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ある阿呆の徒然annex

「柳が如く、撓やかに、逞しく。」
ある阿呆大学生による自己満足blog!!

卒論と○○イズムのこと

2008年02月08日 23時56分19秒 | 学問(?)
今週ついに、卒論の試問も終えました。

明日は研究室の送別会兼同窓会みたいなものもあります。
卒業予定者の送別会と、OB・OGの同窓会を兼ねた会なんです。同期は5回生かM1か、関西近辺で働いている人くらいしか来れないでしょうけど、まぁ先輩方や同輩たちに久々に会えるのは楽しみです。
5回生同士や後輩とも、大学で会うこともそんなにないですし。

卒論ですが、試問を受けてみて改めて自分の論文のアラに気づきましたね。

俺は別に右翼でも何でもないんです。
むしろ「ナショナリズムってのはこうして作られてるんですよ」というのを示して、世の中の「○○イズム」を当然のごとく無批判に甘受することの危険性を示したかったんです。

「世の中に溢れる“○○イズム”なるものの多くが決して先験的な所与のものではなくて、人為的に作られていることを弁えとかないといけない。そうじゃないとそいつに振り回されるぞ。」

そういうことを言いたかったんです。プロ野球における巨人中心主義・ON礼賛も、山本エカイズム初芝原理主義垣内主義も、決して所与のものではなく、人為的な力が働いて作られたものです。
もっとも、巨人中心主義・ON礼賛がメディアによる作用をかなり受けているのに対し、エカイズムや初芝原理主義や垣内主義は球場に集まったファンから出てきたものがファンのホームページやブログ等を介して広まっていった点で、後者の方がより自然発生に近いということも言うことはできますが。

特にナショナリズム(国家主義)というのは、パトリオティズム(郷土愛)の延長上に描かれやすいのですが、実際には似て非なるもので。
難しい話になるのですが、触れておきたいので少しだけ触れます。

パトリオティズムというのは、生まれもつ郷土に対する、いわば自然発生的なアタッチメント(愛着)です。
一方ナショナリズムというのは、人為的な国境によって仕切られた「国家」の中で、共同体の一員たることによって生じるものですからね。政治・経済上の共同体から言語であったり文化的慣習であったり、あるいはメディアであったり、そういったなかで人為的に作られていくものですからね。
もっとも、地球上の大半の部分がいずれかの「国家」に属している現在においては、どこかの国家に対する属性意識(たとえば「日本人である」「韓国人である」「アメリカ人である」)は、ある程度先験的といえるのかもしれません。そういった部分が、パトリオティズムとナショナリズムとを混同してしまいやすいところにも繋がっているのかもしれませんね。

まぁそんなパトリオティズムとナショナリズムとの類似と相違とを意識しながら研究を進めるつもりだったんです。
が、手に入る史料を繋ぎ合わせていった結果、単なる「ナショナリズム運動の綺麗な事例」に収まってしまいまして。その人為性を明確に描き出すまでには至りませんでした。
もっとも、最初から「人為性を描き出そう」なんて野心をもって論文書いててそれで解釈に歪みが出てしまったら、それこそ学問として問題なので、それはそれで良かったのかもしれませんが。

あ、断っておきますが、俺は何も人為的だから良いとか悪いとか、そんなことを言うつもりは全くありません。
ただ、それが決して先験的なものではないし、あまり人に押し付けるような性質のものでもないということを言いたいんです。
それに対して無批判になることで、それに無駄に振り回されることも増えますしね。
心の拠り所にするんは良いですけど、それで無駄な争いを起こすことは馬鹿げてます。
「嫌韓流」なんてホント馬鹿げた思想だなぁと思いますし。

「歴史教科書をつくる会」にしても、「そういう思想をお持ちになるのは自由ですが、科学的思考判断能力を教える場である教科教育の場に、そういう主観に満ちた思想を持ち込むべきではないですよ」と、俺は思うんですよね。
特に学校教育というのは、何だかんだいっても権威ですし。権威者は権威を持つ分、やってはいけないことも増えます。倫理・道徳などの指導においては多少は避けられない部分もあるにせよ、「主観の押し付け」は極力避けなくてはならないんです。

それに、そのような方々も「日本国を愛するために『臭いものに蓋』をする」やり方をやっているようでは、正直「愛」とは言えませんね。
本当に愛しているのなら、醜いところも汚いところも全部受け止めたうえで愛さないと。
(それに関しては長くなるので、また回を改めて書きます。歴史教育に携わるものとして、是非考えなくてはならない問題ですし。)


まぁ長くなりましたが、そんなわけで(?)、卒論ではナショナリズムに関連した話を扱いました。
俺の場合は他の職に就く人よりも少しは学問に近い世界にいますので、今後も学問的視座からこうした問題に考えていきたいと思っています。
「教育と学問は、近いけど越えられない壁がある」という話もありますけどね(笑 そしてそれは一定のレヴェルで的を射た話だと思います)

さて、明日は送別会兼同窓会! そして実は、その前に1日中バイト…(^_^;)

54年前の「クリスマス・プレゼント」

2007年12月25日 23時58分16秒 | 学問(?)
当ブログへお越しの皆様、Merry Christmas!!です。

私は私用で大阪に行ってきました。
もちろん、クリスマスデート!などではありません
「クリスマスに男1人で演劇鑑賞なんて、寂しいヤツめ…」と思っているアンタ、そんなアンタは考え方が古い! これからの時代のクリスマスは、1人で芸術の世界にのめり込むべきです。そうでなければホームパーティへの回帰です。
…とか言いつつ、俺も恋人いたらそんなこと言わへんのかもしれんけど(いやいや 笑)

ちなみにその演劇は、大阪公演は明日までやってるので、もしよければぜひ。
http://www.benri-web.com/
15:00からと19:00からの2回で、所要時間は2時間半くらいです。1月に東京公演もあるそうなので、関東地方にお住まいの方はそちらでも。
本当に面白いですよ!

さて、先日の「太田総理」で「クリスマスのデートを禁止すべき」なんて馬鹿げた議題をやってましたが、「そんなの禁止したって意味ないのにねぇ、それこそ税金の無駄遣いじゃねぇの?」と笑いながら見てました。
(真面目に言うと、その法案はいろんな意味で問題があります。宗教的行為への政治の関与であるとか、自由の侵害であるとか。)
でもまぁ、クリスマスにはしゃぐにしても、なぜめでたいのかを弁えた上ではしゃぐ必要があるでしょうね。それはそうだと思います。

んで、タイトルについてですが。

ちょうど54年前、1953年12月25日。何が行われた日なのか、分かりますか?

何を隠そう、奄美群島が日本に返還された日なんです。

太平洋戦争の終結後、北緯30°以南の南西諸島(奄美群島・琉球諸島)や小笠原諸島などは、日本から行政分離され、アメリカ軍政下におかれました。
住民による熱烈な復帰運動が行われ、さらにはアメリカの外交戦略の変化などあって、1953年に奄美群島は、沖縄よりも一足早く、日本に復帰することになりました。
12月24日に調印されて、翌25日付けで返還。ちょうどクリスマスだったということで、「クリスマス・プレゼント」と称された、というわけです。

そしてこの「クリスマス・プレゼント」という言葉が、なんと論文のタイトルになってたりもします。
阪大のエルドリッヂ助教授が、「一九五三年クリスマス・プレゼント―奄美返還と日米関係」と題した論文を書いてるんです。
洒落たタイトルだなぁと思うのですが、先を越されてしまったので私はもう使えません(笑)
ちなみに私だったら、「1953年の『クリスマス・プレゼント』」と括弧付きにしますけども。

私の研究テーマを端的に言うと、そのへんを社会史的な観点から攻めてるといったところです。
あんまり詳しく言いすぎると私の素性がネット上に晒されることになるので、そのくらいにしときますが。

まあ卒論も、大阪行きの電車の中でクリップボードに草稿のっけてちまちまとやってたら以外に捗りまして。
京阪電車って案外集中できますねぇ。K特急をナメたらいけません。
新幹線のぞみ500系車両よりもよっぽどくつろげます。

500系というのは、あの何だか流線型の斬新な形をしたやつです(画像)。あの形のせいなのか、700系などの車両よりも狭苦しく感じるんですよね(Wikipediaによると、どうやらその通りのようです)。
まぁ詳しくは鉄ヲタの友人でも捕まえて聞いて下さい。
私は鉄ヲタではないので、それ以上の説明は出来ませんから。車両について知ってるのは、自分が使う路線の自分が使う車輌をカスタマーとして吟味している上で知っている範囲程度ですし。
(ちなみに鉄道ファンの友人の情報によると、この500系は今後こだまに転用されるらしいです。)

えーと、何の話でしたっけ? あ、卒論でしたね。
卒論はそんな感じで、また少しだけ光も見えてきました。
光が見えては闇に入って、迷っては道を見つけ、壁にぶつかっては乗り越えたり飛び越えたりかわしたり。
そんな繰り返しが続きますが、正月5日での準完成を目指して頑張ります!

SOTSURON

2007年11月07日 22時32分09秒 | 学問(?)
「忙しい日こそ、ブログ書く!」

野球解説者の山本功児氏がロッテ監督時代に発した名言、「負けた日こそ、飲みにいく」ではありませんが、忙しい時ほどブログ書きたくなるんですよね。
時間無いって分かっていながら。
そのときの思ったことやら考えてることやらを、どこかで表現しないと気がすまないというか何というか。

まあ執筆にかける時間を区切ってメリハリを付けてやれば、いい気分転換になりますね。
何かに追われている時に発揮するものこそ、人間の底力が見えてくる場合は結構あると思いますし。
ただ、こういう時は往々にして、真面目な話題をクソ真面目に考えて書くほどの体力と気力が湧かないもんです(笑) といいますか、真面目な話題をクソ真面目に書こうとすると、時間がかかりすぎるんです。だから時間があるときじゃないと書けないんですよ。
そんなわけで、そういう時は近況とか趣味とかの話が多くなります。あとは決意表明系か。

まー何で忙しいかって土曜日に卒論の中間発表なんてもんがあるんですよ。

昨年執筆直前で卒業撤回したため、わりとベースは1月の段階で出来てたんですが、それ以来あまりいじってなくて、気がついたら後期の中間報告日程が功児されて、いや公示される時期になってしまいまして。
んで方向性を昨年から変えようかなと思って、いじってみたんです。
ですがその結果、やっぱり元のままをベースに戻したほうが良いとなって、いじり直し。
歴史学研究ってそういうことの繰り返しなんだろうな、とつくづく思います。
ソ連のある政治家の「一歩後退、二歩前進」ではありませんが、本当に研究って「三歩進んで二歩下がる」の繰り返しなんだろうなと思います(元ネタの歌の通り、人生も然り)。それでも「+3-2=+1」で何とか進むことさえできれば良いのでしょう。

昨年の後期中間発表から現在まで卒論に懸けた実質期間は2ヵ月程度。中間発表から卒業撤回までの約1ヵ月半と、最近半月ほど。
「1年あるし余裕やろ」とタカを括っていたのがそもそもの大間違いで、採用試験やらアシスタントに準じる学生のアシスタントやら何やらで、それどころじゃない日が続き。気づいたら「採用試験どころやない、卒論や!」という時期になってしまってたという体たらく。
でも今日の午後、約半日で文献読んだり去年の報告レジュメをもとに考えたりして、昨年は中々見えづらかった「論の方向性」が、何とか見えてきました。一次史料をもっと読み込めば何とかサマにはなるかもと、淡い期待を抱いています(笑)

そんなわけで今週は卒論にかかりっきりですね。
と言いつつ明日もバイトはあるんですけど。
昨日シフト表見たらスカスカでした。この時期に卒業(修了)予定者の論文中間報告を行う研究室が多いせいでしょうか?
というわけで、「こんなシフトスカスカの時にバイト行かないで遊んでいる」なんてわけにもいきません。研究と就職対策に勤しみます。
パワプロも禁止です。「ローズのシーズン56号本塁打をホークス戦で達成」という目標は封印です。

そういえば巨人がロッテの藤田宗一を獲得したそうですね。
てっきりホークスに行くもんだと思ってたんですけど。
たしかに巨人は左のリリーフが山口・林くらいしかいませんので、実績抜群の藤田はぜひほしいところだったんでしょうね。
前田幸長がいなくなって、藤田が加入。ロッテ枠ですか。

第1回のトライアウトって今日だったんですよね。
私は友人と観に行こうかって話してたんですけど、都合が付かず断念しました(てか一般人は観れるのか? 笑)。
小関が2ホーマーとガラにないことをやってのけたそうです。左打ちの外野手ということで、元同僚の柴田との競争になりそうです。小関の元同僚といえば富山サンダーバーズの宮地もトライアウトに参加したようです。これまた左打ちの外野手。
球界全体では左打ちの外野手はやや余っている感がありますが、オリックスなど手薄なチームもあります。チャンスはあるでしょう。
ヤクルトは日ハムの萩原と巨人の斉藤宜之を狙っているそうです。斉藤は内野手の経験もあってサードもこなせますので、補強ポイントとも合致するのでしょう。萩原はキレのあるボールと元野手ならではの連投の利くタフさが持ち味ですが、それだけではどうもシコースキーと被る気がします。
楽天は野村監督自ら視察に訪れたとか。福盛のFA移籍が有力とされていますので、リリーフ投手の補強も考えたいところでしょう。トライアウトは不参加でしたが、かつての教え子である高津も候補には入ると思います。

さて、そろそろ切り上げます。卒論、がんばろ。

『アンパンマン』に見えてしまったポストコロニアリズム【R10指定】

2007年04月22日 08時46分06秒 | 学問(?)
(注)今回のエントリーは、子どもの頃の純粋な気持ちを汚されたくない方は、決して読まないよう、お願いします。

アンパンマンと言っても「奇跡を呼び込む男」ではありません(分からんか)。

昨日、バイト帰りに何を思ったか宝ヶ池のブックオフへ向かい、なぜか道に迷って「モヒカン山」に到達してしまったおかげで、暗い山道をチャリで走る羽目に。
そのせいか疲れ果てて早く寝てまいまして。
ほんで早く目が覚めたもんでテレビ点けてみたら、久々に『アンパンマン』なるものを見まして。
その2話目、です。

「ランドセル島」という、文房具を子どもたちに届けている島があって、そこをアンパンマンやカバオくんたちが訪れます。
ランドセル島の妖精(?)たちはアンパンマン一行を歓待。
するとそこに、バイキンマン登場。ドキンちゃんにスケッチブックを強請られたようです。
例のごとくアンパンマンはバイキンマンを倒します。
なにげにドキンちゃんは妖精(?)からスケッチブックをもらって帰ってます。
カバオくんたちは妖精(?)たちとすっかり仲良くなり、最後は涙の別れ。

そんな感じのストーリーでした。
まぁツッコミどころがいろいろあるのは仕方ありません(幼児~小学校低学年向けのアニメですから、そのへんは多少は目をつぶるとします)。

にしても「ランドセル島」、この話を観た限り、これはおそらく、文房具モノカルチャー経済の島かと思われます(モノカルチャーとまではいかなくても、文房具を主要産品として世界に大量供給している島に違いありません)。
そして、島の人々はアンパンマン一行をかなり歓迎していたようです。カバオくんやチーズが食べきれないほど食べてもまだまだあるほどの料理が、テーブルに並んでいました。産業を文具に特化した島があれだけの料理を用意するのには、相当な手間や費用がかかったものと思われます。
ここで一つの構図が、私には見えてきてしまいました。
  アンパンマン一行=<支配者>
     ↑ (歓待)
  ランドセル島の住人たち=文房具を供給する<被支配者>

前々から「アンパンマンは穿った目で見た方が面白い」と思っていた私は、容易にこの論に達しました。
そしてアンパンマン一行を歓待していた妖精(?)たちは、踊り子か娼婦に違いないと思われます。そしておそらく、あの華やかなレセプションの裏では、低賃金・劣悪条件の労働者たちが、しこしこと文具を作っているのでしょう。

面白いことに、バイキンマンは島の住人たちにはほとんど危害を加えず、狙ったのはアンパンマン一行です。
そして島の妖精(?)は、バイキンマンの仲間であるドキンちゃんにも、しっかりとスケッチブックを渡しています。
ここまでくると、構図はかなりはっきりとしてきます。
 <アンパンマン一行(支配者A)>←対立→<バイキンマンたち(支配者B)>
          搾取↓↑供給          搾取↓↑供給
       <ランドセル島(被支配者):上の対立に対しては中立>

ランドセル島は、アンパンマン一行とバイキンマン一味から二重の支配を受け、対立には中立の立場をとりつつ、両者の顔色を伺いながら上手く立ち回って、島を守ろうとしているのです。

あえてアンパンマンを擁護するなら。
おそらくバイキンマンは搾取はすれど保護はしない、でもおそらくバイキンマンがランドセル島を攻めたらアンパンマンは島を守ってくれるだろう。その「安保条約」のようなものが『アンパンマン』の世界においては、まるで当然の規範であるかのように成立している、というところでしょうかね?
それにしても、ここに含まれる、「アンパンマン=常に善」「バイキンマン=常に悪」という現実界ではかなり危険な発想がアンパンマン界では当然のごとく成り立っているという点に関しては、問題がありますけどね。
ちなみに、この危険な構図に気づいてから私は、「アンパンマンは幼児教育に不適」と思うようになりました。その観点から言うなら、いくら「暴力的」との批判を受けようとも、「悪になりきれない悪」「善役に転換する悪役」も描いている『ドラゴンボール』の方が、よっぽど優れていると思います。

今回の『アンパンマン』では、「ポストコロニアル」を見てしまったぶん余計に、あれが本当に幼児教育に用いられてよいのか、考えてしまいましたね。

ああ、これだから現代文化学の人間は(ry

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一昨日の試合、今季初打席でプロ初ヒットがサヨナラ打という幸運をもつ狩野。
昨日の試合ではスタメンで起用されました。矢野の打撃不振もあるでしょうが、岡田監督にしては思い切ったことをしたものです。すると見事にプロ初本塁打を含む3安打、リード面でも健闘しました。「ポスト矢野」を浅井・清水・岡崎あたりと争うことになるでしょう。そういえば野口さんは?
野口といえば、巨人の野口は、関本のタイムリーで1点を失いましたが、スライダー切れてましたね。今年は中継ぎで好投しています。中日時代の良い時の状態に戻りつつあるみたいです。
そういえば野口がノーヒットノーランを達成した時にリードしていたキャッチャーは、矢野だったんですよね。下積み時代の。

狩野捕手のようにプロとして「第一歩」を踏み出した選手もいる一方、ロッテ・小宮山が3年ぶりの勝ち星。かつてのエース、メジャーにまで行った投手が41歳の今、体力的な衰えを経験と技術でカバーし、中継ぎで黙々と投げています。球界屈指の頭脳派投手は、まだまだやりそうですね。

全然関係ない話題のはずだったのに野球の話になりましたね。

ああ、これだからプロ野球ヲタは(ry

「イロモノ」

2006年12月08日 01時06分26秒 | 学問(?)
先日書きましたね、「イロモノにも結構手を出してる」って。
今回は、その「イロモノ」をいくつかピックアップしてみたいと思います。

以前私は、某所の自己紹介で、自分の専攻についてこのように書きました。
(正確な文面は覚えてませんが、内容はまあこんなことです。)

ごく簡単に言うと「歴史学+α」で現代文化を捉えるという学問。
ただし、その「+α」が実に多彩で……。時折、絶妙な(?)ハーモニーを奏でる。


そうそう。
その「絶妙な(?)」ハーモニーを奏でた結果、独特の色を放つものが、しばしば生まれます。
それが「イロモノ」です。

回りくどく「イロモノ」を定義しましたが、実のところはまぁ一般的に言われる「イロモノ」の意味とあんまり変わんないです(笑)

んじゃあ、行きましょうか。今まで私が手を出してきた「イロモノ」を。

○映像制作演習
これをイロモノというのは失礼なんやけども、特色ある授業(演習)の一つなので入れました。
最近では芸術学部なんかでこういう事をやってる大学もあるみたいやけど、ウチみたいに「メディア論」という観点からやってるところは少ないんじゃないでしょうか?
要は、映像作品(原則としてドキュメンタリー)を実際に自分たちで作ることによって、映像作品(映像メディア)が如何にして作られるか、制作者がどのようなことを考えながら作っているのかを学ぶ、てことです。
ちなみにこれやると、最後の1週間くらいは睡眠時間がおかしなことになります。
3日で4時間しか寝てない時にShop99に行くと、あの曲が頭から離れなくなります(マヂで)。
 ♪しょーっぷ きゅーっきゅきゅっきゅきゅきゅー …………
……。いや、本当に頭から離れなくなるんですよ、あの曲。
深夜の編集室でキーボード叩いててかなりヤバいテンションでした。
でも、充実感はありますね。苦労話も良い思い出です。

○マンガ論(N氏の集中講義)
マンガ評論家・N氏による集中講義。ひたすらマンガにおける「視線誘導」について説明を受けました。
講義後、学生たちで彼を囲んでカラオケに行ったんですが、見事に『タイガー&ドラゴン』を脳裏に焼き付けられました。

○怪獣解剖図展覧会の企画
大伴昌司っていう人がいます。てか、いました。「オタクの先駆」とも言われる人です。
ウルトラマンやら何やらに出てくる怪獣の解剖図やら詳細設定やらを勝手に考えて雑誌に載せまくってた人なんですが。1960~70年代頃に活躍して、30代で若くして亡くなりました。
んで、その人が書いた解剖図の原画を使って展覧会をやろう、その企画を立てよう、てのがこの演習でして。
まぁ現代文化学ですから、こんなところまで手を出します。
最終レポートは「企画書」らしいですが、私は、あるお方を記念講演に招くことしか考えていません(ヒント:私の先輩)。

○教科書づくり
「プロ野球チームをつくろう!」
……ではなく、「世界史教科書を作ろう」。
まぁ言うたら、ってまんまなんですけども、高等学校世界史の教科書(現代史の部分)を作るっていう。
章立て、本文、図表なんか全部決めろと。
レポートが異常にヘビーで、卒論なんか考えるととてもじゃないけど追いつかず、単位習得は断念しました。
でも何かこの講義で作った教科書で学生が模擬授業するという構想を教授がお持ちらしく、どうやらその役が私に回ってきそうなんですよね。地歴科教員志望ってことで。
学習指導案作ったるし、それと模擬授業で単位くれへんかな?(笑)

 ********************
まぁ、こんな感じでしょうか?
イロモノって言いましたけど、おかげで大物な方々にも色々とお会いできましたからね。教育プランナーという聞きなれないお仕事をされている方や、先日は韓国のTVプロデューサーの方もいらっしゃいましたし。
この2年間は妙に濃いですよ。
講師としてこられる方々だけでなく、周りの学生も大物が多いですしね。いろんな意味で(どんな意味だ 笑)

さて、卒論か。出すか出さんかまだ分からへんけど、いい加減決めなあかんやろな。
でもどちらにせよ取り敢えず今年書くだけ書いておこうと思ってます。

師走

2006年12月01日 01時56分05秒 | 学問(?)
日付が変わって、月が変わりました。いよいよ2006年も残すところあと1ヵ月となりました。
本当に早いものです。まぁ今月もカラ元気で頑張って参ります!

ちょっと卒論の話でもしますかね。

まぁ私はこの「何でもあり専修(仮名)」の中で、周囲が文学やら映画やらアニメやらオタクやらを研究している横でチマチマと、ワリとまともっぽい現代史をやってます。

といっても、私もイロモノなことにも大分手を出してるんですが(笑)
まぁ一応、卒論のテーマは「普通の」歴史学の中で設定しました。

これまでも何度か触れてきましたが、私の卒論テーマは、奄美群島の復帰に関することです。

実は他にも、興味の対照は色々ありました。
明治期における西洋文化・思想の受容とか、大正時代の大衆文化・社会とか。教授の研究テーマであられる「戦争の記憶」というのも関心の高い分野ですしね(あんま勉強してへんけど)。
あるいはごく最近のネタで、インターネット上におけるコミュニケーションの話だとか。まぁこれやとほぼ完全に社会学やけども(この手の研究は社会心理学が多いのか?)。
そのインターネットも含め、メディア論にも興味があります。
カルチュラル・スタディーズで流行の「沖縄イメージ」の話も、一時は卒論のテーマ最有力候補に躍り出てましたしね。

でも、結局はテーマとして「奄美復帰」を選びました。
選んだ最大の要因は、やはり「俺にしか設定できないテーマだろう」という思いですかね?
世の中には俺より頭良い人間は沢山いるし、ましてこの大学の大半の人間は俺より頭良いはずです。

でも、おそらく「奄美復帰」に焦点を当てる人間は、奄美に所縁のある人間でないと中々いないやろうし、この研究室で現代文化学を学ぶ者として「奄美復帰」を考えることは、何かしら意味を為すんじゃないか?

そう思ったんです。

私自身の論(現段階では仮説)を述べるのは、都合により差し控えさせます。
ただね、この研究に関する思いを言えば、出来ればこの研究を、私の卒論だけに終わらせたくないんですね。
欲張りを言えば、私がアカデミズムの世界から去っても、誰かにこのテーマを引き継いでやって貰いたい。
ま、「そんなん言うなら、その前にテメェ自身が精一杯研究しろ!!」と叱責されそうですけど。

おそらく私の卒論の段階では、私が本当に掴みたいところは掴みきれないんですよ。私自身が未熟ということもあって。
歴史学という学問の性質上、もっと蓄積が必要やし、社会学などの理論にも通じてないと。

まぁ残り1ヵ月で書くのか13ヵ月になるのか分かりませんけど、何とか形にはできれば良いなとは思ってます。

歴史屋さんの呟き

2006年10月23日 23時28分31秒 | 学問(?)
イギリスの歴史家、E. H. カー(Carr,Edward Hallet:1892-1982)。
この名前がどれほど世間一般に知られているのかは、私は分かりません。
ただ、歴史学を学ぶ人ならご存知でしょうし、ご存知ないのなら是非知っておきたい人名でしょう。

ソ連史研究を専門とする彼は、著書"What is history?"(1961:清水幾太郎訳[1962]『歴史とは何か』岩波書店)で、このような歴史学観を述べています。

歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

以前も当ブログで紹介したことのあるこの言葉ですが、あの時は「今日のひとこと」コーナーのネタに困って、何となく手元にあった新書本から引っ張り出してきただけだったんですが(笑)

過去は、事実の断片としての資料(史料、考古学資料など)を通して、現在へ語りかける。
そして現在は、「現在の目」を通して、その語りかけを受け取り、解釈する。
したがって、過去からの語りかけと、「現在の目」というフィルターを通して行われる解釈(=ストーリーの再構成)とが不断に相互に作用しあって作られるのが「歴史」なのだと。
この文で彼の言いたいことは、まぁそういうことです(ただ、あくまで私の解釈ですので、間違ってたらごめんなさい)。

でまぁ、それで、ですね。
現代歴史学においては「可能な限り客観的な『歴史』へ近づく」という、いわば至上命題みたいなもんがあります。
しかしながら、ここまで言ってきた通り、どんな優れた歴史学者であっても、「現在」あるいは「自分」というフィルターから逃れることは出来ないわけです。

そうした時に求められるのはやはり、「常に『現在(自分)』というフィルターの存在を意識の片隅にでも置いとくこと」「常に自分の論に対して謙虚であること」でしょう。

講義で「○○大学のバカがこんなこと言ってますが」など、暴言を連発する教授も何処かの大学にはいらっしゃるみたいですが、そんなのは以っての他です。
自分の論を主張するために自分の説に自信を持つことは大事なことだとは 思います。
しかし、かといって他説を「バカ」などと罵るようではいけません(てか、講義中にこのような言葉を用いて他の学者を罵るのは、歴史家として以前に人間としてどうかと思いますが)。

自分の説を自信を持って主張するとともに、「説はあくまで説にすぎない」という謙虚さを忘れてはなりません。まぁアンビバレントではありますし、そこが難しいところなんですが。
歴史家はあくまで、過去の断片からの語りかけを、現在というフィルターを介して解釈しているだけなんですからね。それを忘れちゃいけないです。

…とまぁ、ここまで私がいかにもコテコテの歴史学人間みたいな感じで書いてきましたが、今ゼミ発表へ向けて準備してるのは、「ウルトラQについて」です。
いやまじで。冗談でなく、まじで。

火事場の馬鹿力を そーれそれそれ○○!!

2006年07月26日 04時05分11秒 | 学問(?)
卒論の発表会、終えました。
まずは、発表した皆様、本当にお疲れ様でした!!
そしてそれ以外の参加者の皆様も、お疲れ様です。

ちなみに俺と他2名の計3名、試験対策やら病欠やらで、発表を後日、別日程で行うということになりました。

正直な感想を言います。正直に。

気分を害さないで下さいよ。笑って見逃して下さい。

正直ね、正直ね、……。

えっと、ね。んーと…。

んー…。

皆さん素晴らしい!!!!

いや、お世辞でも皮肉でも嫌味でも何でもなく、ほんまに。
着眼点もやし、皆さんよく勉強してるのが伝わってくるし、本当に素晴らしいです。
いや、俺みんなに追いつけるんかな f*_*;

学際研究の研究室やからテーマが多種多様でバラエティに富んでて、(いささか不謹慎かもしれないけど)エンターテイメントとしても面白いです。
通常の大学のゼミじゃ在り得ないようなパワポの画像とか出てきますしね(笑)

ただ、あまりに多種多様なため、俺みたいに凡庸な人間は、自分のそこそこ知ってる話に近いトコでないと、中々意見を出すことが出来ないんですが。

具体的な個々人のテーマは、許可を頂いていないんで掲載を差し控えます。ご了承下さい。
でも本当に、みんな着眼点が良いですよ。やっぱ、そのあたり流石ですね。

一応、私自身の発表(てか報告)は、8月の10日前後に教授室でやることになりました。

オブザーバー大募集です!!(笑)

まぁ数少ない先行研究をどうにかこうにか辿って、何とかやっていきます。

そんなわけで、ようやく私も、目まぐるしい卒論戦線に復帰です!!

よし、気合だーーーーっ!!!!!!!!!

それでは皆さん、頑張って行きましょう!!

  ******************
今日のひとこと:

 希望はそこにあるものではない そこから見出すものである(私)

今まで重要な勘違いをしてました。
希望は「ある」ものではないんですね。「見出す」ものなんです。きっと。
そんなことを何となく思ったので。