ふうちゃんのお城ブログ

お城巡りについての記録、城郭検定試験の体験談

第19回城郭検定 直前対策 ふうちゃんのお城ブログ臨時号

2021-11-06 19:27:44 | 城郭検定

第19回城郭検定(11月14日)が間近に迫ってきました。

準備は着実に進んでいますか。

受験票がもうお手元に届く頃ですね。

今回受験される方に参考になればと思い、

今、これを書いています。

第18回城郭検定2級の問題(なごやちゃんねる – 日本城郭検定の過去問分析に取り組んでいます!準1級・2級・3級に対応!みんなで日本城郭検定に合格するためのサイト! (nagoya-ch.com)に掲載)

を解いてみました。

(わたしは第18回で、2回目の1級を受験し、幸い合格しました)

そのわたしが全く知らないこと(事実)が2級にも出題されています。

わたしが2級を受けたのは第12回ですから、今から3年前です。

この3年間で、受験者に求められる知識もバージョンアップされているのでしょう。

 

その一つ目が、石火矢町ふるさと村です。

第2問 「石火矢町ふるさと村」は県指定の町並み保存地区だが、どの城下町か。

1 備中松山城 2 飫肥城 3 唐沢山城 4 一乗谷城

この4つの城は、どれも訪ねたことがあります。

飫肥城下町は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されていることを知っていますが、

石火矢町という地名を聞くのは、この問題を通して初めてです。

答えは 1備中松山城です。

備中松山城のある高梁市のHPに

『格式高い町並みを歩くと、武士の声が聞こえてくる』

臥牛山南麓に広がる備中松山城の城下町。

その中で石火矢町は武家屋敷の町として営まれ、今でも格式のある門構えの武家屋敷が250mにわたって

立ち並んでおり岡山県のふるさと村の指定をうけています。

日本百名城ガイドブック(公認テキスト)にも石火矢町ふるさと村の記述はありません。

謙虚に知識として石火矢町ふるさと村を受け入れるしかありません。

2つ目が「南蛮たたき塀」です。

第88問の「南蛮たたき塀」もガイドブックに記述がありません。

石灰・赤土・種油などをあわせてたたきあげで築かれた「南蛮たたき塀」と呼ばれる塀がある城はどれか。

1 名古屋城 2 大阪城 3 岩国城 4 平戸城

この4つとも訪れたことがありますが、「南蛮たたき塀」には気付きませんでした。

答えは1名古屋城です。

現地の案内板には次のように書かれています。

二之丸北御殿北御庭の北端の石垣の上に東西に長く伸びた練塀の遺構である。

この練塀は「南蛮たたき」で固められた非常に堅固なものであり、円形の鉄砲狭間が見られる。

名古屋城の遺跡としては、非常に珍しい者で貴重な文化財である。

 

名古屋城に行っても

二の丸の北は見ていないので、次回よく見たいいと思います。

3つ目は第94問の「おかこい山です。

 敵の侵入防止と川の氾濫防止を兼ねた「おかこい山」と称する土塁が残る近世の城はどれか。

1赤穂城 2萩城 3今治城 4中津城

答えは4中津城です。

「おかこい山」についてもテキスト続日本百名城では触れてありません。

中津耶馬溪観光協会のHPには

「外堀と中堀の城内側には、城下の守りを強化するため、堀を掘った土をもった「おかこい山」といわれる土塁が築かれました。

細川時代には完成したと考えられていますが、その始まりは黒田時代にさかのぼる可能性があります。」

 

わたしは、城郭検定受験の学習で一番有効なのは、

過去問を解き、問題文と正解を納得するまで理解することだと思っています。

なぜ、それが正解なのか納得するまでテキストやHPを調べることです。

でも、上で述べましたように、その学習には限界もあります。

 

そのための最後の対策です。

何級の受験であっても、問題の中には自分が知らないことが必ず出題される。

ということを意識に止め、慌てず対応することです。

合格を目指すなら70点を取ればよいのです。

1級を受けたわたしにも上記の3問を含め14問、

即座に答えられないがありました。

60分で100問を解くのですから1問に架けられる時間は平均1.67分程度です。

4択の内のどれか1つのマークをつけ、

時間が余ったら後で見直すことがベターだと思います。

 

これから、14日までの直前の学習ですが

3級、2級、準1級ともに(なごやちゃんねる – 日本城郭検定の過去問分析に取り組んでいます!準1級・2級・3級に対応!みんなで日本城郭検定に合格するためのサイト! (nagoya-ch.com)

に掲載されている過去問に挑戦してください。

特に、直前の17回、18回の過去問を解いてみてください。

最近の傾向が分かります。

 

過去問を解くばかりでなく、学習に変化を与えたいなら、

日本城郭協会公認HP「城びと(城びと | お城を知って、巡って、つながるサイト。 (shirobito.jp)

を読むことをおすすめします。

特に、加藤理文さんの掲載記事は要注意です。[理文先生のお城NEWS解説] - 城びと (shirobito.jp)

最近の発掘についての問題は、

ほとんどここから出題されているように思います。

 

受験する皆さんのご健闘をお祈りします。

 

 


第29回ふうちゃんのお城ブログ 小田原城惣構をゆく

2021-11-02 15:38:23 | 日本百名城

小田原駅の観光案内所で地図をもらいました。

A 小峯御鐘の台大堀切東堀を目指しました。

タクシーに行き先「小峯御鐘の台大堀切」を告げると、「知らない」とのこと。

早速、この地図を見せると、動き出しました。

タクシーの運転手さんが

現地の城を知らないことは

城廻ではよく体験することです。

こんな時に役立つのが地元の観光案内所の地図です。

少し、不安を感じましたが、無事付近に到着することができました。

惣構(総構)とは何か、

この地図の初めに

小田原城の総構(そうがまえ)は、

小田原北条氏が豊臣秀吉との合戦に備え

天正18年(1950)までに、

小田原城とその城下を囲って築いた

総距離9kmにも及ぶ大規模な堀と土塁による

要塞の跡です。とあります。

*要塞 外敵等から戦略上重要な地点を守るために築かれた構築物。

 

この掲示板にはこのように書かれています。

 小峯御鐘ノ台大堀切は、東堀、中堀、西堀の3本からなる戦国時代に構築された空堀です。

北条氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに対し、総構といわれる周囲」約9km

の堀や土塁を構築し、その中へ城のみならず城下町まで取り組んだ戦国期最大の城郭を築き

ました。

 この大堀切東堀は、総構以前に構築された三の丸外郭に相当し、本丸へと続く八幡山丘陵の

尾根を分断しており、敵の攻撃を防御するために築かれた空堀です。総構とともに小田原城の

西側を守る最も重要な場所であったと考えられます。

東堀は、幅が約25m~30m、深さは堀底から土塁の上面(天端)まで約12~15mあり、堀の法面は

50から60度という急勾配で、空堀としては全国的にも最大規模のものといえます。

発掘調査によると、堀には障子堀や土橋状の掘り残し部分ほか、横矢折れと呼ばれるクランク部分

などが設けられていることが確認されました。

こうした堀の構造は北条氏が積極的に用いたもので、戦国時代の小田原城の特色をよく表しています。

堀の幅は感じられませんが、深さと法面の角度は感じられます。

クラン部分です。

次はB 三の丸外郭 新堀土塁です。

 大堀切東堀を通って広い道路を渡ったところに三の丸外郭新堀土塁があります。

幅の広い土塁です。

土塁の上から早川漁港と石垣山(右側の山)が見えます。

右側の山が総構、その中に天守があります。

今まで何気なく厚木小田原道から見えていた緑の山が総構の縁だったことがわかりました。

 

小田原城天守です。

我が家から最も近い天守のあるお城らしいお城が小田原城です。

まず、近くのお城を見たいと言われたら小田原城に案内します。

今回のように総構を見てから天守をみると小田原城の奥深さが

感じられると思います。