かのらにっき

曖昧な日常と、触れたものの日々。

オトナノアソビ

2010年04月13日 20時05分08秒 | Weblog
http://www.youtube.com/watch?v=OOi-oj84I_8&feature=related

昔から大きくなったらこんな風に振る舞えるもんだと思い込んでました。
動画はミホミホマコトです笑
大人になったら女子のアレコレやりたい放題やってみたい。
そんなことを考えてしまうもの。
あんな洋服着て、ごはん食べて、街歩いて、とか。

ガーリーという言葉、実はとっても好きでして。
先日は本屋に行って、見つけた森茉莉のエッセイ見て久々のドキドキを
味わったのでした。
櫛で髪をとくだけなんだけど、その瞬間に何を感じられるのか。
生きていて、ふっとした瞬間、感じたこと、目に見えたこと、
私を取り巻く環境や身体を一つひとつ噛み締めてみる。

少女を少女たらしめているものは、
さぁ、果たして、髪の毛先まで感覚を覚えていられるのかっていう
ことなのだと思います。
イチゴを口に含んでどうやって口の中を潤していくのか、
そんな小さいような、大きなような、
変化が彼女達を少女たらしめているのです。

瑞々しい日々の記憶がただただ愛おしい。
そんな毎日になったらばなぁ。

先日は目黒川に行きました。
もはや美容院が店頭でワインや食事を売ってました。
桜が咲いていて、お目当てのカフェの前は日当り悪く
桜がありませんでした。

今日も我が家では緑茶かほうじ茶かで急須の争いが起こるのでした。
煮たまごおいしい。

今日、日本文芸史の授業で伊藤整『小説の方法』序文が引用された。
古典やいわゆる名著が羅列されていて、名前知っていても読んだことがないものが
多いなと改めて思った。
感情を重ね合わせることも、強く思い込むことも、今の時代の言葉だけでは
満たせない何かがあるような気がします。
さとなおさんと須田さんのトークショー行って、
見識を広げる、というか幅広い興味は必要だ、
だってアーティストと喋れないって言ってた。
その日一番共感したポイントだった。

映画、小説、音楽、美術、今年はもっと触れたいな。
カフェに行くことも、居酒屋で呑むことも、
漫画読むことも、何もかも過ごす時間、
時間を過ごす、そんなところに焦点を当てて下げてみようっと。
なのに、なぜ私はファッションに興味があまりないのだろう・・・

今日も我が家は緑茶かほうじ茶かで争っています。

はう・つー

2010年04月04日 15時21分33秒 | Weblog
水に濡れただけでは満足できません。
と、言い続けていたいのですけど、
どんどんあっさりしてしまっていて。

数年前に友人と最後に食べたいものはなぁに?と話をした時、
確か私は「石榴」と答えていた気がする。
食べにくいものをゆっくり食べたい、
そんなことを言っていた。

生活しよう、と思った時に、
たぶん何もいらない、あっでも、
部屋の中が静寂で満たされない住宅地にいる必要性はあるのかもしれない。

部屋を演出して、座る自分を気取ってみたり、
人の生活は無駄なものが多くて、
たぶん今でも小さい頃につけていた偽物の宝石を指に嵌めているようなもの。
滑稽さが薄れてしまっては、なんとなくスマートすぎてもったいないような、
そんな気持ち。どこにでもいられるけれど、いつも無駄にごろごろしたものつけて、
歩きづらくて、その歩きづらさにイライラしながらも居心地の良さを感じる。
そんな俗っぽさ抜け落ちちゃったらつまらないものな。

日本人の黒髪はきっと朱色や紅色に意味をもたせるためのものなのだろう。
でも、全然、朱色なんて見かけないね。

昨日の午前中に丸ノ内線から見えた桜がとってもきれいで、
電車の窓は写真のようでした。