令和6年4月15日、娘桃は44歳で旅立ちました。
5年前に娘桃とわたしで行った四国の城を辿る旅に妻と出ました。
徳島城の石垣です。
阿波青石と言われる緑色片岩で出来ています。
本丸まで続く一直線の急な階段を息を切らしながら登りました。
5年前、娘桃はこの急な階段を登ることができた。
と思うと感無量でした。
桃は、この3年間、体調不良で、
最後は要介護で、
、デーサービス、訪問看護、訪問医療等福祉関係の方々のお世話になって生活をしていました。
しかし、小脳に出血の小さな痕跡が発見される前までは、
元気に普通な暮らしをしていたことを実感できました。
桃は元気な人だったのです。
この広い本丸で椅子に座って息を整えながら、
元気な桃の姿を思い浮かべる妻とわたしでした。
高知城です。
大手門と天守が現存で残っている城は、高知城、丸亀城、弘前城だそうでとても珍しい。
現存の大手門と天守が同時にカメラに収まるのはもっと珍しいそうです。
珍しいことをもう一つ紹介します。
現存の12天守はすでに紹介。
現存の御殿は川越城、掛川城、二条城、そして高知城。
そして、現存の天守と現存の御殿が同じ空間にあるのは高知城だけです。
天守の上にいく急な梯子状の階段
天守の最上階まで行くにはこの階段を登らなければなりません。
宇和島城です。
この天守の特徴は、鉄砲や弓矢を撃つために開けた○まるや□しかくの狭間(さま)ないことです。
平和な時代の城です。
戦うためというよりは、見せることを意識しているのでしょう。
天守を真正面から見るためには、急な階段を20分歩かなければなりません。
5年前の娘桃は、元気にここを歩いたのです。
後ろ向きに立ち止まっているのは妻です。
そこから遅れて立ち止まりカメラを構えているわたしがいます。
大洲城と松山城です。
5年前に娘桃とわたしで廻った四国の城を
妻とわたしでその足跡を辿る旅も最終日になりました。
大洲城は現存の高欄櫓と台所櫓の間に平成16年に木造天守を復元しました。
松山城は12現存天守で姫路城とともに連結式の天守で、
戦いのための備えがプンプン感じられる城です。
両城ともに天守の上の階に行くには木造の梯子状の階段を登らなければなりません。
桃は元気にここにきたのです。
そのことを実感できました。
今回の旅は桃の死から間もない頃、妻から言い出しました。
「桃が行った四国の城に行ってみたい。」
即、わたしは4月25日に飛行機とホテルの手配をしました。
実は5年前の城廻は、当時、日本名城巡りしていたわたしが、
妻と行く予定だったのです。
出発前日になって、妻が発熱し、
急遽桃といくことになったのです。
5年前のことが、今日のために仕組まれていたとしたら、
何とドラマッチクな話です。
発病後3年、特に、この1年だけが44年の生涯の中で、
特別な期間であったことを実感できた旅でした。
また、桃は親が知らない所で、
元気に年相応にイケメン(福士蒼汰、山崎賢人、松本潤等)にも興味をもち、
友達とだべること楽しんでいたことも、
お線香を上げに来てくれた高校時代の友人や
フラワーアレンジメントを一緒に学んでいた友達の話からわかりました。
お遍路さんではありませんが、同行親子、元気な桃に出会えた旅でした。