本当にどうされたい、を待っているのじゃ私はいられないみたいで。
そのためには自分からいくしかないと思うのだがパンクのギリギリのとこでどうこうする体力がまだまだ私には必要で。
責任の持ち方や責任感の在り方、人と関わっていこうとした時に、人間でありたいとした時に
たまに息ができないほどの責任の重さと、それに対するリスクやまめつしてゆくのに対する自分の無力さに悔しさで溢れる。
傍からみたら結果的にほぼ私一人で学校から先生を追い出した状況があった時も
何回も経験した学年問題級になっちゃった話し合いも
誰かと何かを創作や模索していく時も
いくらそれによって誰かが少しだけ救われたとしても
そのリスクや事の大きさに耐えることと
その原因となった泣いてきた友達をどうにかしたかったという小さいながらの決意も責任もあった上で
自分を大きく見せて保って、真の解決まで至れなかったこと
そうしたところで何回も裏切られたこと
いい決別を経験していないことが
何回も繰り返されてきた。
それでも態度は変わらないし、あくまで私の態度であるし、してもらったことのある記憶である。
繰り返されてきたことを繰り返したくなく
私の課題はどんどん明確になり
自分を大きく見せることなんてもういらない
相手にどう思われたっていい
それでも私はあなたに対してどうであるという押し付けではない、
受け容れた覚悟とからだが必要なのだと思う。
私が誰かと何かをすることや表出させること、舞台に立つことというのはそこに繋がり存在している。
三条会をみて、私がすごいなと思えるとこはそこに共通した部分があるからなのだと思う。
私自身の前提にあって
風が通っていって
私はいつか、もしかしたらと同時に思うのは甘いからなのか、
それでも夢をみてしまう時があるのです。
三条会は本当に凄いと思う。本当に凄いと思う。尊敬する。
そのためには自分からいくしかないと思うのだがパンクのギリギリのとこでどうこうする体力がまだまだ私には必要で。
責任の持ち方や責任感の在り方、人と関わっていこうとした時に、人間でありたいとした時に
たまに息ができないほどの責任の重さと、それに対するリスクやまめつしてゆくのに対する自分の無力さに悔しさで溢れる。
傍からみたら結果的にほぼ私一人で学校から先生を追い出した状況があった時も
何回も経験した学年問題級になっちゃった話し合いも
誰かと何かを創作や模索していく時も
いくらそれによって誰かが少しだけ救われたとしても
そのリスクや事の大きさに耐えることと
その原因となった泣いてきた友達をどうにかしたかったという小さいながらの決意も責任もあった上で
自分を大きく見せて保って、真の解決まで至れなかったこと
そうしたところで何回も裏切られたこと
いい決別を経験していないことが
何回も繰り返されてきた。
それでも態度は変わらないし、あくまで私の態度であるし、してもらったことのある記憶である。
繰り返されてきたことを繰り返したくなく
私の課題はどんどん明確になり
自分を大きく見せることなんてもういらない
相手にどう思われたっていい
それでも私はあなたに対してどうであるという押し付けではない、
受け容れた覚悟とからだが必要なのだと思う。
私が誰かと何かをすることや表出させること、舞台に立つことというのはそこに繋がり存在している。
三条会をみて、私がすごいなと思えるとこはそこに共通した部分があるからなのだと思う。
私自身の前提にあって
風が通っていって
私はいつか、もしかしたらと同時に思うのは甘いからなのか、
それでも夢をみてしまう時があるのです。
三条会は本当に凄いと思う。本当に凄いと思う。尊敬する。