「備後・福山」歴史の街

広島県東部の地域は、古代以降「備後国」と言われていました。その「備後・福山」から郷土の歴史を含めた情報を発信致します。

一乗山城主渡辺氏と足利義昭

2020-06-12 20:35:04 | 福山歴史研究(文化財と歴史)
 織田信長に追われ、和歌山から備後鞆の浦へたどり着いた足利義昭が、
「居所」と定めた場所が今まで不明でした。
この度『広島県立歴史博物館研究紀要第21号』「資料紹介守屋壽コレクショ
ン所収の足利義昭御内書について」木村信幸氏(学芸課長(兼)草戸千軒町遺
跡研究所長)発表されました。
地元に居ながら中々その背景に迫る事が出来ずに、伝承だけに頼っていた事
を恥じ入るばかりです。
 梅雨入り前の一乗山城跡(渡辺氏居城)とその菩提寺である「常国寺」を訪ねてみました。
常国寺は今まで気付かずにいましたが、中世城館跡の形跡が残り
、一乗山城跡と常国寺を絡めた考察が必要と感じました。
 益々、調査・研究が必要と感じました。


(椿庵 遍照記)


足利義昭供養塔案内石柱


足利義昭供養塔


足利義昭供養塔


足利義昭供養塔


渡辺氏墓所


渡辺氏墓所


常国寺参道の石垣


常国寺参道の石垣


常国寺参道の石垣


常国寺に残る堀切


常国寺に残る中世の石垣


常国寺に残る中世の石垣


一乗山城跡の遠景


一乗山城跡への案内板


一乗山城跡への登り口


一乗山城跡登り路


一乗山城跡第2平坦部(下より)


一乗山城跡登り坂(第2平坦部へ)


一乗山城跡登り坂(第3平坦部へ)

 これより先へは、草木が茂り侵入は諦めました。秋口過ぎに再度試みたいと思いました。


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6 コメント

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考えてもみませんでした (路傍の石)
2020-06-13 12:29:40
 何度も常国寺へは、お参りしましたが、
全く気付きませんでした。
 次回、お尋ねする際には、再度確認しながら、
参拝させて頂きます。
 新たな見方をさせて頂き、有り難う御座います。
 確かに、お寺の参道の石垣には、すごいなと思いながら、お寺には似合わないな、と感じていました。
 面白い視点で、再度伺いたいと思いました。
私も、驚いています (遍照)
2020-06-14 11:44:57
 路傍の石 さん
 全く気に留めていなかったのですが、ある本に出会い、見直すと、新たな面が浮かび上がり、興味が
湧きました。
 是非、取り組んで見て下さい。別の見方に取り付かれますよ!
石垣には、興味があります (路傍の石)
2020-06-24 12:06:24
私も、石垣には興味があり、何か取っ掛かりを考えて
いました。
今回この様な、関わりが持たれて楽しみが増えました。
面白く取り組んで見たいと思います。
少しでも、参考になれば (遍照)
2020-06-24 15:27:09
路傍の石 さん

石垣関連に少しでも参考になれば、幸いです。
結構奥深く、調べ甲斐がありますよ!
麒麟がくる、盛り上がりましたね。 (風の善さん)
2021-02-07 17:15:59
 凄い!将軍・義昭との繋がりが又増えましたね。
将軍の供養塔にしては少し寂しい気がします、これは供養塔の上部だけでしょうか?
案内の道標は新しいですが、いつの建造でしょうか。
供養塔についての解説版も欲しいところですね。
最近の写真が入手できましたら、お願いします。
返信が遅れて申し訳ありません! (遍照)
2021-02-18 15:54:31
風の善 さま

返信が遅れて申し訳ありませんでした。
大河ドラマも終わってしまいましたね。
備後鞆の浦では、足利義昭に関する、鞆幕府について、大盛り上がりで、今までの歴史観が吹っ飛んでしまいました。
通説での「鞆幕府」廃止には、大きな異論が提示されています。
新たな、本能寺の変の明智光秀についても、四国説が大きな核心が提示されています。
大河ドラマが終了しても、真実の歴史探訪は、続いています。
新たな歴史観が生まれると、ますます面白くなりますね!

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