接骨院閑話 Ver.2024_01

「しれは迷ひしらねは迷ふ法の道
 なにかほとけの實になるらん」
至道無難禅師の句は健康にも通じるのです。

ササヤカな闘病記⑥総括

2024年02月12日 | 経験談

結局、私は健康のゴールは分からなかったのかもしれないし、
今迄に体感した事がない程の良好な体調(絶好調)になれた事から、
これが今の私には健康のゴールだったのかもしれません。

今回の一件を振り返って思う事は、
モシ当時の私の体調不良(肉魚酒アレルギー)が、
仕事に支障が出る程の辛いモノでなかったら、
モシ私の身体を心配した周囲の身近な人達の、
善意の助言に素直に従っていたら、
モシ体調不良(肉魚酒アレルギー)になった原因を、
単純に「加齢」「ストレス」「ハウスダスト」「原因不詳」等と、
曖昧なもので納得していたら、
モシ医療機関を受診して業者(お医者)サンの指示に従って、
薬の一つでも使い始めていたら、
今でも私の体調不良(肉魚酒アレルギー)は治っていなかっただろうし、
今迄のケガや病気で治し損ねて身体に燻らせていたモノも、
(私はコレを「ツケ」とか「古キズ」と言っています。)
一つとして治せていなかったと思います。

確かに薬を使えば、
症状(全身の腫れと痒み)は一時的に軽減消失するとは思いますが、
然しそれは治った事ではありませんから、
今でも不快な症状(全身の腫れと痒み)が出るのではと、
毎日ビクビクしながら(症状が出る事を警戒して)生活して、
症状(全身の腫れと痒み)が出る度に、
仕事の合間を縫って医療機関を受診して、
実の伴っていない検査結果に一喜一憂して、
業者(お医者)サンの指示通りに、
治る事のない薬を使い続けて、
誰かに勧められた(テレビやネット等で知った)、
治るアテのない代替療法やサプリメント等に手を出して、
肉魚酒アレルギーを治す事とは全く関係ない、
業者(医療福祉従事者)サンによる生活習慣(「食事」「運動」)の指導を、
回復する(治る)事を半ば諦めながらも、
「コレもヤラないよりはマシか・・・」と思ってソコソコ真面目に実践して、
今でも不自由な生活をしていたと思います。
モシかしたら変な宗教に入信して、
怪しい儀式を受けていたかもしれません。

そんな「治る」がないという意味で無駄無意味な事を、
手間暇費用をかけて続けていくうちにも、
その環境に身体は慣れてイッケン平和な毎日が送られたとしても、
も私の身体の働きは着実に弱化していきますから、
以前の体調不良(ケガや病気を含む)を治し損ねて、
身体に燻らせた儘にしているモノ(古キズ=ツケ)が抑え切れなくなり、
些細な事をキッカケとして再発したり、
それ(古キズ=ツケ)が起因した新たな体調不良(病気を含む)に、
翻弄されていったと思います。

そんな事を思いますと私の場合は、
幾つもの幸いに恵まれました。
特に体調不良(肉魚酒アレルギー)になる迄は、
私の欠点(短所)だと思っていた、
そして周囲の身近な人達からも度々指摘されていた、
「不精」「怠け者」「短気」「頑固」等といった、
本来ならば変えた方がいいと考えられている厄介な性格も、
今回の体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す時には、
大いに役立ってくれたのです。

それは私の体調不良(肉魚酒アレルギー)が、
緊急性がない些細な不調だったとしても、
普段の生活や仕事に支障がでる程に辛かったのが幸いして、
どんな尤もらしい理由を考えても(言い訳をしても)、
実際に体調不良(肉魚酒アレルギー)が治らずに元の生活に戻れなければ、
そんな理由(言い訳)は全く無駄無意味な事を知り、

元々が不精で怠け者だったのが幸いして、
些細な体調不良(ケガや病気を含む)が緊急性がない場合は、
医療機関を受診して治療を受ける(薬を使う等)といった、
手間暇のかかる面倒臭い事を考えられなかったから、
自然に自分の生活を観察するようになり、
普段の生活の中で少しでも楽になる工夫をするようになり、

元々が健康に無頓着だった事と、
私の体調不良(肉魚酒アレルギー)が緊急性がなかった事が幸いして、
「ササヤカな闘病記①~⑤」(2024/01/08~2024/02/05)
で説明したような、
イロイロな事を何の先入観もなく自由に試す事ができて、

元々が人の言う事を聞かない(聞けない)厄介な性格が幸いして、
自分が試した事の結果が、
それが身体が楽になった事でも、
逆に身体が辛くなった事でも、
誰かに聞く(縋る)事はせず、
分からない事は全て本やネット等で調べて自分で判断して、
その結果が業者(医療福祉従事者)サンが言っている事と違っていたとしても、
全て自分が出した答え(仮説)を優先させてヤッてきた結果、
私の体調不良(肉魚酒アレルギー)は治ってしまった(完治)のです。

これで私は健康(病気を含む)には、
自分で判断する事(自力)の大切さを知ったのです。

このように私が今回の些細な体調不良(肉魚酒アレルギー)を治す時には、
自分の欠点(短所)だと思っていた性格(性分)が、
大いに役立ってくれたのですが、
これで私は、
「ヒトの性格に悪いもの(短所)は一つもない。
 適材適所で活かされれば全てが長所。」
というゴク当たり前の事を知ったのです。

これも諺では「禍を転じて福と為す」といっていいのでしょう・・・。

禍を転じて福と為すとは、自分の身にふりかかった災難や失敗を上手く利用して、逆に自分の有利になるよう工夫する。
「故事ことわざ辞典:禍を転じて福と為す」より
https://kotowaza-dictionary.jp/k0130/

ところが以前に私の身体を心配して善意の助言をしてくれた、
私の周囲の身近な人達はミンナ違っていました。

この人達は普段から健康(病気を含む)にソコソコ関心を持ち、
体調が悪くなると、
スグに医療機関を受診して検査を受けて、
検査で異常が見つかれば、
(人によっては異常がなくても万が一を考えて、)
業者(お医者)サンの指示通りに治療(薬を含む)を始めたり、
その他にも「健康の為に(病気にならない為に)」と、
本やネットで知った何等かの事を
自分なりに工夫して始めたりしていたにも係わらず、
十年経った今でも、
当時の体調不良(ケガや病気を含む)は治っていないばかりか、
新たな体調不良(病気を含む)が追加されて、
通院する医療機関や飲んでいる薬の量が増えていく人とか、
体調不良(病気を含む)が進むのを止められず、
辛い闘病生活(寝たきり等)が始まった人とか、
身近な人の顔や昨日今日ヤッた事を忘れるようになり、
介護のお世話になっている人ばかりなのです。

中にはそんな努力の甲斐もなく早々と寿命を前倒しして、
この世からいなくなった人も多くいたのてすが、
寿命を前倒しして死んでいった人の死に様は皆サン一様に悪く、
見ていてもこれ程憐れで悲しいものはないのです。

ナゼ健康(病気を含む)に無頓着な私が元気でいられるのに、
健康(病気を含む)に対して真面目に取り組んでいた人が、
何時迄も体調不良(ケガや病気を含む)を回復させられず、
着実に身体を弱めていったのでしょうか?

この疑問に対する私の答えは幾つもありましたが、
その答えの一つが先にも述べましたように、

私は全て自力だったのに対して、
私に善意の助言をしてくれた人達は、
全てが他力(業者サン任せ)で、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復ばかりか、
健康に関する一切を、
業者(医療福祉従事者)サン(の考え方)に依存(丸投げ)している。

事だったのです。
(御他力(業者(医療福祉従事者)任せ)サンの弊害は後述します。)

このように自分の事である筈の健康(病気を含む)を、
全て他人任せにしてきた人達の経過を観て、
健康(病気を含む)にはマズは自力が大切だと確信したのです。

私に善意の助言をしてくれた人達が、
如何に業者(医療福祉従事者)サン(の考え方)に依存(盲信)していたのかを、
少し説明します。

それは私が生活習慣(「メシ」「フロ」「ネル」)の見直しだけで、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復した(それも完治)時に、
以前に私に善意の助言をしてくれた人達が、
「どうやって治したの・・・?」
みたいな事を聞いてくるようになりましたから、
私は「少しは自分の健康(病気を含む)を考える参考になれば」と思って、
私の経験を話した事が何回かありました。
然し私の話しを聞いた人はミンナ、

「今は良いかもしれないがそんな事を続けていたら病気になるゾ!」
「万が一の事を考えて一度検査を受けなさい。」
「その方法はタマタマあなたに合っていただけ。」
「それが効いた理屈(理由)を説明しろ。」
「お医者サンはそんな事は言っていない。」
「お前は変わり者だ。」
「お前が言っている事は全く分からない。」

等、
自分から聞いてきたクセに、
自分の体調不良(ケガや病気を含む)がチットも治っていないのは棚に上げて、
実際に体調不良(肉魚酒アレルギー)を回復(それも完治)させて、
絶好調になった私の話しには、
全く興味を示さないどころか否定までしたのです。

私の周囲の身近な人達が、
誰一人として私の経験談に聞く耳を持たなかった理由は、
不精で怠け者の私に信用がなかったのかもしれません・・・が、
実際に体調が良くなった私の姿をも否定したのは、
私が業者(医療福祉従事者)サンと違う考え方や方法で、
体調不良(肉魚酒アレルギー)が回復した(治った)のが、
理解できなかったのだと思います。

つまりこの人達はミンナ、
現在の科学的(エビデンス重視)な医療(医学)の考え方だけで、
健康(病気を含む)を考える事が、
唯一の正解だと思っていて(勘違いして)、
そこに現在の科学的な医学(医療)以外の、
健康(病気を含む)の考え方を知らない事も加わり、
体調が悪くなればスグに「万が一」を考えて、
(殆どの場合が取り越し苦労ですが・・・)
自分で考えるよりも先に医療機関を受診して、
業者(医療福祉従事者)サンの指示指導に従うのが、
最善の方法(唯一の正解)だと思ってしまった(勘違いしてしまった)のです。
それが自分の事である筈の健康(病気を含む)の一切を、
業者(医療福祉従事者)サンに依存(丸投げ)している人の盲点なのです。

「エビデンス【evidence】」の解説
1 証拠。証言。
2 医学で、臨床結果などの科学的根拠。その治療法がよいとされる証拠。
「goo辞書:エビデンス【evidence】」より
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%93%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B9/

科学的な根拠(エビデンス)だけを重視した、
現在の医療(医学)の考え方や方法だけで健康(病気を含む)を考える事が、
今では無理があるのは、
少し調べて自分の周囲を観れば誰でも分かる(気付く)筈なのですが、
旧態化した現在の医療(医学)の考え方だけで、
自分の健康(病気を含む)を考える習慣を身に付けてしまった勘違いサンは、
そんな僅かな事を興味を持って調べる事も、
自分の周囲の人を意識して観察する事もしないのです。
(これに関しては後述します。)
~2024年追記:
「今では無理がある」というのは「行き詰まっている」という意味です。
それは一部の体調不良(病気を含む)では、
業者(医療福祉従事者)サンの治療は全く実績がないからです。~

私達は乳幼児期からの(親からの)刷り込みや、
現在の医療(医学)の恩恵を十分に受けている事や、
(恩恵とは薬の即効性等を経験してきた事です。)
健康(病気)問題を業者(医療福祉従事者)サンに丸投げをしている人は、
自分の健康(病気を含む)にも無関心だったり、
仮に関心を持ってイロイロと勉強したとしても、
それは業者(医療福祉従事者)サンの考え方だけを詳細に調べるだけで、
そこにテレビや雑誌やネット等による、
業者(医療福祉従事者)サンのタユミナイ啓蒙活動も加わり、
健康(病気を含む)に関心を持って勉強している人ほど、
自分が今迄に身に付けた健康観(健康や病気の考え方)の見直しではなく、
自分がヤッてきた事を正当化するだけのものになっているのです。
然しヤッテイル感は十分に得られますが・・・。

そんな勘違いサンには、
私が何を言っても聞く耳を持たないのは当たり前・・・。
逆に私が説得されたのも当たり前だったのです・・・が、
そんな人達に囲まれても私は、
孤軍奮闘しながらもよくも自力で、
体調の立て直しができたものだと思ったのです。

この時に私は、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復は、
義理や人情は邪魔になる(回復を妨げる)だけで、
多数決や話し合いや交渉でも、
体調不良(ケガや病気を含む)の回復はできない事を知ったのです。

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