小諸城への目的は、その3特色ある地形ですが、あまり得意ではありません。
例によって、小諸城に行ってからしばらくして、萩原さち子さんの本読んでいたら小諸城について、以下のように書いてありました。
扇状地につくられた城といえば、小諸城だ。最寄りの小諸インターを降りて車を市街地に向かって走らせると、ジェットコースターに乗っているかのようにぐんぐん降下していく。小諸は谷底の街という感じだ。
隣町の軽井沢にいると、小諸へは、国道18号やバイパス浅間サンラインを利用して小諸にいくのですが、千曲川に向かって車が進んでいるときに「ジェットコースター」状態を感じます。言い得て妙な表現だと思います。みなさんにも実感して欲しいくらいです。この小諸城、谷底の奥がまだあって、千曲川の断崖になっています。それが、穴城といわれているのだと思います。
さて、萩原さんの説明は続きます。
田切り地形と呼ばれる、この地域の特有の地形で、約11000~14000年前に浅間山から噴出した小諸火砕流の堆積、千曲川の浸食によって河岸段丘した場所に小諸城は築かれている。 地獄谷(酔月橋)の景観は圧巻で、浅間軽石流で形成された断崖が目の当たりにできる。
酔月橋
酔月橋の上から浅間軽石流の断崖が見えます。
その4 鉄道とお城の位置
線路越しに見る三の丸門、二階櫓の部分です。
わたしのカメラを構えている後ろに大手門があります。
大手門はお城の表玄関です。表玄関を入ればお城の敷地です。
これは、どんなことを意味しているのでしょうか。
大手門、わたしのいる所、線路、三の丸門、二の丸、本丸天守台という位置関係になります。
そうです。
お城の敷地の中を鉄道が通っているのです。
明治21年(1888年)に小諸駅が開業していますから、それ以前に線路が敷かれました。 同様にお城の敷地を跨いで線路が至る所にあります。わたしが行って確認したのは、長岡城、甲府城、三原城、福山城、水戸城、山形城です。その中でも典型的なのが長岡城です。長岡城の本丸を駅にしてしまったのです。
さて、小諸藩ですが、長岡藩と関係が深くどちらも戊辰戦争では、幕府側でした。
しかし、大手門で案内しているボランティアの方の話では、城外に鉄道を通す話が当初あったのですが、近くで養蚕業を営んでいた方の反対で城地を通すことになったとのことです。列車からでる煙が蚕に悪い影響を与えることを心配していたそうです。
鉄道の敷地の位置とお城の関係、わたしにとって、教材・城郭ウオッチングのテーマの一つになっています。
その5 城より蕎麦(付け足しだが、本音かも)
小諸藩、そして、上田藩を治めた仙谷氏。その仙谷氏が今の兵庫県の日本海側出石(いずし)に転封になりました。そのときに、信州蕎麦の職人を一緒に連れて行き、蕎麦を出石の名物にした。大名にとって自分の領地の産業を発達させることは、大事なことなのですね。
小諸の蕎麦店に、有名な草笛があります。軽井沢に行くと佐久平店を利用してますが、この日は三の丸門の近くの小諸本店に行ってみました。
草笛小諸本店の小諸蕎麦(佐久平店にはない)
出石でも、もちろん、「城より蕎麦」をしてきました。
出石「花水」の皿そば
出し方は出石には特色がありますが、味が似ているような気がしたのは、わたしのまったくの私見です。