今週ついに、卒論の試問も終えました。
明日は研究室の送別会兼同窓会みたいなものもあります。
卒業予定者の送別会と、OB・OGの同窓会を兼ねた会なんです。同期は5回生かM1か、関西近辺で働いている人くらいしか来れないでしょうけど、まぁ先輩方や同輩たちに久々に会えるのは楽しみです。
5回生同士や後輩とも、大学で会うこともそんなにないですし。
卒論ですが、試問を受けてみて改めて自分の論文のアラに気づきましたね。
俺は別に右翼でも何でもないんです。
むしろ「ナショナリズムってのはこうして作られてるんですよ」というのを示して、世の中の「○○イズム」を当然のごとく無批判に甘受することの危険性を示したかったんです。
「世の中に溢れる“○○イズム”なるものの多くが決して先験的な所与のものではなくて、人為的に作られていることを弁えとかないといけない。そうじゃないとそいつに振り回されるぞ。」
そういうことを言いたかったんです。プロ野球における巨人中心主義・ON礼賛も、山本エカイズムや初芝原理主義も垣内主義も、決して所与のものではなく、人為的な力が働いて作られたものです。
もっとも、巨人中心主義・ON礼賛がメディアによる作用をかなり受けているのに対し、エカイズムや初芝原理主義や垣内主義は球場に集まったファンから出てきたものがファンのホームページやブログ等を介して広まっていった点で、後者の方がより自然発生に近いということも言うことはできますが。
特にナショナリズム(国家主義)というのは、パトリオティズム(郷土愛)の延長上に描かれやすいのですが、実際には似て非なるもので。
難しい話になるのですが、触れておきたいので少しだけ触れます。
パトリオティズムというのは、生まれもつ郷土に対する、いわば自然発生的なアタッチメント(愛着)です。
一方ナショナリズムというのは、人為的な国境によって仕切られた「国家」の中で、共同体の一員たることによって生じるものですからね。政治・経済上の共同体から言語であったり文化的慣習であったり、あるいはメディアであったり、そういったなかで人為的に作られていくものですからね。
もっとも、地球上の大半の部分がいずれかの「国家」に属している現在においては、どこかの国家に対する属性意識(たとえば「日本人である」「韓国人である」「アメリカ人である」)は、ある程度先験的といえるのかもしれません。そういった部分が、パトリオティズムとナショナリズムとを混同してしまいやすいところにも繋がっているのかもしれませんね。
まぁそんなパトリオティズムとナショナリズムとの類似と相違とを意識しながら研究を進めるつもりだったんです。
が、手に入る史料を繋ぎ合わせていった結果、単なる「ナショナリズム運動の綺麗な事例」に収まってしまいまして。その人為性を明確に描き出すまでには至りませんでした。
もっとも、最初から「人為性を描き出そう」なんて野心をもって論文書いててそれで解釈に歪みが出てしまったら、それこそ学問として問題なので、それはそれで良かったのかもしれませんが。
あ、断っておきますが、俺は何も人為的だから良いとか悪いとか、そんなことを言うつもりは全くありません。
ただ、それが決して先験的なものではないし、あまり人に押し付けるような性質のものでもないということを言いたいんです。
それに対して無批判になることで、それに無駄に振り回されることも増えますしね。
心の拠り所にするんは良いですけど、それで無駄な争いを起こすことは馬鹿げてます。
「嫌韓流」なんてホント馬鹿げた思想だなぁと思いますし。
「歴史教科書をつくる会」にしても、「そういう思想をお持ちになるのは自由ですが、科学的思考判断能力を教える場である教科教育の場に、そういう主観に満ちた思想を持ち込むべきではないですよ」と、俺は思うんですよね。
特に学校教育というのは、何だかんだいっても権威ですし。権威者は権威を持つ分、やってはいけないことも増えます。倫理・道徳などの指導においては多少は避けられない部分もあるにせよ、「主観の押し付け」は極力避けなくてはならないんです。
それに、そのような方々も「日本国を愛するために『臭いものに蓋』をする」やり方をやっているようでは、正直「愛」とは言えませんね。
本当に愛しているのなら、醜いところも汚いところも全部受け止めたうえで愛さないと。
(それに関しては長くなるので、また回を改めて書きます。歴史教育に携わるものとして、是非考えなくてはならない問題ですし。)
まぁ長くなりましたが、そんなわけで(?)、卒論ではナショナリズムに関連した話を扱いました。
俺の場合は他の職に就く人よりも少しは学問に近い世界にいますので、今後も学問的視座からこうした問題に考えていきたいと思っています。
「教育と学問は、近いけど越えられない壁がある」という話もありますけどね(笑 そしてそれは一定のレヴェルで的を射た話だと思います)
さて、明日は送別会兼同窓会! そして実は、その前に1日中バイト…(^_^;)
明日は研究室の送別会兼同窓会みたいなものもあります。
卒業予定者の送別会と、OB・OGの同窓会を兼ねた会なんです。同期は5回生かM1か、関西近辺で働いている人くらいしか来れないでしょうけど、まぁ先輩方や同輩たちに久々に会えるのは楽しみです。
5回生同士や後輩とも、大学で会うこともそんなにないですし。
卒論ですが、試問を受けてみて改めて自分の論文のアラに気づきましたね。
俺は別に右翼でも何でもないんです。
むしろ「ナショナリズムってのはこうして作られてるんですよ」というのを示して、世の中の「○○イズム」を当然のごとく無批判に甘受することの危険性を示したかったんです。
「世の中に溢れる“○○イズム”なるものの多くが決して先験的な所与のものではなくて、人為的に作られていることを弁えとかないといけない。そうじゃないとそいつに振り回されるぞ。」
そういうことを言いたかったんです。プロ野球における巨人中心主義・ON礼賛も、山本エカイズムや初芝原理主義も垣内主義も、決して所与のものではなく、人為的な力が働いて作られたものです。
もっとも、巨人中心主義・ON礼賛がメディアによる作用をかなり受けているのに対し、エカイズムや初芝原理主義や垣内主義は球場に集まったファンから出てきたものがファンのホームページやブログ等を介して広まっていった点で、後者の方がより自然発生に近いということも言うことはできますが。
特にナショナリズム(国家主義)というのは、パトリオティズム(郷土愛)の延長上に描かれやすいのですが、実際には似て非なるもので。
難しい話になるのですが、触れておきたいので少しだけ触れます。
パトリオティズムというのは、生まれもつ郷土に対する、いわば自然発生的なアタッチメント(愛着)です。
一方ナショナリズムというのは、人為的な国境によって仕切られた「国家」の中で、共同体の一員たることによって生じるものですからね。政治・経済上の共同体から言語であったり文化的慣習であったり、あるいはメディアであったり、そういったなかで人為的に作られていくものですからね。
もっとも、地球上の大半の部分がいずれかの「国家」に属している現在においては、どこかの国家に対する属性意識(たとえば「日本人である」「韓国人である」「アメリカ人である」)は、ある程度先験的といえるのかもしれません。そういった部分が、パトリオティズムとナショナリズムとを混同してしまいやすいところにも繋がっているのかもしれませんね。
まぁそんなパトリオティズムとナショナリズムとの類似と相違とを意識しながら研究を進めるつもりだったんです。
が、手に入る史料を繋ぎ合わせていった結果、単なる「ナショナリズム運動の綺麗な事例」に収まってしまいまして。その人為性を明確に描き出すまでには至りませんでした。
もっとも、最初から「人為性を描き出そう」なんて野心をもって論文書いててそれで解釈に歪みが出てしまったら、それこそ学問として問題なので、それはそれで良かったのかもしれませんが。
あ、断っておきますが、俺は何も人為的だから良いとか悪いとか、そんなことを言うつもりは全くありません。
ただ、それが決して先験的なものではないし、あまり人に押し付けるような性質のものでもないということを言いたいんです。
それに対して無批判になることで、それに無駄に振り回されることも増えますしね。
心の拠り所にするんは良いですけど、それで無駄な争いを起こすことは馬鹿げてます。
「嫌韓流」なんてホント馬鹿げた思想だなぁと思いますし。
「歴史教科書をつくる会」にしても、「そういう思想をお持ちになるのは自由ですが、科学的思考判断能力を教える場である教科教育の場に、そういう主観に満ちた思想を持ち込むべきではないですよ」と、俺は思うんですよね。
特に学校教育というのは、何だかんだいっても権威ですし。権威者は権威を持つ分、やってはいけないことも増えます。倫理・道徳などの指導においては多少は避けられない部分もあるにせよ、「主観の押し付け」は極力避けなくてはならないんです。
それに、そのような方々も「日本国を愛するために『臭いものに蓋』をする」やり方をやっているようでは、正直「愛」とは言えませんね。
本当に愛しているのなら、醜いところも汚いところも全部受け止めたうえで愛さないと。
(それに関しては長くなるので、また回を改めて書きます。歴史教育に携わるものとして、是非考えなくてはならない問題ですし。)
まぁ長くなりましたが、そんなわけで(?)、卒論ではナショナリズムに関連した話を扱いました。
俺の場合は他の職に就く人よりも少しは学問に近い世界にいますので、今後も学問的視座からこうした問題に考えていきたいと思っています。
「教育と学問は、近いけど越えられない壁がある」という話もありますけどね(笑 そしてそれは一定のレヴェルで的を射た話だと思います)
さて、明日は送別会兼同窓会! そして実は、その前に1日中バイト…(^_^;)