「備後・福山」歴史の街

広島県東部の地域は、古代以降「備後国」と言われていました。その「備後・福山」から郷土の歴史を含めた情報を発信致します。

ミニ歴史散歩「福山城外堀から入江ぞいに」福山市文化財協会

2011-12-06 15:14:44 | 報告

福山市文化財協会では、秋の「ミニ歴史散歩」に
「福山城外堀から入江ぞいに」で文化財巡りを実施しました。
日時:平成23年<2011>12月3日(土)
集合場所:福山文学館前広場 9時集合(9:30出発)


本来の「晴男」の神通力は、私以上に強力なハイパワーを
持っておられる方が居るようで、これで晴男の神通力を失う事2回目となる
朝から雨の天候となってしまい、集合時間の9時には本格的に降り出す
有様で最悪の状況となってしまいました。
それにも関らず、60名を超える参加者には、驚いてしまいました。


集合場所の「文学館前広場」から、本日の「福山城下巡り」の解説を
していただく、佐道弘之会長から、「備後国護国神社(安部神社)」の
謂れから解説を頂き、「福山城」背後にある歴史的意義を含めた地形と
「安部神社」に参拝し、神社に纏わる話しへと続き、
「福山城下上水道施設」の話しを伺い、目からウロコが落ちるお話でした。


「福山城本丸東側の石垣」へと移動し、「三蔵稲荷」に纏わる話しや
明治時代に福山城が廃城となり、払い下げとなった経緯などを伺い、
続いて、福山城より東側に当たる、「三の丸御門外枡石塁跡」に移動し、
福山城の内堀、外堀の範囲を現在の市街地の中で訪ねました。
そこより、南下し「物見櫓跡」「外堀石垣跡」は、JR福山駅北側に
位置し、多くの人々の目のすぐ前に見えています。
更に、JR福山駅構内を横断し南側にある「お水御門跡」の石垣を
見ながらの解説を窺いました。


続いて、駅前交番の横を通り、「築切」跡を訪ねました。
細い角に曲がったパチンコ店の通路と思いきや、何と市道でした。
現在は、パチンコ店内となっていますが、かつては「築切跡」と聞き
もうこうなると、驚き以外の何物でも無くなってしまいます。

更に驚く事が続き、福山城の外堀から海へ続く入江に向かう景観は、
丁度福山駅前に南東の方角に2本の道路が延びています。
この状況は、碁盤の目とは違う地形が残り、
この2本の道に挟まれた地域は、これが実は福山城へ続く「入江」
となる地割りとのこと、現在沢山の建物が建ち並び、昔の面影は
全くありませんが、この幅のある地域が「福山城入江跡」と聞くと
驚きを通り超え、驚嘆するばかりでした。



               (福山城下入江右岸での解説風景:現三角公園)

この頃から、雨も上がり青空が見える天候に変わって来て、やっと
晴男の面目が立つ事になりましたが、少し遅い感がします。



              (大黒町から総門跡の解説風景)

その後、「水野氏墓地」「福山城下町総門跡」「義倉」と廻り
「義倉」では、栗本研究員の解説を聞き、
本日の「ミニ歴史散歩」を丁度12時で終える事が出来ました。


(義倉での藤原平理事長のあいさつ)

原稿も何も見ず、スラスラと話される佐道会長には、只々頭の下がる
思いで一杯でした。


この様に、福山市街地には注意深く観察すれば「福山城下の縄張り」が
見て取れる貴重な遺跡が残っています。
今回の「ミニ歴史散歩」は、改めて数多くの遺跡が残っている事に
気付く事が出来ました。
この「福山城下の縄張り」を是非、残して頂く方向で検討をして
頂きたいと願う者の一人です。
素晴らしい遺跡の残る「福山」は誇りの持てる町と自慢したいものです。


雨にも関らず、参加された皆さん大変お疲れさまでした。
また、今回の行事に関った、スタッフ・関係者・事務局担当者の
皆さん大変ありがとう御座いました。
感謝を込めて合掌。         (文責:福之山鳳来)


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2 コメント

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お疲れ様でした! (飛天)
2011-12-07 00:38:46
実り多い見学会でしたね!
鳳来さんのお蔭で再復習することが出来ました。

知らないことが多い郷土の歴史ですが、
こうして謎解きをして頂きながら現地を
歩いて回ると、本当に楽しいですね!!
&みんなで行くので更に楽し♪♪

幹部の皆様、ぜひこういう企画をもっと
増やしてくださいませ~
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仲間と歩くのは、楽しいですね (鳳来)
2011-12-07 02:06:32
飛天 さん
仲間と歩いて現地を訪ね、現物に触れるのは、
本当に楽しいですね。
次ぎは、ヒョットして「鬼の城」かも?
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