OnePointStore.com STAFFBLOG

旧★キャバリアのふく★ブログ

昨日と今日。

2006年08月31日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
ケータイから投稿しています。

本日は夜から打ち合わせがあり
今クライアントさんの会社に向かっている電車の中です。
上り電車なのでとても空いていて
冷房効きすぎです。
さっむーい。

昨日は本日使う資料を一生懸命つくるつもりが、
昼までオペラ「ラ・ヴォエーム」と「トスカ」を観てしまい、
昼から打ち合わせに2社伺って
最終電車で帰ってきました。

深夜、例のごとく、
ひ~え~っと企画を書き始めて
明け方ちゅんちゅん鳥が鳴く頃終わりました。

午前中のオペラ観賞が悔やまれます。
なにも昨日観なくても良かったのに。

でも無事に終わったので良かったです。

これからまた長帳場ですが
頑張ります!

来週後半まで、ノンストップだ~

十月は毎週末に食育イベントがあり、地方にも行けるので
それを楽しみに頑張ろうと思います。

充実しているけど
貧乏だわ~

消費はしてないから良いんだけど。
ではひとまず、この辺で!

INばっかりでOUTがない。

2006年08月30日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
ワンポイントストアドットコムスタッフブログへようこそ!

新聞社が運営するニュースサイトの
モバイル会員獲得キャンペーンの仕事がきました。
子どもと犬のテーマとは、ちょいと違うのですが、
ちょっと手伝ってみることにしました。
今、モバイルってどうなんだろう?って興味があったので。

「新聞を取るのがアタリマエ」な時代に育った私は、
NHKの受信料をちゃんと払うことと
新聞を取ることができてこそ世帯主。な感覚を持っておりますので、
一人暮らしを始めてみて、
そのどっちか、もしくは両方していなかった時には、
「あたしって、ちゃんとしてない・・」と、
ちょっと罪悪感みたいな後ろめたさがありました。
「だって必要ないんだもーん!」と言いながらも、
イマイチ開き直れない何か、があったのね。

しかーし。
今は新聞を取ってないのはアタリマエ世代が台頭しているんですって。
ニュースは新聞社から、ではなくて、
グーグルやヤフー、R25などのポータルサイトから、
トピックスを拾うのが一般的とか。

R25(若いビジネスマン向けの無料の雑誌)のモバイルサイトは
「ニュース足りてる?」というコピーでプロモーションしていまして、
また「ザ・ニュース」という携帯電話のサイト会員(無料)は、
ななんと400万人もの会員数がいるんですって。

ふ~ん。なるほど。

ちなみに。R25の言ってる「ニュース」ってなんだ?と思って
雑誌とモバイルを見てみたら、
ニュースというよりキーワード解説に近かった。
「コソボ紛争ってなんだ?!」とか、
「今なぜ靖国なのか?!」みたいな。
飲み屋で女の子にちょっとオトナっぽく
「その問題の根源はさあ~」などと披露するのが正しい使い方だね。
ニュースとは、モテるためのネタである。って感じ。

ヤフーとかグーグルのトピックスは、私もよく使いますが、
あれはニュースってより言ってる通り「トピックス」で、
新聞で言うところの見出しに近い。
どれどれ、とクリックしてみても、平たい内容しかないし、
これでニュースを読み解くってのは至難の業だと思います。
トピックスでニュースを読んでる気分になっているのかな?
自分も含めて、ですけど・・・。

んま。でも。
ニュースっていったら、
報道だけでなくてお知らせという意味もあるわけで、
政治的なものから「結婚しました」まで、ニュースなわけで、
「これがニュースだ!」って言い切ることができないだけに、
なおさら、今の時代、額面通りに受け取る素直な若者世代に向けては、
「これがニュースだ!」「これ以外はニュースじゃねー!」という
大上段からの物言いをしてやった方が、ウケルのかもしれない。

「ニュース読んでる?」
「うん、ヤフトピで。」
「ばーか、そんなのニュースじゃねーよ!これ読め!」みたいな。
その方が、素直な若い世代は
「え、そうなの?はい、わかりました。」って言ってくれそうだ。

映像の編集なんかでは「ザッピング」という作業があって、
平たく言うと、
同時にいくつもの画面をバンバン切り替えて見ていく技ってのかな。
職人みたいな人もおられるんだが。
今はTVのチャンネルをちょいちょい買えていくつもの番組を同時に
見ている人とか状態もザッピングって言ってるようですけど。
それは流行りみたいですね。

だから「昨日なに見た?」と聞くと、
同じ時間帯の番組名をいくつも上げる人もいるんだねえ。
そりゃ「眺めた」とか「通り過ぎた」だけで「見て」はいねーなと
私は思うんだけど、「見かける」ことを「見た」と思うんだろうな。

例えば仕事で、Aさんをブッキングしたいんだ~と言うと、
「俺、Aさん知ってます。」と言うので、
「Aさんてどんな人?」と聞いたり「ではアポイントを」と頼むと、
実は蕎麦屋ですれ違っただけ、みたいなことがある。
そりゃ「知ってる」って言わねーだろう?!

でもそんなことが今はしょちゅうある。
平気である。
平気である、ってところがムカつく。
恥を知れ、恥を!などと思うが
が、彼にとってみれば、「知ってる」んだろうねえ。

んま。そういう感じで、今のニュースの捉え方ってのは
質より数、なのかもしれない。

そんな時代にあって、ニュースってのは今は、
見出しだけとれれば、満足なものなのかもしれない。
誰が発信しているのか?つまり、
新聞社の見解とか信頼性とか主義主張・哲学などは、
あんまり必要とされていないのかもしれません。

質より数。
そんなのってさー、INばっかりでOUTがねーよ。
気持ち悪くなーい?
などと言うのは、「古い」のかもしれません。

と、なってきますと。
わたくしのような天邪鬼は、
その若者感覚に迎合するようなプロモーションの企画は
是が非でも避けたい!!!と思ってしまうので、
「早くて安くてたくさんあって女にモテル」的なプロモーション企画の方が
どうやったってクライアントに受けそうなのは分かるんだけど、
「ばーか、そんなのニュースじゃねーよ!これ読め!」とか
「その程度でニュース読んでるとか言ってんじゃねーよ、ばーか!」とか、
そういう骨太で荒っぽいタイプのプロモーションを
考えたくなる傾向がございます。

自分のことは棚にあげて。

そして、振り返ると誰もついてこない。

怖っ!

気をつけよう。
ソフトでライトな感じ?

そんなんで行かないとね。
オトナだし。

嫌だけど。

でも。
まかり間違って通るかもしれないから、
一案くらいは混ぜておこうかな。

だってさー。
つまんないんだもーん!

あれば良いのか?これだけあれば。

2006年08月29日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
ワンポイントストアドットコムスタッフブログへようこそ!

以前、大動脈願望について考えてみたんだけど、
わたしが常々不思議に思っていることに
「あれば良いのか?」ということがあります。

例えば。小さい子どもはミルク(母乳)が命綱なんだけど、
ではミルクをあげれば、ミルクをあげるのは誰でも良いのか?
というと違うんじゃないかな~と思う。

男性も育児をするのはアタリマエの時代ですが、
ミルクをあげるという行為には、
母性が関わってくるんじゃないかと思うのです。

子どもの成長には母性と父性の両方が必要で、
ただし母性=母、父性=父なのかと言ったらそうではなく、
母性を男性やお婆ちゃまや兄弟が担っていても良いんだけど、
とにかく母性と父性をそれぞれ担当する人物が
各々必要なんじゃないかなーと思うの。

子どもにとってはやはり、ミルクを貰ったりオシメを変えてもらったり、
ごはんをつくってもらうのは、母性に担当してもらった方が
精神的に安定するのではないかと思います。

ミルクさえもらえれば、オシメさえ変えてもらえれば、
誰でも良いのか、究極を言えばロボットでも良いのか?は
きっとそうでなくて、
「あなたには母性を。あなたには父性を。」と
子どもがそれぞれの担当を決めるのが自然なんだと思います。

毎日ミルクをくれるのがいつも決まったロボットであるとするなら、
子どもはロボットに母性を担当させるのかもしれない。
ただしロボットに自然と母性が備わることはないんだけど。

同じように。
栄養素だけあれば、それで良いのか?ってこともある。
ヒトに必要な栄養素とカロリーはこれくらです。と言われたら、
じゃあサプリメントで全て補えるのか?といったらそれは違うんじゃないか。
ヒトが人間であるのは、文化を持っているからで食は文化だ。

サプリメントやウィダーインゼリーやカロリーメイトが
洗練された最先端なイメージを与えるようだけど、
あれは違うと思う。
むしろ、人間の食事としては、文化的に最低ランクに位置すると思う。
カビなどの「微生物の餌」に近いものなんじゃないのか。

ウィダーやカロリーメイトをつくるための技術力は別として、
あれを食べるという行為自体に、文化はなんら介入してないと思う。

病院食を食べるとき、なぜか屈辱的な感覚を覚えるのは、
そのせいなんじゃないかと思う。

ところがどっこい。
だんだん世の中は「あれば良い」的なムードが漂っています。
わたしにはそれがとても不思議。


また「これだけあれば」というのも
常々不思議な感覚のひとつ。

例えば。フードファディズムという言葉がある。
意味は、
「食物や栄養が健康や病気に与える影響を過大に評価したり信じること」
なのですが、
平たく言うと「これさえ摂れば健康になれる」的なイメージを人に与えて
健康食品を売ったり、それを盲目的に信じて「そればっかり食べる」人のことを
さしているんだけど。
「健康はお金で買えます」「健康を買ってる」気分になることね。
そういう幻想に生きている人、生きたい人はたくさんいるねえ。

最近ではポリフェノール幻想ってのがありましたねえ。
ワイン=ポリフェノールとか言っちゃって、
ワインの文化を否定してしまって効果効能だけ信じてしまい、
健康になりたくてワインをたくさん飲みすぎて、
歯の裏真っ黒になったうえに健康を損なう現象とか。

「チョコレートにもポリフェノールがある!」と、
チョコの甘さや情緒的な文化は否定しておいて、
もはやチョコレートとはいえないポリフェノール含有量何%とかいう
シロモノを必死で食べちゃって、チョコが嫌い、チョコが不味い、
食欲も落ちて健康を損なう現象とか。

ポリフェノールって、イチゴにもゴマにも日本茶にも含まれているから、
なにもワインとチョコレートだけで必死で摂らなくても大丈夫だし、
もっと言うなら光合成する植物にはほとんど含まれているんだよね。

さらにポリフェノールの大義名分「抗酸化作用」というのは、
ポリフェノールだけに頼らないでも、いろんな食品が持ってるの。

みのもんたが流通界を牛耳る、
あるある大辞典が高視聴率をマークしつづけるなんてことは
ちょっと不思議な現象だと思うけど・・・。

「あれば良いのか?」と「これだけあれば」なんて幻想なんじゃないか?
そう思います。

「必要なもの」というのは、
文化の中に自然と(不自然じゃない状態で)備わっていて、
わたしたちはそれにことさらな理由を要求せず、
素直に生きていけば、それで良いんじゃないかな~。

違うかしら?

不思議だわ。



母性と父性については、とても気にかかっていることがある。
私は本当に常々不思議に思うんだけど。

「母の日」ってのが今、流通では「母」と言ってはいけない!
「お母さんありがとう!」みたいなコピーを使っているところは、
時代遅れで配慮が足りない、みたいなことを考えているらしい。

なぜなら、離婚率が増えて「母」がいない子が増えているから。だって。
「大事な人の日」などと言っている流通もありました。
?????
意味がわからん。

母の日というのは、「母性を褒め称える日」と考えても良いと思う。
ママがいないても、子どもはママ=母性と考えているはずで、
離婚した家庭であっても母性を分担している人は必ずいるはずだ。

お婆ちゃまかもしれないし、
パパかもしれないし、親戚のお姉ちゃんかもしれないし、
施設の保育士さんかもしれないし、学校の先生かもしれない。
隣に住んでいるニューハーフのお姉さんかもしれない。
もしかしたら、頭の中だけにあるママのイメージが
母性を担当しているのかもしれない。

「僕にとってのママ(母性)」で良いじゃない。
それをちゃんとみんなが認めてあげられるような世の中で良いじゃない。

単純に否定しちゃって良いの?

あなたを育ててくれた母性に感謝して
人間の母性の素晴らしさを認識するプロセスをなくしちゃって、
「少子化対策」も「男女平等」もなにもねーだろうと思うけど。

不思議だわ~

ツェねずみ。と、猫の事務所。

2006年08月28日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
ワンポイントストアドットコムスタッフブログへようこそ!

最近、宮沢賢治を何冊か読み直す機会があって、
あらためて宮沢賢治の奥深さに、じーんときました。
小さい頃は気が付かなかった発見がたくさんありました。

好意はありがたく受け取っておいて、
あてが外れると、
「まどうてください。まどうてください。」と言い続ける「ツェねずみ」の話。
ねずみとりが針金を「りゅうりゅう鳴らす」ほど怒る場面や、
ウンザリしたイタチが投げた金平糖を、
おじぎをして受け取る懲りないツェねずみの姿に、
うんうん、こういうことってある。と共感しました。

「猫の事務所」は、
若い猫が「入りたがってばたばたする」ような職場なんだけど、
そこでは意地悪とか邪推とか手柄が欲しいとか、
そんなどうでも良いことで
「かま猫」さんをシクシク泣かせて面白がっている猫がいます。

事務所の所長は最初「かま猫」さんをかばっていますが、
「かま猫」さんをウットオシイと思っている猫達に、
「あなたの地位を、かま猫が狙っていますよ。」と嘘を吹き込まれ、
所長はそれをすっかり信用して、「かま猫」さんに意地悪するのです。

それを見ていた獅子が「ええい!」と事務所の解散を命じます。
賢治は物語をこう締めくくります。
「こうして事務所は廃止になりました。
 ぼくは半分獅子に同感です。」

思わず笑ってしまいました。
わたしも半分、獅子に同感です。

賢治はいつも物事には二つの側面がある、と言っているように思います。
真実は一つではない、と言っているように思います。

ある人からみたら本当でも、ある人からみたら嘘だったり。
ある人からみたら弱者でも、ある人からみたら権力だったり。
ある人からみたら正義でも、ある人からみたら暴力だったり。
ある人からみたら利益でも、ある人からみたら損だったり。

もともと一つではないものを、
「どっちが正しいか」「どっちが正義か」「どっちが損か」と言い争うことは、
そのこと自体、滑稽なことだと言っているような気がします。
「どちらが正しいか」なんて議論はカタハライタシ。ってとこでしょう。
養老先生は「馬鹿の壁」って言いましたが。

そういう議論に巻き込まれないように
誠実に生きるには、どうしたら良いか?を考えた時、
利害から離れて暮らすという方法は、ひとつあるかと思います。

「雨ニモマケズ」です。

だけど。
都会で暮らしていたら中々そうは行かない。

ならば、どうするかと考えますと、
やっぱりカタハライタい争いをしなくて良い環境を
自分で作って行くしかないのではないかな~。

「砂漠の知恵」では、

「自分の義しさに自信を持つな。
 過ぎ去ったことにはくよくよするな。
 自分の舌と腹を統御せよ。」と言っています。

「悪い奴から遠ざかり、口をしっかり閉じておけ。」とも。

でもさ~。
そうは言ってもさ~。
ムカっと来るとついクチが出ちゃうんだよね~。
(昔は”手”まで出していたけど。)

そこをググっと堪えて
「おほっほ。カタハライタシことよのお。」と平然としていられるような
デッカイ器が欲しいもんです。

名誉とか手柄とか儲けとか、
そんなもんは、いっくらでも欲しい奴にくれてやるんだけど、
カタハライタい争いを吹っかけられた上に、
「あなたは信用できません。だけど私のことは信用してね。」みたいな
無茶苦茶なことを言われると、コテンパにしてやりたくなるほど腹が立つ。

まだまだ修行が足りませんねえ。

表層的・副次的なものではなく・・・。

2006年08月27日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
ワンポイントストアドットコムスタッフブログへようこそ!

今度のコンペは社長プレゼンなので、
社長の思い(命題の本質)をずーと考えていました。
社長はどうなりたいんだろう?って。

暗中模索の日々がただただ過ぎて、
うーんそろそろマズイ、時間がない、という状況の中、
わたしの大師匠が道筋を明るく照らしてくださったお陰で
なんか見えてきた気がします。

リーダーシップを発揮して偉大な企業になりたいんだなと。
それには何が必要かということを考えたとき、
コンペの命題に行き着いたんだろうなって。

わたしの大師匠は、偉大な企業へ行き着くまでの道順・方法論を
馬鹿なわたしにも分かり易く示してくれましたので
なんとか企画は(手伝ってもらえれば)書けそうなのですが、
私の中で、
では偉大な企業ってなんだろう?
偉大な企業でリーダーシップを発揮するってどういうことだろう?
という疑問が立ち上がりました。

そこでジェームズ・C・コリンズの「ビジョナリーカンパニー特別編」を
読んでみようと思い立ち、今読み終えたところです。

その本は、組織の「偉大さ」をこう定義しています。

偉大な組織とは、優れた実績をあげるとともに、
長期にわたって際立った影響力を社会に与える組織である。

実績(売上)が好調なだけでは良い(Good)組織に過ぎず、
偉大(Great)ではない。
長期にわたって際立った影響力を
社会に与え続けなけることが必要なんですね。
ふむふむなるほど。

またリーダーシップに関しては、
リーダーに対して「ノーといえる理由を無数に持っている」人達を
多く抱える社会セクターでのリーダーシップに学ぶ必要がある。
従う以外に選択肢のない場合には、
リーダーシップは実施されていないといっています。

それは力の行使であって、
たとえば、拳銃を頭に突きつければ(解雇をチラつかせるとか)、
自発的にとるはずのない行動を相手にとらせることができるけど、
それは力の行使であって、リーダーシップを発揮しているわけじゃないと。

うーん。確かに。

本ではガールスカウトを例にとり、リーダーシップの在り方について
こう述べている。

何百の支部があり、それぞれに理事会があり、
65万人のボランティアが活動している巨大組織にあって、
その指導者である事務局長には、完全な決定権を持たない。

つまりいくらでも「ノー」と言える自由を持った人達の中で、
中央集権型組織の責任者のような力を持たないまま、
偉大な組織への変革を指揮した事務局長ヘッセルバイン氏のような人こそ、
優れたリーダーシップの持ち主だというのである。

ヘッセルバイン氏は言う。
「力はいつでもある。どこにあるかが分かっていれば、いつでも使える。
 包容力がもつ力、言葉の力、利害や関心の一致による力、
 提携の力などがある。
 利用できる力は周囲にいくらでもある。
 
 ただし、すぐに使えることはめったにないし、
 目にみえることもめったにない。」

なんだか「ゲド戦記」の魔法使いみたいですね。
魔法(力)を極力使わないように、使わないようにして、
偉大で在り続けるハイタカ(ゲド)は、大賢人と呼ばれてましたし。

戦争による力の行使ではなく、
「大義を四海へ」しくことで世界から尊敬される国となれと説いた
富国論の横井小楠の考え方にも似ているような気がします。


そして同時に。
例え拳銃を突きつけられても
嫌なものは絶対に嫌!と言うわたくしみたいな頑固者は
つくづく、組織にとってはウットオシイ存在だったろうな~と
思いました。
リーダーは大変だな~と思います。

さて。
そんな力の行使がままならない状態で
リーダーシップを発揮するために、
リーダーがメンバーに用意しないといけないものとはなんでしょう?

それは。「純粋な生きる目的」なんだそうです。

目的が純粋であればメンバーは、
どのような活動でも情熱と使命感を燃え上がらせる力を持っている。

そして(社会セクターの)偉大な組織にとって重要なのは、
資金力そのものよりも、
使命の達成につくす適切な人材(企業の資源)を引きつけ選抜し、
バスに乗せること。だそうです。

これらな一番になれる!と信じ、
それが世の中に良い影響を与えること(目的)を信じ、
使命感と情熱を持ってコトに取り組み、
結果を出すことによって達成感を得る。

これを繰り返すことで、車輪がゆっくり動きはじめ、
徐々に加速して行くことでGoodを突破しGreatへ飛躍するってことですね。

良い給料・良い暮らし・地位と名誉といったことは
あくまでも表層的・副次的なことであり、
使命感と達成感こそが偉大な組織になる原動力となるってところに、
とても共感を覚えました。

「偉大な組織とは、優れた実績をあげるとともに、
 長期にわたって際立った影響力を社会に与える組織である。」

なるほどね~。

冷めない人達。

2006年08月26日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
ワンポイントストアドットコムスタッフブログへようこそ!

今日はコンペのオリエンがあり神楽坂まで行ってきました。
今回のコンペのクライアントは、
私のテーマである「子どもと犬」ではないのですが、
クライアントさんに義理もありまして、
有り難くお受けするのが筋ではないかと思って出掛けたのですが、
プレゼンテーションが来月頭と聞き、
ううう~んと唸ってしまいました。

ううう~ん。

来月頭には別のクライアントのコンペがあり、
わたくしにとっては初チャレンジの難関ですので、
そいつと同時進行はいかにもキツイ。

ここまでならできますけど、
ここは無理です。だからなんとかここまでの
ピンチヒッターとして参加させて頂けないかと
お願いしてきました。

そしてその後。
仕事がまたパツパツなのに、
敬愛するGOさんと飲みの約束をしていたので
神楽坂で飲んで、さらに渋谷のBarにまでお供しました。

そこのBarというのが、ほんとに隠れ家みたいな店で、
看板は出てないし玄関はどう見ても非常口にしか見えないようなお店。
オーナーがエディトリアル系のクリエイターで
店長が映像クリエイター。
本業はみんなちゃんと持っていて、夜はBarを経営みたいな、
そんな感じのところでした。
お客さんもクリエイターさんばかりだそうです。

業界人ばっかり。

店内はギャラリーあり、プロジェクターあり、
マックあり、ギターもあり。
ライブやったりもできるそうです。

なんかみんなカッコイイのです。
お客さんもお店の人も。

わたくし。とても浮いていたような気がいたします。

サイケデリック(で良いのかな?)な設えのトイレで、
便座に座って思いました。

「40代後半から50代前半くらいの男の方ってのは、
ほーんと遊んでるよなー」って。

遊び呆けているってことじゃなくて、
ちゃんと遊んでるって言うんですか?

「それ面白いじゃん!一緒にやろうよ!」ってノリで、
本気で遊べちゃう体力とお金があるからできるんでしょうけど。
良い時代に生きて来たってのもあると思います。

わたしとはちょうどひとまわり上の世代には、
ビートルズがいてディープパープルがいて、
ジミー・ヘンドリクスもいて、クイーンもいて。

サイケデリックミカバンドもいて、
イエローマジックオーケストラもいて、
オフコースとサザンがいて。

デザイナーズブランドを立ち上げて、
ハマトラがいて、サーファーがいて、
バブルも経験してと。

とても元気に青春を楽しんで生きてきた時代の人達で、
それでもってバブル以降も、
「いろいろあったけど、やっぱりオモシロイことやろうぜ~っ」てな感じで、
そのまま元気に活躍している感じがします。

クールなことに熱心。熱くクールを語ると言いますか。
冷めない人達。
いつまでたっても青春してる感じ。

オヤジが元気と言いますが。
貪欲に楽しむ世代が、40代~50代の人達だな~と思います。
一緒に遊ぶとオモシロイ。芸達者。

そして。
40代~50代のオジサンの良いところは、
彼らの良い感じの油の抜け具合でしょうか。

元々「女にモテたい」から始まった芸達者ぶりが、
体力の衰え(って言ったら怒られるけど)とともに、
次第にそれが第1目標ではなくなってきて、
「やっぱ男同士で遊ぶのってオモシロイよね~。
 でも女の子もウェルカムよ~ん。」てな感じの抜け具合が、
わけのわからない懐の深さを醸し出しているように思う。

30代以降のわたしたちの世代はどうかしら?
宮崎駿がカルピス(またはハウス)劇場で創ったアニメで育った世代。
それからアイドル全盛とガンダムぐらいよね。
あとはゲーム?
お家系のカルチャーですね。
40代の人が創ったもので、有り難く遊ぶって感じ?

20代以降となると、もはや私には分かりませぬ~。

わたしが会社の飲み会にことごとく出なかったのは
ツマンナイからで、
な~んかちっちゃくまとまってるというか、
身内の話に終始していて毎回型どおり。
お店が変わるだけで、メンバーも盛り上がり所も一緒。
「お約束」の世界。
なにが面白いのかさっぱり分からなかった。

今思えば。
青春オヤジがいなかったんだねえ。
若い会社だから仕方ないのかも。

若い子はもっとオヤジと遊んだ方が良いね。
若さにあぐらかいてないで、オヤジのアドバンテージを素直に認めたが良いかも。
オヤジもオヤジ同士で遊んでないで、若い子の面倒見てくれなきゃ。
世の中面白くならないね~。

ハチドリのひとしずく。

2006年08月25日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
ワンポイントストアドットコムスタッフブログへようこそ!

「ハチドリのひとしずく」という絵本をご存知でしょうか?

南米アンデス森。
動物達の住むその美しい森が、火事になります。

ハチドリは、森の火事を消そうと、
一滴の水を森へ運びます。
何度も。何度も。一滴づつ。

森から逃げた動物たちは
「そんなことして何になるのだ」と笑います。

ハチドリは、
「私は、私にできることをしているだけ」と答えます。

お話はこれだけ。
たった十数行のお話です。

だけどとても、とても大事なことを教えてくれます。

「今できることをやるだけ」
それ以上でもそれ以下でもない。


環境問題解決への糸口として読むのも良し。
人生哲学として読むのも良し。
スランプ脱出のための指南書として読むのも良し。

今抱えているいろんな不安に対して、
答えを与えてくれる本だと思います。



どんな途方もない目に合おうとも、引き受けるしかない。
誰かを責めるのでもなく、自分の運命を嘆くのでもなく、
今できることを淡々と、一生懸命やるってことが、
「潔く生きる」ってことだと思う。

スランプになっても、毎日一歩でも半歩でも良いから前に進む気持ち。
借金があっても、毎日100円づつでも良いから返す気持ち。

その気持ちがあれば、自ずと開けてくるのが人生だと。
わたしは思います。




ハチドリのひとしずく いま、私にできること

光文社

絵も素晴らしいです

タクシー運転手さん。

2006年08月24日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
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仕事柄タクシーをよく使います。
タクシーの運転手さんにはプロとして最大の敬意を払っており、
いつも低頭に「何処何処までお願いします。」
「どうもありがとうございました。」と
丁寧に丁寧に接します。

そして私は運転手さんから話しかけられ易いタイプです。
タクシーの運転手さんに、息子さんが大変優秀だとか、
親戚がみんな地元の名士だとか、
昔は超一流会社にいたとか、大金持ちだったと言うような話を
よくされます。

真偽の程は別として。
私はどんなに疲れていても、そのお話を有り難く聞き、
素晴らしいですねと相槌を打ち、
車内が快適であるように努めます。

別にそこまで気を遣わなくても良いのかもしれませんが、
運転手さんにはプロとしての敬意を払いたい。

が。
敬意を払っている相手が、プロとしてどうだろう?ってときは、
ムッカーと来ます。

昔は「何処何処までお願いします。」と言っても返事がないようですと
それだけでムッカーと来て
「モシモーシ!聞こえてます?」と意地悪く聞いたもんですが、
今は都内のタクシーの運転手さんは皆さまマナーが良く、
返事をしないなんて人は滅多におりませんし、
「どの道を行きましょうか?」と聞いてくれたり、
「空いてる道で行ってください。」と言うとチェっとか舌打ちするなんて奴も、
随分減りましたので快適です。

しかーし。道を知らない人は多い。
わたしの知っている社長さんは、茅場町で「丸ビルまで」と言って
「丸ビルってどこですか?」と聞かれたとか。

それはプロとして、如何なものかと思います。

わたしもオトナになったので、
ムッカーときたら「止めて!」って言って即降りるなどの
実力行使をすることもなくなりました。昔は随分やりましたが。

どー考えてもアリエナイような遠回りされても、
「ん?運転手さん、それはヤリスギでしょ。そこ左戻りましょう。」と
優しく静かに言うくらいです。

そんなわたくしですが。
この間は久々にムカーっとしました。

神楽坂から乗ったときです。

「後楽園までお願いします。」
「後楽園てドームで良いの?」
「いや、営団(東京メトロ)に乗りたいんで、区役所の方に着けてください。」
「地下鉄の駅?」
「そうです。地下鉄の後楽園駅です。」

「タクシーの運転手って電車乗らないからさー、
 地下鉄の駅って言われてもわかんないんだよねー。」

ムッ!

「丸の内線の後楽園駅って言ったら分かりませんか?」
「まあそんぐらいは分かるけどサー。
 地下鉄駅ってったら、都内にスゴイ数あるからさー。
 覚えきれないよー。」

ムムッ!

「いやこないだなんかねー。オバサンが乗ってさー、
 オバサンだからさ、バスの停留所の名前言うんだよ。
 停留所なんて分かるかよってんだよねー。
 オバサンは困るよー。
 お客さんもそう思うでしょ。」

キー!
あたしもオバサンじゃー!オバサン、オバサン言うなー!
「止めて!」って言おうかと思いましたが
私もオトナになったので、低い声でこう言いました。

「勉強してください。」

「ええー!停留所なんていくつあると思ってんのー
 そりゃ無理だよ~。そう思うでしょー。」

「しっかり勉強してくださいね。」

「・・・・。」

ふん!あまったれんじゃねーぞ!
誰が同意なんてするもんかっ!ぺっ!ぺっ!


またこんなこともありました。
「東京フォーラムまで行ってください。」
「フォーラムね。はい。どっち側着けます?」
「フォーラムの地下に用事があるんで。
 どっち側でも良いですよ。着けやすい方で。」
「じゃあヨドバシ側は混んでるんで、東京駅側でも良い?」
「良いですよ。お願いします。」
「悪いね~」
「いいえ~。私もすごく急いでいるんで大丈夫です。」

そしてフォーラムの付近まで来ました。
「お客さん、フォーラムの向かい側に着けても良い?」
「良いですよ。信号の所で降ろして頂ければ、信号渡って行きますから。」
「悪いねえ。そうしてくれる?」
「はい。良いですよ。私も急いでいるんで。その方が良いです。」

フォーラムまであと500メートル程の所まで来ました。
「お客さん、その角で止めちゃ駄目?」
「え?どうしてですか?」
「そこ左曲がると、帰り道が楽なんだよねー」
ムカッ!

「駄目。フォーラムの向かいの信号までお願いしますっ!」

こっちは急いでるんだー!調子に乗るなー!


プロなんだからさ、しっかりしなさーい!
もうちっと自覚と誇り持って仕事しよーぜ。
と、思います。
切実に。

ま、そんな人は、
昔と比べてとっても減りましたけどね。
特に都内は。

ひと川越えると、まだまだムッカー!が多いでやんすねえ。
どうにかならないもんでしょうかねえ。

指揮者とプランナー。

2006年08月23日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
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指揮者の金聖響さんがTVで、こんなこと言ってました。

「楽譜を何度も読みこむ。何度も読むことでわかってくる。
 読む度にいつも新しい発見がある。
 楽譜を読みながらお茶を飲んでたりすると
 うっかり大事な楽譜にお茶のシミが着いちゃったりするんだけど、
 そのシミの位置まで暗譜してしまう。」

「自分は演奏家の演奏しようというモチベーションを下げるようなことは
 言わないようにしている。
 モチベーションが下がらないように、「ここはこう楽譜に指示してあるし、
 その楽譜が書かれた時代を鑑みると、こんな音じゃなかったかな?」とか、
 演奏家が「なるほど。そうだね。」と納得できるように話をする。

 指揮者がタクトでバンバンと楽譜を叩いて、演奏家に、
 「君~、そこは違うだろう!」などと偉そうに言ってるのを見ると
 よくあんなことできるなあと思う。君こそ違うだろうって。
 あんな風に振舞って、クビになるのは演奏家ではなくて、
 間違いなく指揮者の方なのに。」

「指揮によって自分のカラーを出したいなんて気持ちは全然ない。
 作品は作者のもの。
 自分は作者の表現したいことに忠実でありたい。
 楽譜に書いてあること、作者の表現したかったことから
 離れたくない。

 指揮者金聖響のベートーヴェン・第九なんて言われたくない。
 作品は作者のものだから。
 自分のやりたいのは、ベートーヴェンの第九だ。
 僕の第九じゃない。
 黒子の衣装を着て指揮したいくらいだ。」

聞いていて、広告プランナーに通じるものがあると思いました。
作品を商品に、作者を開発者に、演奏家をクライアントに、
指揮者をプランナーに、音楽を広告に置き換えても、
違和感がないなあ、と。

私の目指すプランナー像に、とても近いと思いました。
わたしはまだまだ金さんのようにはできないけどさっ。

自分の価値感や思い込み、やりたいことに理屈をつけて、
この広告はこんなプロモーションしかない、
こうじゃなきゃ駄目なんだと主張したり、
「あの商品は私がやったの。」というようなことを言ったりしたくない。

それって一見とても魅力的なんだけど、そうならないように、
そうならないように、気をつけようと意識して、
うっかり間違いを犯したときは、反省して軌道修正できるように、
冷静に自分を見たいと思う。

商品の本質を見たい。
商品の持ち主であるクライアントさんの表現したいことに
忠実でありたいと思います。

そこをちゃんと捕まえた上でゴールを設定して、
そこから決してブレないプランを創りたいな。
「これだっ!」ってモノを、クリエイターやスタッフと
切磋琢磨して創って行きたい。

「作品はクライアントさんのもの」を貫きたい。

「これは方向性が違うよね。ブレてないかな?」というのは
スタッフの内々で徹底的に議論して行くことが必要だと思うけど、
それが思い込みだったり、自分だけのチッポケな価値感だとカッコ悪い。

ましてや。
クライアントさんに「君たち!分かってない!そうじゃないだろう!」と
バンバン机を叩いて説教するなんて、とてもできませんなあ。

と。思います。

だけど世の中。なかなかそうじゃないんだよね~。
「あいつら馬鹿だからさ。何にも考えてねーよ。
 こうやったら売れるのに。話聞けってーの。」とか、
「そんなことやってるから、売れないんです!って言ってやったよ。」と
誇らし気に話すプランナーやクリエイターはたくさんいる。
掃いて捨てるほどいる。
そういうプランナーやクリエイターを、
カッコイイと感じたり、目標にしている人も多い。
驚くほど多い。

不思議だ。
長年ピンで仕事している先輩達にはいないけど。
私はそんな先輩達をとても尊敬している。

だけど世の中はそうじゃないことが多い。
不思議だ。

ん~でも。
クライアントもチームなので、
「○○部長は違うと思う。私は言えない立場なので、
 プランナーさん代わりにバッシと言って下さい。」と頼まれちゃう時もある。
その時は困りますねえ。
フォルテもピアニッシュモも書かれてない楽譜を
演奏してちょって渡されている感じ?
「勝手に書いて良いっすよ!」みたいなこと言われてもねえ。

そういう時に「OK。じゃあ勝手に書きます。」と引き受けても、
実際演奏してみせると「なんか違~う。」とか言われたりするのは
火を見るほど明らか。

しかし、とりあえず演奏して見せないと、
どうしたいのかが出てこない担当者もいらっしゃる。
それも結構たくさん。

そこが辛い。
クリエイターに対して、
駄目と分かっている表現を
「申し訳ないが、とりあえず書いてください」と頼むのが辛い。
そんなの誰だって、やりたくないもんねえ。

自分で書ければいくらでも書くのにぃ~!
そんなの屁でもないのにぃ~
絵と言葉の才能がちょっとだけで良いから自分にあったら・・。
なんでわたしはこんなに不器用なのかしら(涙)と思います。

完璧な楽譜があって、
音楽の基礎がある指揮者って、良いなあ。
金聖響さんと一緒にお仕事する人は楽しいだろうな~。

こういう人になりたいなあ。
しみじみ。

だがしかし。
そんなことを言ってすぐ苦悩しちゃう私に、
尊敬する先輩たちは言うのです。

商品(広告する対象)を、よーく見てごらん。
君に見えないだけで、フォルテッシュモもピアノも、
ちゃーんと書いてあるじゃない。
君の努力と経験が足りないだけ。
人のせいにしちゃ駄目~。

どーこー!どこに書いてあるのー!教えてー!!
お願いしますー(涙)!!!という私に、
「いとおかし~」と、いつも惜しみなくご指導くださる先輩達に
感謝、感謝の日々でやんす。

実は昨日も大師匠の基に駆け込んで
お忙しい中、ご教示いただいた。
真っ暗だ~と思っていたことが
師匠の目にはスッキリクッキリ見えてました。

ほんとスゴイ。

そしてあたしは、まだまだだなあ。

毎日出歩いているわたしは。実は・・・。

2006年08月22日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
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今日は食育のお仕事の打ち合わせで
茨城県の水海道まで行ってきました。
昨日はあるメーカーさんのコンペの打ち合わせがあり
銀座にいました。

実家から駅へ行って電車に乗る。
目的地で降りる。改札を抜けて仕事場へ。
ここまでは昨日も今日も全く同じプロセス。
所要時間もほぼ同じ。

なのに。
街の風景は、昨日と今日では全く違う。
それが面白かった。

仕事場について、食育プログラムの講師の先生に、
お昼をご馳走になり、撮影と打ち合わせをしました。
試食ですっかり満腹になり、
大師匠の車で都心までブイーンと帰ってきました。

その後。オフィスであれこれ打ち合わせをして、
また電車にのって実家まで戻ってきました。

今日は約200キロの距離を移動してたことになるのね~。
さすがにちょっとお疲れモード。

疲れってのは不思議だよね。
飛行機で1時間と、新幹線で1時間と、
車で1時間走るのとでは、疲労感が違う。
ただじっと座ってるだけなのに。
運動による消費カロリーは一緒でしょ?

飛行機で1時間移動する方が
おうちの周りを1時間散歩するより疲労感がある。
消費カロリーは歩いている方が高いだろうに。

最初は距離が疲労感と比例するのかと思ったのですが、
山手線を1時間乗るのと
京浜東北線を1時間乗るのとでは疲労感が違う。
また同じ京浜東北線でも、
自宅に向かって1時間進むのと、
自宅から1時間離れて行くのとでは、また違うような気がする。

もしかしたら「距離」ってのはHOMEを基点とした「距離」なのかも。
HOMEから遠ざかる程に疲労感が増すのかも。

仕事場がHOMEとなっている人は、お家に帰るのが疲れるのかな?

旅先でも。宿泊先が転々とすると疲れるけど、
3日間くらい同じ宿に逗留していると疲労感は薄くなって行くし。
3日間あれば、そこをHOMEと感じることができるのかしら?

だとしたら。
人ってHOMEの周辺に仕事場を持つことが自然なのかも。
農家とか酪農家とか近海漁師とか、個人商店とか。
そういう職業が、人として自然なのかもねえ。
職住共存という言葉もありますし。(それは違うか?)

遊牧民というのはHOMEの概念が広いのかも。
「グラウンドが俺のHOMEさ!」と言い切るサッカー選手は
何時間走り回ってても、肉体的な限界は別として、
疲労感は少ないのかも。

まあ、でも。
HOMEからの距離と疲労感の関連性は
あくまでも私の感覚でしかないので、
なんとも言えませんが。

ただそう感じるわたくしは、
家で仕事ができるようになったことで、
慢性的な疲労感からは開放されたような気がしています。

毎日都心に通っているときよりも
仕事量は明らかに増えましたが、疲労感は少ないねえ。
もちろん、仕事を選べるってこともあるんでしょうが。

もっと単純に。
わたしが極端な出不精なだけなのかもしれません。
「ひきこもり」の気があるのかも。。。

しょっちゅう出歩いているので
他人から言われたことはないんですけどね。

本質的にはひきこもりなのかもなあ。

実録「イタチ返し」

2006年08月21日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
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ある日の我が家の会話。夕食の後。

父:明日お仏壇を見に○○まで行きたいんだけど
  りなちゃん(私の名前)車を出してくれないかな?

私:うーん、明後日提出の仕事があるからな~
  でも今日は徹夜だろうし、明日の午前中はどうせ寝てるだろうから
  10時くらいに起こしてもらえるなら良いよ。

父:いろいろ勉強しなおして、ここが良いって所を見つけたの。
  木工屋さんで仏壇の製造もしているんだって。
  値段も安くて良いのがあるみたいなんだ。

母:でもこの前、O家具(大手家具屋さん)に行ったとき
  ここにするって言ったじゃない?
  それで次は、近所の仏具屋さんの方がお位牌の管理とか
  相談とかしてくれるから、
  やっぱり近所の仏具屋さんが良いって言ったじゃん。

私:近所でなくて良いの?

父:仏事の相談は別に仏具屋じゃなくて、お寺さんでも良いからさ。

母:(無言)

私:そうなんだ。それで良いの?

母:(無言)

父:とにかく。明日よろしくね。(と言って席を立つ)

母:(父が自室に入ったところを確認して・・・)
  なにアレ!言ってることがコロコロ変わっちゃってさ!
  そんなこと言うならO家具のでも良いじゃない!
  ねー!意味わかんない!
  コロコロ変わるくらいなら、最初から言うな!っての。

私:人の心は変わるんですのよ。
  「はなのいろは うつりにけりな いたずらに~♪」だよ。

母:そんなんじゃ意味わかんなーい。

私:それにこの前お父さん言ってたじゃない。
  お母さんには状況をいろいろと聞いてもらいたいんだって。
  それで理解して「分かった」って言ってもらいたいんだって。
  アドバイスとか反対意見は、欲しくないんだってさ。

母:冗談じゃないよ。そんな都合の良い。駄目なものは駄目。
  なんでも「良い、良い」って言えなんて、ふざけんなって言うの!

私:「ふざけんなっ!」だって。
  そんな汚い言葉を、どこで覚えてくるのかねえ。
  フラダンス教室でしょ?
  嫌だわ~。 
  河合さん(母のお友達)に言っておいて。
  「うちの母に、汚い言葉を教えないでくださいね」って
  娘が言ってたって。

母:ははは!河合さん怒るよ~。「あたしじゃないわよ!」って。

私:「ふざけんなっ!」って?

母:そうそう!

~TVで細木和子の特番が始まる~

私:うわ!和子だ。こいつ嫌~い!
  お母さん見たいんでしょ?和子好きだもんね~
  どうぞ~、私は2階行って仕事するから、ごゆっくり~

母:別に好きじゃないわよっ!
  「ああ言えばこう言う」から面白いの。

私:わたしは見るのも嫌。

母:なんで?

私:だって和子って、下種(げす)だから。

母:下種だって! 嫌だわ~ 汚い言葉~
  全く、どこで覚えてくるんだろうね、そんな言葉。
  会社?
  いつまでも結婚もしないで、外でフラフラしている娘は駄目ね。
  ろくなことないわね~

私:あら「娘」って?
  さっきは「あなたはもう娘じゃないの。オ・バ・サ・ン!」って
  言ってなかった?

母:「はなのいろは うつりにけりな いたずらに~♪」

私:・・・。さっ!仕事しよう。お母さんに付き合ってると・・・

母:さっ!洗濯しよう!りなちゃんに付き合ってると
  どんどん時間がたっちゃうわよ。無駄。無駄。
  お母さんは忙しいんだからね。
  スケジュールがいっぱいよー!


く、悔しい。
この方に勝てる日は、くるのだろうか・・・。

これな~んだ。

2006年08月20日 | 子供プロジェクト
みなさんこんにちは!
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この写真はなんでしょう?
ヒントは「夏のおいしい食材」です。

種類は「海藻」。うみのご馳走のひとつ。
匂いをかいでみると、
昆布やワカメのような磯の香りがします。

この海藻。
高知に住む叔母が海に行って自分で採ってきたそうです。
ということは。
浜からそんなに離れていない
浅瀬にも生えているってことです~

よーく見ると、太い幹から枝分かれした茎に
たくさんの針状の葉(?)が三角錐を描くように付いています。
モミの木のような感じ。

さてな~んだ?

答えは「天草」です。

シロっぽいですが、
なんでもこれは天草をとってから何日も干しておくと
自然と色が抜けてくるんだそうです。

天然の脱色していない天草ってのを初めて見ました。
珍しくって写真を撮りました。

今、母がお酢とお水と一緒に、大きなお鍋でコトコト煮ています。
トロトロになってきたらザルでこして、
ゆずなどの果汁を加え冷やし固めると
フルーツ寒天のできあがり~。

冷たくっておいしいよ~。

家の中に磯の香りが充満していて
海もないのに気分は「日本の海水浴場」です。

昨日も母がつくったフルーツ寒天を頂きましたが
「ゆずってより磯くさいね。」と思ったのは
この天草の香りだったんだね~。

現在ごはん道一直線である私は、
噛み噛み道一直線でもあるので、
磯の香りのフルーツ寒天を
噛み噛みして夏を乗り切ろうと思います。

茹でてこした天草ってね。
1回だけじゃなくて2、3回使えるんですって。
ちゃんと固まるそうですよん。

最近のグルメ。な~んかウサン臭くな~い?

2006年08月19日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
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グルメ番組と言いますか、美味しいモノを紹介する番組に
最近なんだか胡散臭さを感じるようになりました。

何が胡散臭いってリポーターが胡散臭い。
なんでもとりあえず目をつぶって食べるタレントとか
なんでもとりあえず「うっまーい!」というタレントとか。
食べる前から食べ物に対して「ヨイショしてやろう」という
意気込みが感じられるのが、どうにもこうにもいやらしい。
卑屈な感じさえします。

二十歳そこそこの女の子が語る「絶妙」とか「食感が」とか
「クチの中でふわっと広がる」等々のコメントが胡散臭い。
分かって言ってんの?なめんなよコラ。

この間もタレントが
「○○と○○って、お互いが溶け合ってますね。
 口の中で良いハーモニーを奏でてます。」などと言ってましたが。
「合う。」で良いじゃねーか。

そして夕方のニュースでは。
一般の主婦までもが、
「まったりさの中にもさっぱり感があって」
「さまざまな食感が面白い演出」などと仰っていて、
思わずのけぞってしまいました。

そして明らかに「それは混ぜたらマズイだろう」的な取り合わせを
「素材の組み合わせが新しい出会いを演出して…」などと言い出す輩もいる始末。

「良い(ちっとも良かないけど)コメント」と
「良い(ちっとも良かないけど)リアクション」をやってみせることに
誰もが勝負かけてるというか、血道を上げてるのはなぜ?

一体いつからなの?流行?

食べてコメント言った後の
「今の良かった?」みたいなお伺い感(誰に?何のために?!)が
セコイというかイタイんですけど。
味分かってんのかね?
胡散臭い。

ねえねえ。良く考えて御覧なさいな。
プロ料理人から見たらさ、いくらお客様だとはいえ、
料理のプロか真の食通(「真」のね)以外は素人同然だぜ。
子どもみたいなもんよ。

子どもに「この取り合わせは、クチの中で云々」とか言われたら、
「ははは…。で。お味は?旨いの?不味いの?どっち!」もしくは
「生意気言ってないで、黙って食べなさい。」って思わない?

そんなコメントより、
「美味しい!(ニッコリ)」や「ウッマー!」の一言が嬉しくない?
「これ美味しいね~(しみじみ)」とかさ。

コメントされちゃう料理人もお気の毒に…。
嫌な世の中になりましたねえ。
なむ~。

テレビ的に。
「旨い」じゃ分からない。どう旨いのか表現しなきゃ!と仰るなら、
味の分かる奴出せっつーの。

というか。
材料と手順と仕上がりのカットがあれば充分な気がする。
タレントはいらないな。

と。思いますので。
TVでそんなシーンになりそうな予感がした瞬間、
わたしはチャンネルを変えてしまうでやんすよ。
痛々しくて。

みなさまは如何?
胡散臭くな~い?

都営地下鉄でのできごとを2つ。

2006年08月18日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
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都営大江戸線をよく利用するのですが。
この夏の2つの出来事をご紹介します。

まずひとつめ。
改札での駅員さんとの出来事。

その日は猛暑でした。
わたしは例によって車内で読んでいた本の内容について
「あれはいったいどういう意味なんだろう?」と考えながら
大江戸線の長い長いエスカレーターを上っていました。
人も疎らのガランとした改札口に到着し、
考え事を引きずったまま自動改札を通過してからすぐ、
「?」と思いました。
改札機の先端からペロンと出ているはずのパスネットが、ない。
なぜ~?

ほとんど心ここにあらずだったので
無意識に定期入れしまったのかな?と、
定期入れを覗いてみましたが、パスネットはありません。
お財布にもな~い~。手にもな~い。

自動改札機を振り返り、パスネットがベロンと出てないかを
もう一度確認しましたがありません。

な~ぜ~?あたしの大事なパスネットちゃんは
どこへ?

で。改札脇のインフォメーションにいた
半眼で瞑想中の改札の駅員のおじさんに
「すみませ~ん」と声をかけました。

「あの~。自動改札機に入れたパスネットが、
出てこなかったような気がするんですが。
ちょっと調べてもらえませんか?」

駅員さん。
「出てこない? ああ。ちょっと待ってよ~。どの機械?」と
早速改札機の横の扉をバタンと開けて、すぐ見てくれました。

そしてこう言いました。
「お客さん。ここに入ってるよ。」

「ほっ。良かった~。なんで出て来なかったのかな?」

「取り忘れだよ。取り忘れ。
 ま、暑いからしょーがねーな。」だって。

「・・・。ありがとうございました。」

地上への階段を昇りながら
なんか釈然としなーい感覚を持ちました。
そりゃ仰る通り、あたくしは心ここにあらずでしたわよ。
でも自動改札機って、一旦通り過ぎちゃったら、
間髪入れずパスネットを呑み込んじゃうものだった?
ピンポ~ンと取り忘れをお知らせするチャイムが鳴るんじゃなかった?
あたし今、ピンポ~ン、聞いてないよお~。え~ん。
「暑いからしょーがねー」と勝手に許してくれたのが
なんか嬉しくな~い。なんか悔しーい!

教訓:自動改札とは お金を賭けたカルタ取りなり~
   敏捷に果敢に 取るべし!取るべし!


そしてもうひとつ。
駅のエレベーターでの会話。

大江戸線は改札がとにかく深いところ(地下4階とかざらです)にあるので、
わたしはよくエレベーターを利用するのですが。
その時は、老齢のご婦人2名と乗り合わせました。

改札階に着いたので、
一番年下である私が最後に降りるのが適当でしょうと思いまして、
ドアの延長ボタンを押したその時!
いや押すか押さないかのタイミングで突然。
ひとりのご婦人が、
「ボタンを押さないでっ!」と叫んだのです。

わたしはビックリ仰天し「えええ!」と思ったでやんす。
もうひとりのご夫人はビックリして、
エレベーターから逃げるように出て行きましたが
わたしはその叫んだお年寄りを押しのけては出られませんので
扉の脇で固まってしまいました。

叫んだご婦人はエレベーターから降りながら
「ボタンを押しちゃ駄目なのよ!どうしてそんなことするの。」と
わたしの方を見ながら降りましたので、
わたしも「しえ~、ドアが閉まっちゃうからよーん」と
ドキドキしながら彼女に続いて降りました。

そしたらそのご婦人がね。外で待ち構えていて。
「途中でドアが開いたらどうするの!危ないでしょ?」と言うのさ。

「?運転している途中でドアは開かないと思いますけど・・。」

「そんなことない!エレベーターは怖いんだから!」

「うーんだけど。あれはドアが開く時間を延長するボタンで・・・。」

「押したら開いちゃうの!
 下に落ちたらどうするの?事故があったら責任取れるの?
 公的機関なら倍賞してくれるけど、あなた個人じゃ払えないでしょ!」

「・・・・。」

「なんにも知らないで、無責任に危ないことして。
 ほんとに怖いわ。駄目じゃない!」

「・・・。人が降りているドアが途中で閉まったら、挟まれちゃいますね。
 そっちの方が怖くないです?」

「違う!押したら駄目なの!
 わたしはあのボタンを押されるのが、嫌なの!」

「ああ、”嫌”なんですね。それはごめんなさい。」

「書いてないことはしちゃ駄目なの!書いてないことは!」

「それは大変失礼しました。」とここで。
いつまで続くか分からないので、失礼させていただきました。
改札口まで一緒は辛いので、早足でね。

”嫌”なら”嫌”って最初から言ってくれれば、よく分かるのに。
すぐ謝ったのに。
”教え”っぽく言うからウッカリ「うーん、でも。」って
言いたくなっちまいました。
早く言ってよ~ん。

それにしても。気の毒だな。
あのお歳では階段は辛いだろうに、
エレベーターを利用する度に怖い思いをするなんて。

毎回「押さないで!」って叫ぶんだろうか?
そりゃまた大変だ。

階の途中で扉が絶対開かないってこともないかもしれないけど、
開いたらそりゃ大変なことだと思うけどな。
二枚扉の古いエレベーターなんかは、
たまに止まりかけから開き始めるってのも
あるにはあるけどね。

だけどどなたか「そうそう開かないから大丈夫よ」と
教えてあげて欲しいなあ。
じゃなきゃ辛いよね。毎回ドキドキするなんて。
シンドラーズリフトの影響か?

でもまあ。今後はこういう方もいるってことで
ドアが開いてから、ひと呼吸おいて、ボタンを押すことにしましょう。

そうそう。余談ですが。
よく「ドアの閉まるボタンを押すのは、せっかちな日本人だけ。
 欧米の方はそんなことしない。恥ずかしい。」と仰る方がおりますが。
そうでもないと思いますよん。
海外のエレベーターは日本のエレベーターと比べて
ドアが開いている時間が短いのが多いのよね。
日本のように
「どうぞ~。まだ~?いっちゃうよ~ん。
 挟まれないようにしてね~。大丈夫~?」って程には開いてない。
「閉まる」を押す機会が少ないんじゃないかな?

教訓:エレベーターとは都会のアトラクション めまい発生装置なり~

神様より怖い

2006年08月17日 | スタッフコラム
みなさんこんにちは!
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随分前のことですが。
パレスチナ出身でイギリスで教育を受け、
今はアメリカで生活している人と
一日浅草観光に出掛けたことがありました。
彼はイスラム教徒なので、イスラムの文化についていろんな話を聞きました。
そして彼からも日本の文化や宗教観について
いろんな質問をされました。

印象に残ったのは
「日本には神教があるでしょ?神教では人は死んだらどうなるのか?」という質問。
そう言われてみれば。
東洋の思想として輪廻転生というのは私は極々自然に受け入れていますが、
神教の「死後の世界観」については考えたことがありませんでした。

勉強不足で申し訳ないんだけど…。と前置きして
こんな感じで説明しました。

日本には天地八百万の神様がいて、
山の神、月の神、太陽の神、海の神、といった自然信仰と、
氏神様、そして数々の神話があって、
良い神様も悪い神様も外国の偉人や聖人までが
渾然一体となっている。
民話や伝説に基づく動物の神様もいる。

日本の神様というのは、日々の生活において、
良い行い、悪い行いがどんなものであるかを示し、
人々が幸せな人生を送るための知恵を与え、
尊敬され拠り所となる存在なんだと思う。

神教でフォーカスされるのは現世で、
結婚できますようにとか、
家族がみんな健康で幸せでありますようにといったことを人は祈る。
一般の人が亡くなったらどうなるか?ということについては、
日本人の場合、仏教の考えに基づいてるのでは?

そうしたら彼は。
「それは僕らの考え方で言うなら宗教というより文化ですね。」と言っていました。
なるほど。と思いました。
「死んだらどうなる?」は宗教観の大きなテーマなんですね。

「悪い神様も良い神様もいると言いましたが、
 人の悪い行いについて罰を与えるのはどちらの神ですか?」
とも聞かれました。

「日本の神様だけではないかもしれませんが、
 方位と吉凶という考え方はあります。方位は方角のことで
 この方角は犯してはいけないとか、この方角が宜しいとか
 そういう決まり事はある。凶は避けます。
 だけど、神様が自ら罰を与えるという話はあまり聞きません。」

「では良くない行いをしたとき、誰が罰を与えるのか?」

「ああそれは日本の場合、「世間」なんじゃないでしょうか?」

「一般大衆という意味ですか?」

「そうそう。日本は神様が目をつぶっても、世間が見ています。
 お隣さんとかご近所とか。だから気が抜けません。
 『世間体が悪い』というのは、神様の罰より怖いんです。」

「それは抑制が効いてますね。」

「だけど『旅の恥はかき捨て』って言葉もあります。」

「随分狭い世間ですね。」

「日本人はコンパクトですから。」

「ははは!」

「大らかであり狭くもある。両方です。
 どこが境界線なのか?それは私にもわかりません。
 日本の神様と一緒で渾然一体。矛盾には大らか。」

「なるほどね。やっぱり神教は文化だ。」

「うーんでも。勉強不足だから。これは私の考えね。」

さて。それから随分経ちましたが。
神様より怖い「世間体」を
怖がらない人が増えたような気がします。
日常も旅感覚なんでしょうか?
毎日良い旅夢気分ってなもんでしょうか?
そんなHAPPYでもないか。
絶対的な存在を求める傾向も、原因はここにあるのかも。

いやいやどうして。
世間様はやっぱり怖いのです。
あなどってはなりませぬぞ~