みなさんこんにちは!
ワンポイントストアドットコムスタッフブログへようこそ!
以前、大動脈願望について考えてみたんだけど、
わたしが常々不思議に思っていることに
「あれば良いのか?」ということがあります。
例えば。小さい子どもはミルク(母乳)が命綱なんだけど、
ではミルクをあげれば、ミルクをあげるのは誰でも良いのか?
というと違うんじゃないかな~と思う。
男性も育児をするのはアタリマエの時代ですが、
ミルクをあげるという行為には、
母性が関わってくるんじゃないかと思うのです。
子どもの成長には母性と父性の両方が必要で、
ただし母性=母、父性=父なのかと言ったらそうではなく、
母性を男性やお婆ちゃまや兄弟が担っていても良いんだけど、
とにかく母性と父性をそれぞれ担当する人物が
各々必要なんじゃないかなーと思うの。
子どもにとってはやはり、ミルクを貰ったりオシメを変えてもらったり、
ごはんをつくってもらうのは、母性に担当してもらった方が
精神的に安定するのではないかと思います。
ミルクさえもらえれば、オシメさえ変えてもらえれば、
誰でも良いのか、究極を言えばロボットでも良いのか?は
きっとそうでなくて、
「あなたには母性を。あなたには父性を。」と
子どもがそれぞれの担当を決めるのが自然なんだと思います。
毎日ミルクをくれるのがいつも決まったロボットであるとするなら、
子どもはロボットに母性を担当させるのかもしれない。
ただしロボットに自然と母性が備わることはないんだけど。
同じように。
栄養素だけあれば、それで良いのか?ってこともある。
ヒトに必要な栄養素とカロリーはこれくらです。と言われたら、
じゃあサプリメントで全て補えるのか?といったらそれは違うんじゃないか。
ヒトが人間であるのは、文化を持っているからで食は文化だ。
サプリメントやウィダーインゼリーやカロリーメイトが
洗練された最先端なイメージを与えるようだけど、
あれは違うと思う。
むしろ、人間の食事としては、文化的に最低ランクに位置すると思う。
カビなどの「微生物の餌」に近いものなんじゃないのか。
ウィダーやカロリーメイトをつくるための技術力は別として、
あれを食べるという行為自体に、文化はなんら介入してないと思う。
病院食を食べるとき、なぜか屈辱的な感覚を覚えるのは、
そのせいなんじゃないかと思う。
ところがどっこい。
だんだん世の中は「あれば良い」的なムードが漂っています。
わたしにはそれがとても不思議。
また「これだけあれば」というのも
常々不思議な感覚のひとつ。
例えば。フードファディズムという言葉がある。
意味は、
「食物や栄養が健康や病気に与える影響を過大に評価したり信じること」
なのですが、
平たく言うと「これさえ摂れば健康になれる」的なイメージを人に与えて
健康食品を売ったり、それを盲目的に信じて「そればっかり食べる」人のことを
さしているんだけど。
「健康はお金で買えます」「健康を買ってる」気分になることね。
そういう幻想に生きている人、生きたい人はたくさんいるねえ。
最近ではポリフェノール幻想ってのがありましたねえ。
ワイン=ポリフェノールとか言っちゃって、
ワインの文化を否定してしまって効果効能だけ信じてしまい、
健康になりたくてワインをたくさん飲みすぎて、
歯の裏真っ黒になったうえに健康を損なう現象とか。
「チョコレートにもポリフェノールがある!」と、
チョコの甘さや情緒的な文化は否定しておいて、
もはやチョコレートとはいえないポリフェノール含有量何%とかいう
シロモノを必死で食べちゃって、チョコが嫌い、チョコが不味い、
食欲も落ちて健康を損なう現象とか。
ポリフェノールって、イチゴにもゴマにも日本茶にも含まれているから、
なにもワインとチョコレートだけで必死で摂らなくても大丈夫だし、
もっと言うなら光合成する植物にはほとんど含まれているんだよね。
さらにポリフェノールの大義名分「抗酸化作用」というのは、
ポリフェノールだけに頼らないでも、いろんな食品が持ってるの。
みのもんたが流通界を牛耳る、
あるある大辞典が高視聴率をマークしつづけるなんてことは
ちょっと不思議な現象だと思うけど・・・。
「あれば良いのか?」と「これだけあれば」なんて幻想なんじゃないか?
そう思います。
「必要なもの」というのは、
文化の中に自然と(不自然じゃない状態で)備わっていて、
わたしたちはそれにことさらな理由を要求せず、
素直に生きていけば、それで良いんじゃないかな~。
違うかしら?
不思議だわ。
母性と父性については、とても気にかかっていることがある。
私は本当に常々不思議に思うんだけど。
「母の日」ってのが今、流通では「母」と言ってはいけない!
「お母さんありがとう!」みたいなコピーを使っているところは、
時代遅れで配慮が足りない、みたいなことを考えているらしい。
なぜなら、離婚率が増えて「母」がいない子が増えているから。だって。
「大事な人の日」などと言っている流通もありました。
?????
意味がわからん。
母の日というのは、「母性を褒め称える日」と考えても良いと思う。
ママがいないても、子どもはママ=母性と考えているはずで、
離婚した家庭であっても母性を分担している人は必ずいるはずだ。
お婆ちゃまかもしれないし、
パパかもしれないし、親戚のお姉ちゃんかもしれないし、
施設の保育士さんかもしれないし、学校の先生かもしれない。
隣に住んでいるニューハーフのお姉さんかもしれない。
もしかしたら、頭の中だけにあるママのイメージが
母性を担当しているのかもしれない。
「僕にとってのママ(母性)」で良いじゃない。
それをちゃんとみんなが認めてあげられるような世の中で良いじゃない。
単純に否定しちゃって良いの?
あなたを育ててくれた母性に感謝して
人間の母性の素晴らしさを認識するプロセスをなくしちゃって、
「少子化対策」も「男女平等」もなにもねーだろうと思うけど。
不思議だわ~