今日、生きているという奇跡

目が覚めたら肝臓取られちゃってたんです。劇症肝炎から生体肝移植へ。
何気なく生きている今日、それこそが奇跡なんです。

タバコは吸いますか?

2006年03月31日 | 肝移植の記録
普通、入院する時は、

どこの病院でも問診票のようなものに

普段の生活状況などを記入することになっている。

病院側が、患者さんの普段の生活態度を見て、入院時の参考にするのだろう。

家族関係や宗教、好き嫌いについても記入するようになっている。



しかし、この今いる病院に入院したとき、私は意識がなかったので、

当然その問診票にも記入した記憶はない。

わかる部分は家族に聞いたかもしれないが、

ICUでは看護師さんに口頭で質問された。



「好き嫌いはありますか?」

「ないよ。何でも食べるよ」

「お酒はどのくらい飲みますか?」

「弱いから飲み会のときに飲むくらい」

「タバコは吸いますか?」

「・・・。」






少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。
応援よろしくお願いします!



見れなかった花束

2006年03月30日 | 肝移植の記録
実は一日前にも糸井さんと、

さらに上の上司である佐久間さんがお見舞いに来てくれていたらしい。



しかし、昨日は面会できず、

お母さんから私の様子だけ聞き、

そのままお見舞いの花だけ置いて帰ったとのことだった。



そのお見舞いの花も、

生花だと花粉や何かしらの原因で感染の恐れもあるからと、

私のところへ持ってくることはできなかった。

私がいたところは無菌室というほどではないが、

お花も警戒されるくらいの徹底管理だったということだ。



そのお花は一般病棟のロビーのようなところに飾ってある、

とお母さんが教えてくれた。

どんなお花だったのか気になったが、

結局私がそのお花を目にすることはなかった。



佐久間さん、ごめんなさい!

私の心には、お花、届きましたから






少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。
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ICUでのお見舞い

2006年03月29日 | 肝移植の記録
糸井さんは、感染を防ぐための白衣と、

給食当番の時被るような白い帽子を被って入ってきた。



「大丈夫か~?」

「あ、糸井さん~!」



会社にいる時は、上司ということもあり、

少し恐縮してしまう私だったが、

その時は単純に糸井さんが来てくれたことを喜んでいた。



「すごい心配したんだぞ」

糸井さんは少し目を潤ませながら、

何度も「よかった」というように、うんうんとうなずいていた。



糸井さんは私が急変した日、

たまたま北関東の少し離れた取引先のところに行っていたらしく、

私が大変だという知らせを聞いて、

取引先の人も慌てて車を出してくれて、病院に飛んできたという。



「取引先の人にもお礼を言わなきゃな」

いろんな人を巻き込んで大変だったんだな、と少し自覚した。






少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。
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またね

2006年03月29日 | 肝移植の記録
私はお父さんに昨日のことを話した。

「起き上がろうとしたんだけど、お父さんが肝臓くれたって聞いて、

お父さんに悪いと思って起き上がらなかったんだよ!」



当然のことを自慢げに話していた。



その後もお父さんとは二言三言言葉を交わしたが、

座っているのもつらそうで、

「お父さんもう帰るね」

と言ってまた岡田さんに連れられて、

違う病棟にある自分のベッドに戻っていった。



この日は本当に慌しく、

お父さんが帰っていったと思ったら、また別の来客があった。



会社の女上司の糸井さんだった。






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改めて実感できたこと

2006年03月28日 | 肝移植の記録
そんなお父さんの姿を見て、私は初めて、

「お父さんに捨てられたわけじゃないんだ、嫌われてたんじゃないんだ」

と思った。



大学生のとき両親は離婚し、

それ以来私は父とはあまり連絡をとっておらず、

母から一方的に父の話を聞くだけだった。

母は家を出て行った父を相当恨んでおり、

「お父さんは私や子供たちを捨てて出て行ったんだ」

と聞かされていた。



女の私から見れば、確かに父の言動には、

お母さんに対してひどすぎる、と思ったこともあって、

私も母と同じように思う気持ちはあった。



父のことを男して毛嫌いしていた。

父にはあくまでも「お父さん」でいてほしかった。



離婚は二人の問題なので、

まさか子供たちまで捨てたというわけじゃないだろう、

とは思っていたが、

この時父の涙を見るまではそれもあやふやで、

勝手な思い込みでしかなかった。



なのでこの時は本当に、

「お父さんは私のことちゃんと愛しててくれたんだ」

と実感できた。

ハイテンションな頭の私も、

この時ばかりはさすがにうるっときた。






少しでも多くの人に臓器移植について考えてほしいと思います。
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父の涙

2006年03月24日 | 肝移植の記録
お父さんはヒーヒー言いながらも、

私のベッドの脇のイスに座った。



あら~、ほんとにお父さんだ



まだ頭がハイテンションの私は、普通に喜んでいたが、

そういえばお礼を言わなくちゃな、と思って

まだ実感がないながらもお父さんにお礼を言った。



「お父さん、ありがとー!」



にこにこしながら無邪気に言った言葉だったが、

お父さんはその言葉を聞いて目頭を押さえていた。







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スパルタな移植コーディネーターさん

2006年03月23日 | 肝移植の記録
お父さんは病棟の看護師さんに連れられてヒーヒー言いながらやってきた。



傷がとても痛いらしく、冷や汗をかきながらも私のいるICUにやってきた。

まだ術後数日しかたっておらず(おそらくこの時は術後三日目)、

本人としてはとても動ける状態ではなかったのだが、

スパルタの看護師さんに

「動いた方が回復も早いんだ」

と言われて無理やり連れてこられたらしい。



お父さんを連れてきたのは岡田さんという女性の看護師さんだった。

そういえば昨日もICUに顔を出していたような気がする。

後で聞いたのだが、この看護師さんは、

看護師兼移植コーディネーターをしているという。



移植コーディネーターとは、簡単に言うと、

移植を受けるレシピエントと臓器を提供するドナーとの間をとりもったり、

様々な移植に関する仕事をしたりする人らしい。



「昨日もお父さんに『ふうこさんとこ行こう』って言ったのに、

昨日はダメだったから今日連れてきたよ」



今日見た感じでもかなりつらそうなのに、岡田さんはほんとスパルタだな、と思った。

しかし、痛いからといって寝たままにしていると、

お腹の中で癒着したり、腸がつまったりするので

本当は痛みをこらえてでも早く動いた方がいいらしい。



海外では、麻酔をたくさん使ってでも、次の日にすぐ歩かせる、というのを後に知った。







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初対面

2006年03月21日 | 肝移植の記録
時間も場所も、自分が東京のどの辺りにいるのかも全くわからなかった。



気づくと私はある病院の

(蛍光灯の光のせいだろうか)少しクリーム色がかった

ICUという箱の中にいた。



東京のどこかの場所の外見がどんなかもわからない建物の一室にあるベッドで、

私は昔からよく知っているけれども、

久しぶりに見る顔に会った。



その日、私は、移植後初めて、

私に肝臓をくれたお父さんに会った。






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外は雨

2006年03月21日 | 肝移植の記録
「今日は外は大雨だったよ」とお母さんは言った。



私はずっとICUのベッドに寝たままだったので、

その日外が大雨であったことは全くわからなかった。



「ほら、向こうの窓から見えるでしょ」



私はベッドの足元の方から、

お母さんが指さした遠くに見えるその窓の方を見たが、

なんとなく暗いような気はしたものの

雨が降っているのはわからなかった。



この世間と区切られたICUという場所に、窓があることさえ知らなかった。

お母さんは「あの窓の方のベッドにお父さんはいたんだ」とも言った。






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日常のケア

2006年03月19日 | 肝移植の記録
ICUでは処置のほかに日常のケアもしてくれた。

看護師さんやヘルパーさんが体を拭いてくれたり、

髪も洗ってくれたりした。



ベッドの上で、しかも寝たままどうやって髪を洗ってくれるのかと思っていたら、

専用のそういう道具があるらしく、

シャワーもちゃんとついていてまるで美容院のように上手に洗ってくれた。

髪を洗ってくれたのは、

看護師さんかヘルパーさんかどっちかわからないが、

とにかく男の人で、力を入れてゴシゴシ洗ってくれたので、

マッサージ効果もあってとても気持ちよかった。

身動きがとれず、寝たままで窮屈な思いをしていた中でも、

ちょっとリラックスした気分になれた。



そのICUでは、患者の日常ケアをしてくれるときには

スタッフはピンクのビニールエプロンをかけていた。

女性のスタッフはいいのだが、

男性のスタッフもピンクのエプロンをしていたので、

ちょっとオカマっぽく見えて、

お母さんと一緒に「面白いね」と笑っていた。






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