かのらにっき

曖昧な日常と、触れたものの日々。

日々

2009年04月29日 08時54分01秒 | Weblog
私たちは道を躓くことすらできない

躓く時に意識がいきすぎて、着地の仕方、受け身の取り方だけ覚えてしまった。
躓く時に、その瞬間に何が起きていたかわからないまま、綺麗な着地をするよりも躓く瞬間、いかにして躓いているのかを感じながら派手に転びたい。


こないだ友人と
砂漠や砂丘を歩いているのに靴の中に砂が入らない。それはそういう歩き方を無意識に知っているからかはわからない。
入らないからこっそり自分で入れちゃう。
て話をした。

雨や雨や

2009年04月25日 12時24分22秒 | Weblog
てばなさないのにほぐれてゆく
曖昧な感触が蝕むこともなく浮いている。

脱脂綿のような濾紙。


こないだ服をつくっている子と企画の時の打ち合わせをして、同じ話をぐるぐるしてたんだけど(笑)その子が服をつくっているきっかけであるエピソードが、小学生の時に喪服を考えてて絵をかいたことらしい。その話が妙に残ってひっかかってる。

とはまた別に、人に支えられているなと思います。最近は特に。

ちなみにレは二人とも風邪ひいてダウン。相方さん、早く良くなりますように。

ぐるりぐる

2009年04月20日 07時57分54秒 | Weblog
金曜日
友達たちがつながってつながって話も白熱してておもしろかった。みんな理系というかプログラミングやってる女子で話がわからないときまったくわからなかった。
雨の中ノースリーブはちょい風邪になりました。
話しながらもっと色々できるはず、やってみるのみです。

日曜日
池田亮司+/-
レッドロブスターが懐かしすぎて泣けた

日々、六月末にやるイベントの話。企画ってやっぱりわたわたしますね。企画書つくってます。今月下旬には詳細がでるとおもいます。
砂つめこみたいんです

いるにちやく

2009年04月12日 04時33分06秒 | Weblog
次の企画打ち合わせを少しずつしているんだけど、どうなるかなぁ。

最近、2001年のSWITCH ACOの特集を手に取ったら大友さんのロングインタビューや杉本拓さんや伊藤篤弘さんなんかとのオフサイトでの対談があった。
グラウンドゼロ解散して、CATHODEやfilamentなんかの話がでていた。
『音』について問われ始めた時期で機材や素材の音をどう使うかがラディカルな形で現されていく。身体や感情や情報が排除された上で音楽があった時期。

昨日、友達と
これは個人的なのかもしれないんだけどやたらと1999年、2000年2001年頭あたりのことを覚えているって話になった。2003年くらいからの記憶の方が薄い。
私もまったく同じだったから驚いた。

その頃特別なことがあったわけじゃないのに。

だから待って、

2009年04月10日 00時10分41秒 | Weblog
うちの近く、徒歩1分のところに公園がある。
もうこの家に住んで17年になるし、必ず通過して駅に行くのでこの公園を見ない日はほとんどない。

今日は、友人とお茶してちょっとだけ呑んだ。スコーンがおいしかった。
ずっと喋って、もう6年目なんて変な感じ。
途中、私が違う子の話になって、かれこれ1年近く会ってないなぁとしょんぼりしてたら、その子からメールがきてた。

帰り道、なんとなく、慣れてきたと感じてみたり、思い出してみることがある。
前まではよく、駅から自宅までは電話する習慣があって、それはいろんな理由からだったんだけど。今地元ついた、って言うのが習慣づくってなんかおかしいね。
でも、全然違うところにいる人におかえりって言ったり言われたりすることが心地よかったりするもので、浮かれてたなって思ったりもするけれどそのラインがいい。
ままごとみたいでもあるんだけど、言っていたい。

歩いて公園を通る。
夜中は公園の外をまわって帰るんだけど、明るくってあったかいからつい中を通ってしまった。
その公園は大きな木が多い。木にかこまれているし、割と広い。
初夏になると緑に包まれる。

歩きながら、この公園は桜がないのかと考えていたら、桜の花びらが見えた。
桜の木があった。
17年生活していて、ほぼ毎日通るのに、桜の木があることを知らなかった。知っていたのかもしれないけど、覚えてないことは確かだった。

最近、世代論をすることが多い。
私が結婚をするころは結婚の制度が変わっている気がする。
法律は変わっていなくても、認識は変わっている。
もっと当たり前に女の子が女の子を紹介して、男の子が男の子を紹介する。
女の子が男の子を紹介して、男の子も女の子を紹介する。
二人に何があったのかは知らないが、双方で納得がいく何かがあったことが解かる。別にそれ以外は特に気にならない。

このまま進むと、一部でもてはやされてる○○系男子とやらは、80年代に楽しかった女性たちから愛でられていくことでしょう。そして消費されてゆくでしょう。
今、ホモソーシャルからフェミニズムソーシャルに転換していっているような。あの90年代の女の子たちのように商品価値を問うていることでしょう。

抗う力だけでは違った、というフェミニズムの結論からジェンダーにシフトされていない。術を知らない、男性が初めて被害者側(端的ですが)にまわっても意味がない。フェミニストは責任をとる必要はないし、フェミニズムソーシャルから男性がマイノリティにいる必要もない。
必要なことは共同体として、極私的で小さなコミュニティをどう形成していくかを問い直すことである。ゆるさの中には、マナーやそれぞれの価値観があるとは思うけれど、恋人と呼び合うようになる人たちは恋人とは何かを問い直してみて、はたして恋人ではない人はどういう人なのかを考え、というより、この人は私にとってなんの人なのかクリアにしていく。男女のない小さなコミュニティは個人の道徳観が基準になってくるから。

今年流れてきている80年代と、00年代が同在していることが気になっている。
肉食とか言われていたりするが、現代の女子たちは決して80年代を求めているわけではない。80年代的であっても、90年代・00年代を受けているから。
10年代に入れるか、入れないかは消費された性を経験しきった女子たちの感覚や広さにかかっているのかもしれない。

私はいまだって、結婚して苗字が変わることが夢である。
桜があったことを忘れるくらい、毎日通るところにいたい。

レッスンバッグお披露目会

2009年04月05日 08時41分24秒 | Weblog
2日はレッスンバッグお披露目会でした。

なんと七針にお客様が18人もきてくれました。
本当にありがとうございます!客層がおもしろいことになってました。スーツ率も高い。
感想書いてくださった方までいて。
相方をもっと紹介してまわりたかったなぁ。

何より虹釜さん・加藤さんありがとうございました!

色々豪華でした(笑)

ちなみに初めての演奏だったんですが。
私のやっていることは身体とのダイレクトな関係が現れます。作品として、演奏としてどういう身体か、また身体そのものはどういう状態かとかまだまだ模索段階ですが音楽と音と身体の扱い方は詰めていきたいです。
いかなる理由で声にいきついたかは置いといて、女性で声を使うとなると少ないことでモンクや吉田アミさんという存在は避けて通れません。自分にとってのきっかけが明確なので続けて色々やってみたいと思います。

レッスンバッグのやってることとしては即興演奏がどうの、とか曲としてどうの、とかパフォーマンスとしてどうの、みたいな話がでると思いますがおいおいしていけたらなと思います。

久々に会った人や(久々の気がしないねって話した)、あ!数年前にあの人と会ったことある!って人もいたりして驚きました。

私のおばちゃん化が進んでいる中、レッスンバッグは次に6月くらいに企画する予定です。

レッスンバッグの情報その他もろもろは
http://d.hatena.ne.jp/lessonbag
にかいていきます。

毎度後悔するんですけど頭まわんなくて写真とかの記録残してないんですよね。

最近素直に生活しています。
感謝、感謝。
地道に、作業していきます。
やっと具体的にやれるようになってきた。
音楽、音楽おもしろい