『巨人の星』って原作で読んだことはあまりないんです。
一通りのストーリーは、アニメの再放送やネットの情報等でもちろん知ってはいるんですが。
それを今日、最後の2巻を原作読んでまして。思わず吹いてしまいました。
左門豊作という人物の名前は、『巨人の星』を多少でもかじったことのある人ならご存知でしょう。
花形満とともに、主人公・星飛雄馬の偉大なるライバル。
しかしながら大企業「花形モータース」の御曹司として育った花形とは対照的に、左門は貧しい農家に生まれ、弟妹とともに継父母のもと不遇な環境で育てられました。
性格も「目立ちたがり屋」の花形とは好対照で、無口で不器用でリップサービスなどという言葉とはおよそ無縁な、ステレオタイプの肥後もっこす。
現実のプロ野球選手でいうと、ちょうど同じ熊本県出身の前田智徳のステレオタイプ・イメージに近いでしょうか(体型以外は 笑)。
ちなみに前田って野球以外の時は結構お喋りらしいっすね。オールスターでホームラン打ってガッツボーズしてたあたり、怪我の経験やベテランになったことで野球観・人生観が変わってきたのかなとも思います。
さて左門の話に戻りましょう。
そんな無口で真面目でおよそ色恋沙汰とは無縁とも思える大洋ホエールズ・左門豊作外野手ですが、ある夜、初恋が訪れます。
初恋というと、私はどうしてもあの「初恋チューハイ」こと「初芝愛チューハイ」を思い出してしまうんですが、それはさておき。
お京さんというのは新宿(だったかな?)のチンピラの総長みたいな女性でして。
左門に痴漢冤罪を擦り付けようとしたところ、たまたま居合わせた飛雄馬が助けに入って、お京さんはその飛雄馬に惚れてしまったんです。
それで左門と飛雄馬はお京さんと3人でクラブに行くことになりまして、左門がガラにもなくゴーゴーを踊ったりして、一晩を明かしました(クラブに行っても酒を飲まない左門はやはり野球の鬼です)。その帰りがけの2人の会話が、上に引用したやり取り。
しっかし、さすがは実直剛健な研究の鬼・左門豊作。
初恋の熱に浮かされそうになりつつも、自分の心理状態を冷静に分析しています。
ですがまぁ左門さんの表現。
「ネオンのジャングルの女豹のムードに魅力ば感じ、あこがれるらしいとです」
あこがれる「らしい」というあたりに左門の自分を客観視しようとする意図が見えます。
でもまぁ、あの左門さんが「一目ぼれ」とは。
ひとめぼれって、米の品種ちゃいますよね? 正真正銘の一目ぼれなんですよね?
(多分その時代に「ひとめぼれ」という米は無かったと思います。)
しかも、「ネオンのジャングルの女豹」とは。
まさか左門さんの口からこんな言葉が聞けるとは思いもよりませんでしたね。
ご存知の方も多いかもしれませんが、左門は後にお京さんとめでたくゴールインいたしました。
お京さんもヤクザから足を洗って(飛雄馬のことがキッカケで)。
はじめは飛雄馬への思いを募らせて左門など相手にもしなかったお京さんですが、きっと左門の実直で誠実な人柄、寡黙さの裏に秘めた野球にかける熱い情熱に心打たれたんでしょうね。
ちなみに先程、左門のことを「無口で不器用」と書きましたが、花形だって決して器用な人間とはいえません。飛雄馬はもちろんのこと、一徹オヤジにしても、伴宙太にしても。
あのマンガの登場人物(少なくとも架空人物)って、みんな器用さも不器用さももっている人たちなんですよ(実在人物の不器用な部分は名指しでは描きづらいから描いてないんでしょう)。
不器用とされる左門でさえ、飛雄馬打倒への思いを堪えながら弟妹を養うために「プロとして私情を捨ててチームの勝利に貢献することを最優先する」という器用さを持ち合わせています。
逆に一見器用に見える花形でさえ、飛雄馬打倒を意識し出すと他のことが見えなくなっていく不器用さも垣間見られます。
みんな器用で、みんな不器用。
梶原一騎先生らしいというか、そんな人生訓めいたメッセージを残してくれるのも、あのマンガの特徴ですね。
そもそも「飛雄馬」という名前の由来は「human」らしいですから。
『巨人の星』を通して、数奇な運命に彩られた登場人物たちの「人間の業」を伝えるという意図が、どうもあったようです。
そしてあのマンガ基本的に好きなんですが、一つだけ苦言を呈しさせて頂くと、だいぶ野球の団体競技的な面をないがしろにしてるんですよね。
飛雄馬は魔球を打たれるたびに無断でチームを離れたり失踪したりしてます。プロとして、社会人としてあるまじき行為です。
花形も「大リーグボール1号」を打った時、それによって大怪我して自分が戦列を離れればチームにとって大きな損失になる、ということを忘れています。その場の判断で打球に飛びついた結果として大怪我した平野恵一のダイビングキャッチとは、訳が違います。
やはりどうも、梶原一騎は野球マンガよりも『あしたのジョー』のような格闘技マンガを得意としていた部分が出ているようです。
実際、「『巨人の星』は野球を舞台にした格闘技マンガとして描かれた」という説が有力視されてますし。
それはそれでいいんですが、野球を舞台とするなら団体競技としての面ももう少しちゃんと描いてほしかった、というのが一野球ファン読者としての思いです。
にしても、『巨人の星』を「人生」という観点で読み直すといろんなものが見えてきます。
今度、改めて最初から読んでみたいですね。
あ、もちろん卒論が終わってから(笑)
一通りのストーリーは、アニメの再放送やネットの情報等でもちろん知ってはいるんですが。
それを今日、最後の2巻を原作読んでまして。思わず吹いてしまいました。
左門豊作という人物の名前は、『巨人の星』を多少でもかじったことのある人ならご存知でしょう。
花形満とともに、主人公・星飛雄馬の偉大なるライバル。
しかしながら大企業「花形モータース」の御曹司として育った花形とは対照的に、左門は貧しい農家に生まれ、弟妹とともに継父母のもと不遇な環境で育てられました。
性格も「目立ちたがり屋」の花形とは好対照で、無口で不器用でリップサービスなどという言葉とはおよそ無縁な、ステレオタイプの肥後もっこす。
現実のプロ野球選手でいうと、ちょうど同じ熊本県出身の前田智徳のステレオタイプ・イメージに近いでしょうか(体型以外は 笑)。
ちなみに前田って野球以外の時は結構お喋りらしいっすね。オールスターでホームラン打ってガッツボーズしてたあたり、怪我の経験やベテランになったことで野球観・人生観が変わってきたのかなとも思います。
さて左門の話に戻りましょう。
そんな無口で真面目でおよそ色恋沙汰とは無縁とも思える大洋ホエールズ・左門豊作外野手ですが、ある夜、初恋が訪れます。
初恋というと、私はどうしてもあの「初恋チューハイ」こと「初芝愛チューハイ」を思い出してしまうんですが、それはさておき。
左門「こまったとです…うううっ」
飛雄馬「えっ?」
左門「お京さんは星君ば好きになったごとですが、ばってんわしは…一目ぼればしてしもうたですばい、お京さんに。……うううっ」
飛雄馬「な…なんだって!! は…はっきりいっておよそまじめ人間の左門さんごのみのタイプの女性とは思えんけどなあ」
左門「おかしなものですたい。万事ぶきっちょで地味で暗闇からひっぱり出された牛のごとある左門豊作なればこそ…。つ、つまり、ないものねだり。お京さんのネオンのジャングルの女豹のムードに魅力ば感じ、あこがれるらしいとです」
飛雄馬「そ…そんなものかな」
お京さんというのは新宿(だったかな?)のチンピラの総長みたいな女性でして。
左門に痴漢冤罪を擦り付けようとしたところ、たまたま居合わせた飛雄馬が助けに入って、お京さんはその飛雄馬に惚れてしまったんです。
それで左門と飛雄馬はお京さんと3人でクラブに行くことになりまして、左門がガラにもなくゴーゴーを踊ったりして、一晩を明かしました(クラブに行っても酒を飲まない左門はやはり野球の鬼です)。その帰りがけの2人の会話が、上に引用したやり取り。
しっかし、さすがは実直剛健な研究の鬼・左門豊作。
初恋の熱に浮かされそうになりつつも、自分の心理状態を冷静に分析しています。
ですがまぁ左門さんの表現。
「ネオンのジャングルの女豹のムードに魅力ば感じ、あこがれるらしいとです」
あこがれる「らしい」というあたりに左門の自分を客観視しようとする意図が見えます。
でもまぁ、あの左門さんが「一目ぼれ」とは。
ひとめぼれって、米の品種ちゃいますよね? 正真正銘の一目ぼれなんですよね?
(多分その時代に「ひとめぼれ」という米は無かったと思います。)
しかも、「ネオンのジャングルの女豹」とは。
まさか左門さんの口からこんな言葉が聞けるとは思いもよりませんでしたね。
ご存知の方も多いかもしれませんが、左門は後にお京さんとめでたくゴールインいたしました。
お京さんもヤクザから足を洗って(飛雄馬のことがキッカケで)。
はじめは飛雄馬への思いを募らせて左門など相手にもしなかったお京さんですが、きっと左門の実直で誠実な人柄、寡黙さの裏に秘めた野球にかける熱い情熱に心打たれたんでしょうね。
ちなみに先程、左門のことを「無口で不器用」と書きましたが、花形だって決して器用な人間とはいえません。飛雄馬はもちろんのこと、一徹オヤジにしても、伴宙太にしても。
あのマンガの登場人物(少なくとも架空人物)って、みんな器用さも不器用さももっている人たちなんですよ(実在人物の不器用な部分は名指しでは描きづらいから描いてないんでしょう)。
不器用とされる左門でさえ、飛雄馬打倒への思いを堪えながら弟妹を養うために「プロとして私情を捨ててチームの勝利に貢献することを最優先する」という器用さを持ち合わせています。
逆に一見器用に見える花形でさえ、飛雄馬打倒を意識し出すと他のことが見えなくなっていく不器用さも垣間見られます。
みんな器用で、みんな不器用。
梶原一騎先生らしいというか、そんな人生訓めいたメッセージを残してくれるのも、あのマンガの特徴ですね。
そもそも「飛雄馬」という名前の由来は「human」らしいですから。
『巨人の星』を通して、数奇な運命に彩られた登場人物たちの「人間の業」を伝えるという意図が、どうもあったようです。
そしてあのマンガ基本的に好きなんですが、一つだけ苦言を呈しさせて頂くと、だいぶ野球の団体競技的な面をないがしろにしてるんですよね。
飛雄馬は魔球を打たれるたびに無断でチームを離れたり失踪したりしてます。プロとして、社会人としてあるまじき行為です。
花形も「大リーグボール1号」を打った時、それによって大怪我して自分が戦列を離れればチームにとって大きな損失になる、ということを忘れています。その場の判断で打球に飛びついた結果として大怪我した平野恵一のダイビングキャッチとは、訳が違います。
やはりどうも、梶原一騎は野球マンガよりも『あしたのジョー』のような格闘技マンガを得意としていた部分が出ているようです。
実際、「『巨人の星』は野球を舞台にした格闘技マンガとして描かれた」という説が有力視されてますし。
それはそれでいいんですが、野球を舞台とするなら団体競技としての面ももう少しちゃんと描いてほしかった、というのが一野球ファン読者としての思いです。
にしても、『巨人の星』を「人生」という観点で読み直すといろんなものが見えてきます。
今度、改めて最初から読んでみたいですね。
あ、もちろん卒論が終わってから(笑)