接骨院閑話 Ver.2024_01

「しれは迷ひしらねは迷ふ法の道
 なにかほとけの實になるらん」
至道無難禅師の句は健康にも通じるのです。

ササヤカな闘病記⑤

2024年02月05日 | 経験談

私の身体に起きている事をネットで調べてみますと、
業者(お医者)サンは、
●●●●●(昔は●●●●●)と診断しているようです。
これでは健康を維持増進するとか、
健康のゴールを知るどころの話しではなくなってしまいます。

マタ日に日に私の厭世観も強くなってきて、
仕事に集中できなくなってきました(嫌気が差してきました)から、
何時迄も放っておく事もできません。

~2024年追記:
接骨院に来るお客サンの影響を受け始めた時に私は、
接骨院に来るお客サンはミンナ、
傷んだ生モノだと思えるようになりました。
それで触るのがイヤになっていたのです。
然しその後に改めて気付いた事は、
肉や魚は傷み始めたら腐敗が進むだけなのですが、
ヒトの場合は傷んだ部分は修復される事でした。~

そこで私は自分の身体に起きている事を調べる事にしたのです・・・が、
医療(医学)の分野で調べると、
私はキチガイ(病人)になってしまいますから、
それ以外の分野で調べるしかなく、
それが宗教(スピリチュアル)だったのです。

宗教(スピリチュアル)の分野で、
私の身体に起きている事を調べてみますと、
これも私の健康状態が向上していく過程の一つと考えられ、
仏(ブツ)用語の「身心一如」で解釈できるものだったのてす。

仏教で、肉体と精神は一体のもので、分けることができず、一つのものの両面であるということ。「身心」はからだと心。「心身」とも書く。「一如」は真理はただ一つである意。「一」は不二、「如」は不異の意。異ならないこと。「心」は「しん」とも読む。
「goo辞書:身心一如」より
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/身心一如/m0u/

これを私の経験で少し説明しますと、
私の身体はある程度回復しましたから、
次は回復した身体が、
一番負担のかからない感覚・精神(心)・身体の働き等、
目に見えない(曖昧な)部分が修正を始めたと考えられるのです。

私はホンの少しだけ「身心一如」を経験して、

体調不良(ケガや病気を含む)が、
どのようなモノ(精神的な病気)だったとしても回復を目指すのであれば、
生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しは必須である。

事を知ったのです。

私は自分がキチガイではないと分かると、
更に体調を良くしようと欲が出てきました。

そこで次は水曜日も食べない日にしたのです。
(他に実践した細かい事は省略します。)
これで私の食事回数は1週間に4食になり、
1食の内容は相変わらず、
茶碗1杯の玄米とお碗1杯の味噌汁とドンブリ1杯半の生野菜という、
非常に簡素な食事を続けたのです。

今回は空腹を全く感じないし、
私の感覚はマスマス冴えて澄んできました。

感覚が冴えて澄んできて何が起きたのかは、
一般的に考えられている健康とは大きく違っていますから、
このブログには書きませんが、
それよりも今回私が言いたい事は、
この時から起こり始めた困った事です。

このようなムチャクチャな(食)生活を始めて1ヶ月程経ちますと、
次のような事が起き始めました。

・手足が一日中冷たく感じるようになり、
 日中仕事で身体を動かしていても、
 身体が温かく感じられなくなってきた。
・体重が72㎏±1㎏で横這いになり、
 体重が減らない事で常にイライラするようになった。
・以前にも増して厭世観が強くなってきた。

事です。

一日中身体が冷たく感じるのは初めての事です。
これが良い事なのか悪い事なのかが分からない儘に、
1ヶ月程経ったある日の事。

(身体にとって良い事か悪い事なのかが分からなかったのは、
 ①私にとって初めての事。(経験不足)
 ②症状が体調の良し悪しを判断する目安にはならなくなっていた事。
  これは私の健康観(健康や病気の考え方)が変わっていく時で、
  健康状態を判断できる新しい基準がマダできていなかった。
 の二つの理由によります。)

仕事中に突然、
頭の働きが止まった・・・としか言いようがない状態になってしまったのです。

それは仕事の段取りが分からなくなり、
お客サンが何を言っているのかが分からなくなり、
お客サンや事務員サンが私に話しかけてきて、
私は自然に受け答えをしていても、
相手が何を言っているのか、
マタそれに対して答えている私が、
自分が何を言っているのかも分からなくなってしまったのです。
それでも身体は普通(何時も通り)に仕事をしているのです。

これを例えますと、
自分の中にいる誰かサンが、
勝手に私の身体を動かして仕事をして、
お客サンや事務員サンと話しをしているのを、
私は傍でタダ眺めているだけ・・・という感じです。
~2024年追記:今思えば貴重な経験でした。~

多分、これは私が短期間に食事を減らしていった事で、
身体がそのスピードについてこれず、
(スピードについてこれないとは、
 一つの事をヤッて身体がその環境に慣れる前に、
 次の事を始める事を繰り返したという意味です。)
栄養失調(特に糖不足)になったと思われます。
これを諺では「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というのでしょう。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の解説
過ぎたるは猶及ばざるが如しとは、度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないということ。
「故事ことわざ辞典:過ぎたるは猶及ばざるが如し」より
https://kotowaza-dictionary.jp/k0300/

私はスグに事務員サンに●●●●●●●もらい、
毎日、●●●●●●●仕事をして2週間程で回復できました。

この経験で私は、

現在の日本では虐待とか過激なダイエット等の特殊な事情を除いて、
栄養失調(栄養不足)で体調不良(病気を含む)になる人はいない。
だから食事を見直す時にはマズは食べ過ぎから考える。
~2024年追記:
最近では「新型の栄養失調」という言葉を聞くようになりましたが、
これは昔(昭和時代)は偏食といわれていたものです。~

事を知ったのです。

新型栄養失調(Malnutrition)は、食事によるエネルギーは十分に摂取しているにもかかわらず、たんぱく質、ビタミン、ミネラルなどの身体に必要な栄養素が不足している状態を指します。この状態は、風邪を引きやすくなったり、疲れがとれにくくなったりするなどの体調不良を引き起こすことがあります。新型栄養失調になる原因として、偏ったダイエットやファストフード中心の食生活が挙げられます。栄養バランスの良い食事を心がけることで、新型栄養失調を予防しましょう!
「Copilot:新型栄養失調」より

そしてここ迄の経過(肉魚酒アレルギーになってからの経過)で私は、

・健診検査は体調不良(ケガや病気を含む)の回復では、
 一時の指標として使えるが、
 体調不良(ケガや病気を含む)の回復を判断する指標にはならないし、
 病気予防や健康増進の指標としては全くアテにならない(使えない)。

・健康には段階がある。
 体調不良(ケガや病気を含む)を回復する(治す)事は、
 健康を考えるうえでは初級(入り口)で、
 今、体調不良(ケガや病気を含む)の人は、
 その体調不良(ケガや病気を含む)を回復させない(治さない)限り、
 病気予防も健康増進もない。

・現在は健康(病気を含む)を勉強して難しく考えてしまい、
 取り越し苦労をするあまり四面楚歌になっている人が多い・・・が、
 トウの本人は取り越し苦労をしている自覚はないし、
 四面楚歌に陥っている自覚もない。

事を知ったのです。

「しめんそか【四面楚歌】」の解説
周囲がすべて敵や反対者で、まったく孤立して、助けや味方がいないこと。また、そのさま。孤立無援。
「goo辞書:四面楚歌」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9B%9B%E9%9D%A2%E6%A5%9A%E6%AD%8C/

今回、私は栄養失調(特に糖不足)になった事で、

・十分過ぎるほど体調が良くなっている事。
・感覚が冴えて厭世観が強くなり仕事に支障が出ている事。
・慢性の体調不良が回復する過程を身を以て経験できた事。
・この儘続けた時の身体の変化を初めて怖いと思った事。
・この儘続けると接骨院ではなくなってしまう事。
 (私は接骨院が好きなのですから・・・)

から今迄ヤッてきた事を、
最小限(普段の生活や仕事を邪魔しない程度)のものだけを残して、
他は全て止める事にしたのです。

それは食事を一日に二食に戻して、
極端な穀物菜食(ヴィーガン)生活を軽いものにして、
週2回の銭湯での温冷浴を、
家で入浴した最期に、
短時間水(シャワー)で全身を冷やす程度にして、
疲れた時には夜は早く寝るようにして、
他に実践していた事は全て止めたのです。
(ダメならもう一度始めればいいだけの事です。)

つまり私は今度は体調を悪くする努力を始めたのです。
この時の努力も大変でしたが、
ブログのテーマとは違いますので気が向いた時に説明します。

そんな努力の甲斐もあって、
私の体調は、
以前の絶好調の時と比べると確実に悪くなり、
それに合わせて感覚も相当鈍くなったのです・・・が、
それでも体調不良(病気を含む)になる事はないし、
薬やサプリメントを飲まなくても、
特定(メタボ)健診や予防接種を受けなくても、
規則正しくて面倒臭いエサのような食事や、
大嫌いな運動(スポーツ)をヤラなくても、
禁煙・減塩・糖質制限をしなくても、
(酒は平成17年(2005年)に卒業しました。)
毎日、元気に生活(仕事)する分には十分に良好な体調が維持できているし、
厭世観もなくなったのです。

厭世観が無くなった事で私は、
「ヤッと娑婆に戻ってこれた(ヤッと里に下りてこれた)」と思いました。

「しゃば【娑婆】」の解説
《(梵)sahāの音写。忍土・堪忍土などと訳す》
①仏語。釈迦が衆生(しゅじょう)を救い教化する、この世界。煩悩(ぼんのう)や苦しみの多いこの世。現世。娑婆世界。
②刑務所・兵営などにいる人たちが、外の自由な世界をさしていう語。
「goo辞書:しゃば【娑婆】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A8%91%E5%A9%86_%28%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%B0%29/

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