今回から桶川市川田谷地区に入ります。
①馬頭観音
芭蕉句碑から県道57号線さいたま鴻巣線に入ると桶川市川田谷地区に入ります。最初のT字路交差点を右に入って5分くらい歩くと八幡神社が有ります。この周辺は昔鉄砲鍛冶が多く住んでいてこの八幡者はこの人たちの信仰が厚かったようです。
馬頭観音は曲がらずにまっすぐ進み圏央道が見えると左側に小さなお堂に入った馬頭観音が有ります。このお堂は正面の上側だけ開放されていて観音様の全貌は見えにくいです。建物の外に石柱が有りますが何が書いてあるのか分かりません。
②原山古墳群
川田谷原交差点先から圏央道の側道を荒川方面に向かって下っていくと左側に落葉雑木林が見えてきます。ここに川田谷古墳群の四支群(西台・原山・柏原・桶詰)の一つ桶川市指定文化財史跡原山古墳群が有ります。九基の古墳が現存し7世紀の築造と考えられています。発掘調査が行われていないので出土品は不明らしいです。
案内板が有りますが下草が繁茂し入りにくい状態です。
③馬頭観音
信号機のある交差点の直前にこの馬頭観音が有ります。佇まいがいかにも路傍の祠という雰囲気があります。
①三ツ木城跡
馬頭観音の通りを直進すると城山公園の標識が見える。三ツ木城跡は現在城山公園となっている低地に突き出た台地上に存在します。城址の東、西、北の三方は湿地に囲まれ南方を底辺として北端を頂点とする三角形の囲郭をなし東西120m、南北110mの単郭の平城です。
鎌倉時代に源頼朝に仕えた足立遠元あるいは室町時代に岩槻城主の太田氏に仕えた石井丹後守が考えられるがいずれも定かではない。近年の調査研究によれば14世紀の築城とされています。現在は城山公園として一部が整備されている。
② 旧陸軍熊谷飛行学校跡
県道12号川越栗橋線の太郎右衛門の側道を荒川に向かっていくと県道下のガード前に大イチョウがあり近くにこの施設の看板が設置されている。それに従って100mほど進むと正門前に着きます。この連絡路には陸軍の用地だったことが示される境界の石柱が道の両側に何本も立てられています。
正式には熊谷陸軍飛行学校桶川分教場といい、昭和10年に開校した熊谷陸軍飛行学校(現航空自衛隊熊谷基地)の分教場として昭和12年6月に開校しました。守衛所、車庫、営庭、本部兵舎、弾薬庫などが残っていました。現在解体修理復元中で中には入れませんがこの工事が始まる前は自由に見ることが出来ました。
少年飛行兵や学徒出陣の特別見習い士官、特攻隊などの訓練場として終戦間際まで使用されてきました。滑走路は太郎右衛門橋下流対岸にある本田航空の滑走路と同じ位置でした。
現在、改修が終わり間もなく再開できそうな様子です。昭和20年4月5日最後に飛び立った特攻隊12名の出発時の写真や隊員の手記や寄せ書きなどが残っていたので展示されると思います。
③庚申塔
県道12号線の信号をわたり住宅地を抜けると庚申塔が有ります。
庚申塔は県内の農村において最も多くみられる石仏の一つです。更新講の人々によって村の辻に建てられその形はこの庚申塔にみられるように「青面金剛」の像を刻むものが多いそうです。この庚申塔は享保18年(1733)9月に建てられたもので柏原村、三ツ木村、狐塚村の合計35人の講中の人達によって建てられました。
④観音堂
飛行学校入り口交差点のガードをくぐり道なりに来ると観音堂前で庚申塔前からくる道と合流します。この観音堂には大きな馬頭観音像があります。この観音像はもとは荒川の河川敷にあった太郎右衛門河岸に通じる道筋にあったもので天保4年(1833)に作られ上下川田谷のほか四十ケ村の名が刻まれています。
川越と中山道の桶川宿の中間に位置し、荒川の太郎右衛門河岸のあった川田谷は輸送の手段として馬が活躍していたと思われるので数多くの馬頭観音が残っています。
⑤氷川大明神
川田谷は荒川左岸の自然堤防上に位置する村で早くから開けたためか元禄七年(1694)の「桶川助郷帳」では上川田谷村、下川田谷村とに分けて記され化政期(1804~1830)にはすでに全体で500戸に達していました。氷川神社は下川田谷村の鎮守でした。「風土記稿」によると川田谷の項に「氷川神社は一つは竹内に、一つは岡村にある」と二社あることが記され当社は岡村の方です。創建は不詳ですが寛文8年(1668)の「宗源宣旨」や文政13年(1830)の墨書きのある新璽筥(しんじばこ)、像高37cmの氷川大明神などが納められた木箱が納められている。年代が判らないが八幡茂社と八坂社も境内に合祀されている。
氷川神社のササラ獅子舞
獅子舞は毎年10月上旬から中旬に行われる祭礼において奉納されます。子の獅子舞は別名三田原の獅子舞といわれており三ツ木、田向、柏原の各字を総称した呼び方で、この三つの字の人達によって伝承されています。子の獅子舞のはじめられた年代は不詳ですが地元の由来書によると元禄年間(1688~1704)以前に盛んだったと記されているそうです。
現在、このササラ獅子舞は後継者も多くまた、舞の型の崩れも少なく桶川市の貴重な民俗芸能の一つになっています。
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