昨日久しぶりに(8月以来)本家に義母の顔を見に行きました。
義兄夫婦は出かけていて、義兄の長男の嫁がいつもの笑顔で迎えてくれました。 そうです、ここには義母から義兄長男の子まで、四世代が一緒に住んでいます。
何年か前に会ったときに、クシャクシャっと笑った顔がとても小さくなったなと感じてからは、ほとんど変わりない義母は、ベッドの背を立てて半身を起こし、日課!の朝日新聞を読んでいました。これと地方紙の「宇部日報」を毎日読むらしい。(ここで義母は「昔の〝宇部時報〟ぃね。」と注釈を入れる。)この記憶力のよさ!
1日2・3時間はこうして起きて新聞を読み、後はベッドに横たわってテレビを見る。合間には孫やひ孫が話しかけ、行き交う姿を目で追う。 食事は一日2回、一口の養命酒を飲むことから始まる。
らしい。昨日も拡げた新聞の横のベッド用テーブルに、養命酒の小さな杯が置かれていました。
持っていた天眼鏡を置いて、「誰じゃったかいね?」「おう、○Oちゃん、だいぶ変わったね」と、次男坊の白髪を見る度に気になるらしく前回と同じようにそう言って、「はぁだめじゃね。」と自分で自分のことが出来ない悔しさを毎回のように私たちに告げる。「な~んにも出来んようになった。みなやってもらう。すみませんね、ありがとうございます。」と、ニコニコ笑っている孫の嫁にペコンと頭を下げてみせる。
「はあダメじゃね」と言いながらも、日ごろから言いたかった感謝の念を、私たちにかこつけて表現し、「ばあちゃん、ばあちゃん」と囲まれ、孫やひ孫の成長を見ながら生活する幸せをかみ締めてるように見えました。
「えーと、名前忘れた、、あんたーちの、なに、元気かね?」とウチの娘たちのことを(「Y子とK子?」「そうそう!」と確実に思い出して)必ず聞いてくることから、「アベさん、総理大臣になちゃったね」という世間話?まで、「じゃ、また来るね。」と手を振るまでの間、ずっと話は続き話題には事欠かない。
ずっと大家族の中で生活してきたことがよかったのか、その話題の多さ、記憶力のよさに、はやボケ気味のわたしはいつも舌を巻く。
「すごいね、ばあちゃん!」と、背中をさすって手を振ると少し目をうるませて「また来ておくれや」と、手を振り返えしてきます。
ボケはないし元気、とは言っても急に病院に駆け込んだことも何度かあったと聞くし、同居している義兄夫婦の苦労は慮るばかりで、私たちはときどきこうして会いに来るだけで、まかせっきりになっています。
貧血気味でいつも青い顔をして特別に丈夫だったわけでもなく、キャリアウーマンだったわけでもない義母が、こんなにしっかりと生きていることを思うと、人間の「丈夫」とか「幸せ」とかってナンだろうと考えてしまいます。
「ばあちゃんには負けるね。」と、30年も若い私たちは、帰りにはいつも義母の放つ元気に感嘆しながら、ほのぼのとした気分になります。
ばあちゃん、もうすぐ100歳よ、100歳!!
義兄夫婦は出かけていて、義兄の長男の嫁がいつもの笑顔で迎えてくれました。 そうです、ここには義母から義兄長男の子まで、四世代が一緒に住んでいます。
何年か前に会ったときに、クシャクシャっと笑った顔がとても小さくなったなと感じてからは、ほとんど変わりない義母は、ベッドの背を立てて半身を起こし、日課!の朝日新聞を読んでいました。これと地方紙の「宇部日報」を毎日読むらしい。(ここで義母は「昔の〝宇部時報〟ぃね。」と注釈を入れる。)この記憶力のよさ!
1日2・3時間はこうして起きて新聞を読み、後はベッドに横たわってテレビを見る。合間には孫やひ孫が話しかけ、行き交う姿を目で追う。 食事は一日2回、一口の養命酒を飲むことから始まる。
らしい。昨日も拡げた新聞の横のベッド用テーブルに、養命酒の小さな杯が置かれていました。
持っていた天眼鏡を置いて、「誰じゃったかいね?」「おう、○Oちゃん、だいぶ変わったね」と、次男坊の白髪を見る度に気になるらしく前回と同じようにそう言って、「はぁだめじゃね。」と自分で自分のことが出来ない悔しさを毎回のように私たちに告げる。「な~んにも出来んようになった。みなやってもらう。すみませんね、ありがとうございます。」と、ニコニコ笑っている孫の嫁にペコンと頭を下げてみせる。
「はあダメじゃね」と言いながらも、日ごろから言いたかった感謝の念を、私たちにかこつけて表現し、「ばあちゃん、ばあちゃん」と囲まれ、孫やひ孫の成長を見ながら生活する幸せをかみ締めてるように見えました。
「えーと、名前忘れた、、あんたーちの、なに、元気かね?」とウチの娘たちのことを(「Y子とK子?」「そうそう!」と確実に思い出して)必ず聞いてくることから、「アベさん、総理大臣になちゃったね」という世間話?まで、「じゃ、また来るね。」と手を振るまでの間、ずっと話は続き話題には事欠かない。
ずっと大家族の中で生活してきたことがよかったのか、その話題の多さ、記憶力のよさに、はやボケ気味のわたしはいつも舌を巻く。
「すごいね、ばあちゃん!」と、背中をさすって手を振ると少し目をうるませて「また来ておくれや」と、手を振り返えしてきます。
ボケはないし元気、とは言っても急に病院に駆け込んだことも何度かあったと聞くし、同居している義兄夫婦の苦労は慮るばかりで、私たちはときどきこうして会いに来るだけで、まかせっきりになっています。
貧血気味でいつも青い顔をして特別に丈夫だったわけでもなく、キャリアウーマンだったわけでもない義母が、こんなにしっかりと生きていることを思うと、人間の「丈夫」とか「幸せ」とかってナンだろうと考えてしまいます。
「ばあちゃんには負けるね。」と、30年も若い私たちは、帰りにはいつも義母の放つ元気に感嘆しながら、ほのぼのとした気分になります。
ばあちゃん、もうすぐ100歳よ、100歳!!
すごい100歳だねぇ~。 爪の垢送ってください。煎じておばばに飲ませるから。 よろしく <(_ _)>
ちょっとこの場を貸してね。
ご両親お二人を介護されているのですか? それは大変でしょう。89歳はうちの母と一緒です。どうぞお身体を大切にしてご無理なさらないでくださいね。
飲めるものなら、そちらに送る前に私がまず飲ませてもらいますよ。
私でも抱えられるのではないかと思えるほどちんまくなってるんですけどね。
耳だけは遠くて、いつもテレビのイヤホーンをしています。耳から入ってくる情報で洗脳されてるんでしょうかねえ。(そんなことないか、(^^)ゞ
広夢さん
お二人ともご健在って、すばらしいことですね。
でもそれを支えていかなければならないご苦労は、何かと計り知れないものがあると思います。
完璧にと思わずに、ある程度は適当に、楽しんで出来ないものでしょうかねえ。