにもかかわらず、自白を無理矢理促して有罪(それを見逃して警察情報を鵜呑みにする検察も検察です)。
しかも刑が確定して出所後に真犯人が登場というお粗末ぶり。
犯人に仕立て上げられた男性は、3年という年月だけでなく、社会的地位を失いました。
しかも刑期中にお父様を亡くされる不幸にあわれています。親の死に目にあえないばかりか、無実の罪で「犯罪者の親」のまま死なせてしまった富山県警の罪は重いです。
ところが当事者の処分は一切なし。これは警察が世間に「ウチは横暴な捜査をやりますよ」と公言しているのと同じことではないでしょうか?
正直、開いた口がふさがりません。

また、痴漢冤罪も、今や大きな社会問題です。
私自身、男性として他人事ではいられません(もちろん痴漢なんてしませんよ!)。
日本の裁判では物的証拠がなければ「推定無罪」(確たる証拠がなければ無罪)の原則により、証拠がなければ無罪となります。
しかしながら痴漢というのは物的証拠が残りにくい犯罪です。
当然、痴漢が捕まえられないのでは被害女性にとってはたまったもんじゃない。そのような女性の権利を守られなければならない(私も当然そうだと思います)。
そういう思想的背景があって、痴漢事件に関しては確たる物的証拠がなくとも有罪判決(「推定有罪」)が多くなるということになりました。
ところがそうすると今度は、痴漢冤罪(誤認逮捕)も相次ぐようになったわけです。今や「痴漢事件の半数は冤罪」とも言われています。
被害者の勘違いで別人を犯人にしてしまったといったもあれば、示談金を搾り取ったり相手を陥れたりするための悪質なものもあります。

痴漢事件が厄介なのは「被害者が被害を証明することの難しさ」であるというのは、さっきも書いた通りです。それは裏を返すと、「痴漢冤罪は無実を証明することが難しい」ということでもあります。
冤罪被害者(=加害者とされてしまった人)が無実を証明するには、並大抵でない労力を必要とするそうです。目撃者探しといっても、アカの他人ばかりが乗り合わせている電車の中ではそう簡単に見つかりません。
有罪にされると「性犯罪者」のレッテルを貼られ社会的地位も信用も失います。
仮に裁判の末に無罪を勝ち取ったとしても、失った社会的地位を回復することは非常に困難を伴います。

痴漢事件は容易に証明することが難しい。ですから場合によっては「推定有罪」にした方がよいケースも多いのかもしれません。
ですがそこにはせめて、「民主主義的な捜査」が行われることを望みたい。少なくとも、「作られた証言」や「作られた自白」だけで事件が構成されてしまうことだけは、あってはならないと思います。

あくまで「民主主義を守る」のが警察です。
さっきも申したように「民主主義を守るために非民主主義が認められる」というような捜査があってはなりません。
しかもこのような「非民主主義的な捜査が冤罪に繋がる」という事件は、なおのことです。
そういったことを考えなくてはならない。

そういった考えで、当カテゴリーを立ち上げました。
今後、不定期で(おそらくはそういうニュースを目にした時に)更新していきます。