かのらにっき

曖昧な日常と、触れたものの日々。

今週!!

2008年09月29日 23時24分37秒 | Weblog
今週末本番です。
ゴースンの卵売り
いけいけでゅ-でゅ-公演(ユニット名ではない)
滔滔+托托+つむぐるむ

10/3.4
3 20:00ーA
4 14:00ーB/19:00ーA
各回開場30分前
予約
fu_yu27ku@hotmail.co.jp

きらめき探し
ユニット名考え中
ちょっとした飲み物付で
一般700/学生500

山田かの子で最初の公演です。
更科和と二人でやります。
このユニットでの公演は初なんで是非是非~!!
A・Bで違います。


雨が降って湿った、コンクリートの上野が好き。

うっかり追加募集に気付いて応募したら川上未映子氏の劇的3時間SHOWに当選しちゃいました笑
わわ、一人だけど楽しみです◎ミーハーかしらん。

今は走るとき。10月は落ち着くからとにかく片付けをしたい。トリエンナーレで行きたいイベントを逃しまくってるのではやく行きたい。常磐線揺れすぎこわいや。

ちいさる

2008年09月29日 06時31分24秒 | Weblog
ちいさなわたしのなみだのながす

小さい頃、初めて何かを観て泣いたのはセーラームーンだった。先にアニメで入り、94年あたりからなかよし本誌を読むように。
昔から感受性が強かったことと、すべてを背負わなければならない状況で戦っていく彼女たちの強さと儚さに幼いながら涙した。
セーラームーンは目を閉じて、世界と仲間とを思い涙するんだけど、迫ってくる戦いがあるので逃げられないの。涙をふいて、それでも戦う。そして、すべてを受け容れる。
母性に満ちた存在。

セーラームーンはそのコスチュームゆえに男性の消費の対象になってしまったと言われているが、性を強調した彼女たちのもつ『受容』、器の大きさ、見た目以上の男性から見た母性に男性が甘んじたことがその原因ではないかと思う。その後くるブルセラの流れは母性に甘んじた男性を、少女たちがさらに甘く受け取ったことである。

泣けた漫画はどれも、女の子の器だった。もとはか弱い、儚い彼女たちがまわりのこと/状況を受け入れまるごと涙することである。そして、笑う、軽くみえることで芯の強さが見えてくる。

私がなかよし派だったのは、そんな少女たちの強さの学び方に心打たれたからなのでした。
思い返してみて、自分はなかよし育ちであることがよくわかったのでした。

まどにせみ

2008年09月17日 14時31分58秒 | Weblog
部屋の窓に張りついちゃった。
鳴きやんだ!!
あ、やっぱ鳴いた。

なかなか可愛げのない鳴き声で、あたしなんかは阿呆よ、阿呆。

窓越しにご対面はとても恐ろしいので、目を合わせないように。

夏も終わりです。

つらつらと

2008年09月16日 08時00分44秒 | Weblog
ならぶことばたちに引っ張られ、前後の脈々を無視して、そいで目の前から消えてって、明日になれば横並びになれるんじゃないの、だなんて夢見てみたりして、夢見ることはとても好きなんだけども、首のうしろにかかった手が私の肩をもぐように、さっさと血やら肉やらは私を飛び越えていってしまう。

ひっちぎって、爪の隙間を診たときは、ぢんわりと滲みでてくるそれらで、充たされて、あたしはやんやん声を出すことを許されたにしても、葬られる方がよかったって、垢に言われちゃって、きゅるきゅる鳴く鷺さんの脚をぽっきんと折るのでした。

泣いたらいかんよ。
泣いたらいかんよ。

右耳から鬱はよく言われる話。


ほんの今、世の中のどこかで、誰かがだれかに、『女になってもいいんだよ』ってたっぷりとした何か、のある状態で言っていたとしたら、そのおんなのこはきっと女性になれるはず。目隠しして、パウンドケーキを広げて、きっと彼は彼女に食べさせてあげられる人なのよね。目隠ししたまま彼女は笑うことが出来て、あたしはそれをどっかで受信できちゃえて、おねがいしたって想えるのがね、ほんといい。


鈴木いづみは私にとって至極勝手に大事な人なんだけれども、
いづみの「づ」は「す」に「゛」のイメージです。

ノートを集めるは何か違うけど

2008年09月15日 15時13分33秒 | Weblog
ノートを買うことが好き。靴より鞄より服より化粧品より可愛い文房具が好き。
よく服や靴にごめんなさいを思うことはあるけれど、(いざ痛くてはけない靴は少なくない)文具はそのままかわいくいられるから。休み時間なら、机の上に置かれた文具に罪はなくて、かわいいものでいられる。

好きを、より好きになるためには愛着というものがいるのよね。幼い頃に持ってた「くーちゃん」はボロボロになって捨てられちゃったし、思い出に移ろっていったものたちは上書き保存が重ねられてさよならになる。思い出の濃いものほど写真がない。
何か決まったものを使い続けられない。増えはするけれど。

人だけは愛着を越して「愛する」になりたい。愛しているという事でもなく、愛する人に。

悲しいことは出来るならみんな背負わないでいてくれたらな、って思う。楽しいことになるわけでもなく、愛することがいい。目を閉じて愛することのできる場所があるのならばいい。
愛の視え方にスイッチがあるとしたらば、スイッチはいくらでも形を変えて数を増やすことができるのに。

大分県

2008年09月14日 10時47分17秒 | Weblog
じいちゃんのPCがかな文字入力のため、しばらく使えず。
やっと変更できました。

今は大分県日田市にいます。
三泊四日という強行スケジュールですが楽しんでおります。
久しぶりに気晴らしができています。

あとでアップしますが、昨日ちょっとした衝撃がありました。
従妹7歳が、「あたし自分のティッシュ持ってるよ!」っていうので見せてもらったらティッシュでティッシュの形の袋を作っていて、その中にティッシュが入っていました。と、いうかすべてティッシュでできたポケットティッシュです。
ちなみに、袋の部分にはシッシュって書いてあって間違えたとのこと。
それを当たり前に持ち歩いていて、これが私のティッシュだと言う。
彼女はもともとのポケットティッシュを見ていたときに何を思ったのかなぁ。ポケットティッシュの見た目を自分でカスタマイズしたかっただけなのかなぁ。
小さい頃は「わたしの○○」がとにかく大事な時期。自分にとって大事で自信の持てるものをとにかく大事にする。昨日の持ち物もおもしろかったです。
私も大事なものは大事と誇りを持って、それが自分にとってどれだけのものなのかわかれないにしても意識だけしておきたいなぁ。そうでないとまた朝起きたときに見失ってしまう。

従妹が駆け寄ってきて抱きついて、ずっと手つないで、隣座って、私の肩で寝て、最後はちゅーまでしてくれて笑、子供はどうやってもどんなかたちでも空気ではいてくれないのだなって思いました。
幸せだななんて思うのは、空気のように一緒にいるわけでないけれど、その空気がさらなる空気でない何かに守られているときなのかもしれないって思った。
私は愛情という言葉が愛しくもあります。何かによって出された手は、それはそれは大切なものであってほしい。

陸奥A子の漫画がみつかったので読んでいますが、私は陸奥A子の漫画を1話読むのにすごく体力を使います。前は受け入れられなかったのに、わりと落ち着いた作品を読んだためかじわじわと、浸み込んできています。

さー地下室にいってくる!!

まんが

2008年09月10日 21時29分39秒 | Weblog
大島弓子の...もうこの感覚はなんなんでしょうか。グーグーは猫であるが公開するからと7つの話が組まれた雑誌を読んでいます。

許しを与えられる少女がこの物語たちにはいて、それは生という世界の中でとても尊い幸せであって。なんて嬉しいことって、白い淡い場所に自分もいられるような、そんな満ち足りた瞬間をくれます。

綿の国星はLaLaっていうのがすごくわかる(笑)


月のパルス/くらもちふさこ
くらもちふさこは初めて読んだ。あ、嘘、駅から5分はちろちろ見てた。
消えちゃって
消えちゃう気がした。
なんでかなぁ

二種そーめん

2008年09月09日 00時03分46秒 | Weblog
東京の男の子/安彦麻里恵+ナナナンキリコ+大久保ニュー

こうこうこういう男の子の話を夢持てないが故に女子たちはするのかなぁ。男の子たちは現実視ないで状況を視ないでいいよってどこか許されている節があって、それを当人たちは知ってやっているのか知らないでやっているのかわからないけれどとりあえず夢見れないけど妄想体感は大好きな女子たちの会話というか。

高3の終わりくらいにも男にはひたすら夢を見させ続けてて、でも女は現実を見ざる得ないから現実を突きつけたり突きつけられ続けたり頭振りながら、それでもやってしまうんでないのかな、って話してたなー。また舞い戻る客体化の話。
それを自意識化しないとしんどいわけですよな。

と、同時に世の男はそれを好きでやってるようにみせつつも好きでやってるわけじゃないことを想ってみなさい。
勘違いの思い込み同士が本当に楽しい期間で、そっからシフトチェンジする対する感覚はあったかくもなりやすいはず、。

そんな中で、緩和させておもしろくさせちゃってどうしようかってする人は偉いなぁと思いました。わらけるけどいったい経験多そうな。でもマリエ氏だけはわからない。

世の男女は形の様々な受容の形状でつくられてってるんだろなって思う。

何より、男の子の写真とアンケートを見ながら3人が話していくのがおもしろくってたまらない笑。
あの人たちは自分らは男だって話をしていたけれど、
男以上のことをしてるので女だと思います笑


月のパルス/くらもちふさこ
11人いる!/萩尾望都を読む

思うんだけど、小学校3年生くらいの男の子とのデートが一番楽しいなとか。


語りもの

2008年09月04日 23時10分34秒 | Weblog
音楽を聴くときの、場でからだは変わるため、変えたら頭も変わるため、
私はこれを今回、部屋でただ、座ってきくことにしましたし、結果的になりました。
部屋の畳の上でベッドによっかかりながら、壁にむかって。
視得るものにより、おそらくこれらは動いてしまう。
だからこそ、おんがくの聴覚の体験からできることなのかもしれないな、と。
久々に家で集中して聴けた作品でした。

語りもの/鈴木治行 について

うたわれている、語られている、ものは
語られているものと、音楽が、聴覚にあるように。
うたはうたになり、言葉、というより、気づいた時には
うたは語られていた りもする。
たえず、現れる人々から出されるすべては、
おのおのがおのおのからいれかわり、
そこから
わたしたちは音楽をえらび、 音をえらぶ 言葉もえらぶ。
おんがくは音楽のままではいられず
音楽はおんがくとして かんきすることになる。
きくこといぜんにおんがくのことをおもうことで
音/音楽 うた/語り 語感/言葉 
音としてあった、それぞれと それぞれが、音になることで
浮き上がる感覚は聴覚体験以上の想像をもったまま、
私たちの聴覚としての体験から発起させてくれる。






うん

2008年09月01日 04時06分52秒 | Weblog
今日初めてタコシェに行ってきた。お金持ってなくてよかった。
いや、むしろお金はまったくないのだけど。

振袖は帯まで入れてものすごく安くしてもらえました。着倒そうと思います。父ありがとう。

停滞していた『シュミッツ現象学の根本問題』を読んでいます。この本とても欲しいなぁ。
肯定のための言葉が並べられているようでもあり、これの上で何かを創ることがあるとしたら表現を行為する人の捉え方への補助的なところかもなとか思った。
「誰」と、何をするのかというところはこれからまた追い込まれそうなところだなとまた思った。


「誰」が描写するためのものをやるのか、どこにいつも向いているのか、そして人とはどこを共有しどこに軽度の共鳴を持ってつくるべきなのか。