今日、生きているという奇跡

目が覚めたら肝臓取られちゃってたんです。劇症肝炎から生体肝移植へ。
何気なく生きている今日、それこそが奇跡なんです。

子供の願い

2006年02月27日 | 肝移植の記録
名古屋から東京に来ていた家族は

どこか病院の近くに宿をとっているらしかった。



ICUでは完全看護だったので、

他の家族は宿に戻ったのか病院内にいるのかはわからなかったが、

その時は個室でお姉ちゃんと二人きりだった。

私が眠るまでの間、お姉ちゃんと両親のことについてしゃべった。



「お父さんとお母さん、元通りになるといいね」

「そうだね」

「どうやってお父さんに連絡したの?」

「お母さんがお父さんの会社に電話して、

私がお父さんと新幹線で東京に来て、新幹線の中で

お父さんの肝臓が必要となるかもしれないことを話したんだよ。」

「お父さん、なんて?」

「『わかった』って言ってた。」

「お父さんに嫌われてたんじゃなかったんだね。

これを機にまた復縁するといいね。」

「ほんと、いい機会になるといいんだけどね。」

お姉ちゃんも同じ意見のようだった。



いくつになったって、両親に離婚してほしいと思う子供はいない。

二人が決めたことなら…と離婚に同意した私たちだったが、

元通りになれるものならなってほしかった。

二人が元通りになるために自分が病気になったのだとしたら

それでもいいと思った。




そのうち私は眠ったらしい…。







少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。
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そばにいてね…

2006年02月26日 | 肝移植の記録
夜になってだんだん人の行き来も少なくなり、

ICUも少し静かになった。

日中は賑やかだったICUも静かになったことで、

だんだん私も寂しくなってきた。



目をつぶるとあの重苦しい壁が見えるのが嫌で、

夜になっても眠りたくなかった私は、お姉ちゃんに

「ふうこが眠るまで横にいてね」

と甘えた。

甘えん坊な末っ子の私も、

普段お姉ちゃんにそんなことは絶対言わなかったが、

その日は夜にひとりになるのが不安でしょうがなかった。



お姉ちゃんは「いいよ」と言ってくれたが、私は

「一晩くらい起きてても大丈夫でしょ?

本とか読んで徹夜することあるもんね。いいでしょ?」

と何度も確認した。







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TVドラマ

2006年02月25日 | 肝移植の記録
意識が戻ったのが夜なのか昼なのか、

そしてそれが何月何日なのかはっきりしないが、

なぜか私はずっと見ていたTVドラマの最終回があることはしっかり覚えていて、

その日がそのドラマのやる曜日だということを確認すると、

「ドラマ見なきゃ。テレビ、テレビ!」

とテレビをつけてもらうよう家族にせがんだ。



そういえば私は目が悪かったのでいつも家ではメガネをかけていたが、

その時、メガネがないことに気づいて、

お母さんに「メガネある?」と聞くとちゃんと前の病院から持ってきていた。

メガネをかけて、テレビを見やすい位置に持ってきてもらってドラマを見ていたが、

なぜか内容がちっとも頭の中に入ってこないのだ。

一生懸命集中しようとするのだが、

なぜか頭の中が興奮しているような状態で集中できなかった。

それでも最後まで見終わり、

最後はハッピーエンドだったので、

コメディタッチのドラマだったにも関わらずちょっとうるうるしてしまった。



いつもより感情豊かになっていたのもハイテンションのせいだったのかもしれない。







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あのうるさい音は…?

2006年02月24日 | 肝移植の記録
そういえば、あのうるさいオペラの音はなんだったんだろう?

と意識が戻って間もない頃、

男の看護師さんに聞いてみた。

看護師さんは

「ずっとラジオをつけてたからこの音じゃないのかな?」

と頭の上側にあったラジオを指差して言った。

ラジオからは普通にDJの話し声とPOPSが聞こえていた。



そんな音じゃない…これなら聞いてていやじゃないもの。



「そんなんじゃなかったよ。オペラみたいなすごいうるさい音だったもん」

でも看護師さんはラジオくらいしかかけてないしなー、

とやっぱりわからないかんじだった。



その音については医者にも聞いてみた。

川辺先生は

「手術室では音楽をかけているのでその音かな?クラシックをかけてたよ。」

と言っていた。

クラシック…ああ、それかもしれないな、

と思ったりもした。



また、この病院へは救急車で運ばれたらしいので、

その救急車のサイレンの音かもしれないな、

とも思った。

救急車のあのやかましい音なら

多分ずっと耳元で聞いていたら嫌になるだろう。

「やめてー」と言いたくなる音つながりでは、

あのオペラの音と一致していた。



しかし、手術室や救急車の音だとしたら、

途中で少し意識があったのだろうか?



・・・わからない。







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重たい壁

2006年02月23日 | 肝移植の記録
しかし、多少幻覚のようなものもあった。

目をつぶるとなにか重たい壁のようなものが押しせまってくるのだ。



それは、でこぼことした凹凸があるようなないような、

一面黄土色の壁だった。

その重たい壁がどんどんせまってきて、

押しつぶされそうな圧迫感に、

目をつぶるのが嫌で眠ることができなかった。



看護師さんは

「手術後は幻覚を見る人もいる」

と言っていた。

そして私にも、

「何が見える?」

と聞いてきたので、私は

「う○この壁がせまってくる~、やだよ~」

と騒いでいた。

看護師さんも

「それは嫌かもね」

と言った。



でも一度だけ、家にあったポストカードで、

水色の背景に小さいペンギンの写真がいっぱい並んでいるのがあって、

黄土色の壁の変わりにそれが見えたことがあった。

「でもペンギンがいっぱいいたのもあった」

と言うと、看護師さんは

「ペンギンならかわいいね」

と言っていたので

「またペンギンでてこないかな~」

と再び目をつぶるのだが、

ペンギンの大群ははそれっきり登場してくれなくて、

出てくるのは黄土色や灰色の無機質で重たそうな壁ばかりで、

目をつぶるのが怖くてずっと起きていた。



また、あまり眠たくもなかった。








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病院は楽しい!?

2006年02月22日 | 肝移植の記録
それにしても、ICUにいるとはいっても

本人は寝ていること以外特に苦痛はなかったし、

会社と寮を行き来するだけの毎日とは違って

おしゃべりするひともたくさんいて、

自分自身に起こっていることとはうらはらに、正直楽しかった。



これを多幸感というのだろうか?



このハイテンションが麻酔のせいなのか、

ステロイドの大量投与のせいか、

はたまたたくさんの薬の相乗効果によるものなのか

はっきりとはわからないが…。



私は、病院もなかなか楽しいところだと思ったりしていた。








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ちょっと心配…

2006年02月22日 | 肝移植の記録
お母さんが言うには、

私の意識が回復したと聞いて、

家族がICUにやってきたとき、

私はすでに医者とべらべらしゃべっており、

とても驚いた、とのことだった。



私自身、意識が回復して最初に体面したのは

家族だったような気がするが、

そうなるとお母さんの言っているのとは順番が逆になる。

お母さんも動転していてはっきり覚えていなかったのかもしれないが、

もし私が家族より先に先生たちとしゃべっていたのだとしたら、

その記憶は自分の中にないので

とんでもないことをしゃべっていないかちょっと心配だ…。







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ICUでのおしゃべり

2006年02月20日 | 肝移植の記録
他にも女の子みたいに目が大きくて髪もストレートでわりと小柄な加納先生や、

目がぎょろぎょろしてはきはきしゃべる富樫先生や、

地方の大病院の息子だという安斎先生や、

私より1つ年上でボーイッシュな小西先生がいた。



川辺先生、南田先生に加え

他にもその班には頭が薄めの先生がいて、

その班は髪の薄い人は多いが情に厚い感じで、みんな優しかった。

そしてまた、その髪が薄いことを自虐ネタにして私を笑わせてくれた。



その中には雪国出身の医者が多く、

治ったら一緒にスキーに行こうだの、

大学時代は顔に似合わずテニスをやっていただの、

牛丼は松屋と吉牛とどっちが好きか?だの、

今度買い比べて牛丼大会をしようだの、

先生たちが私のところに来るたびに

どうでもいいことをべらべらしゃべったりして退屈しなかった。








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ICUでプロポーズ!?

2006年02月19日 | 肝移植の記録
また、川辺先生より年が1つか2つ若い

南田先生という医者が面白くて、私はお気に入りだった。

うちのお父さんがおもしろいことをよく言って

私やお姉ちゃんを笑わしていたりしたので、

面白いことを言う南田先生はすぐに気に入った。



何が面白いかと言うと、まず、

見た目がキューピーみたいでかわいらしいのだ。

かわいいといっても女の子みたいにかわいいのではなく、

背が低めで、川辺先生と同様、頭が薄く、丸顔で目がちょこんとしていて

本当にキューピーみたいな感じなのだ。



その先生がその顔で、

「○×先生は親戚に歌手がいるのに歌が下手だ。」

とかいうので、私はおかしくって、げらげら笑っていた。

いつも面白いことばかり言って笑わせるので、私も調子に乗って

「先生、退院したら結婚しようよ」

とICUのみんなのいる前でプロポーズしてしまった。

(何度も言っておくが、これは薬によるハイテンションのせいで本心ではない・・・念のため)



私は普段なら自分から告白することもないくらいなのに、

プロポーズなんてとんでもないことだ。

しかし、南田先生はそれなりに困ってしまったようで、

後から他の先生が

「南田先生は結婚してるんだよ」

と教えてくれた。



私はもちろん本気ではなかったので

「なーんだ。結婚してるんだぁ」

と答えておいたが、今考えてもかなり恥ずかしい出来事だった。








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気さくな先生たち

2006年02月19日 | 肝移植の記録
医者はみんな20代後半から30代前半くらいのわりと若い人達ばかりで、

そのうち一人が女性だったがみんな気さくで面白かった。

なのでハイテンションだった私は、

年も近いことからすぐに親しげに話し出して(しかもタメ語で)仲良くなった。



班長の川辺先生は、背が高く全体的に大柄な感じで、30代前半なのに頭が薄く、

でもいつもにこにこしていてスタッフ内では「仏の川辺」と呼ばれているらしかった。

そう、まるで仏像のようなにこやかな感じなのだ。

その川辺先生はディスにーランドの側に住んでいると言っていて、

それを聞いた私は、

「家から花火が見えるの?」とか

「治ったら他の先生たちも一緒にみんなで遊びに行こう」

とかなんやかんやとべらべらしゃべっていた。

先生も「うんうん、行こう行こう」と

にこにこしながら返事をしてくれていた。



その後、うとうとしながら、私はみんなでディズニーランドに行く夢を見た。








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