兼六園
2005-12-28 | 旅

日本三大庭園兼六園。
あとの二つは知らない。
あまり、庭園に関して詳しいことは分からないんだよな。
要はお茶会で、お茶を飲みながら自然を鑑賞するために庭園があるのかな。
しかし、さっき見てきた現代アートと今見ている庭園は食い合わせが悪いっていうか。
日本酒とワインを飲んでいるようなおなかの気持ち悪さ。
しばらく何か違和感を感じながら歩いていた。
でもさっきから哲学モードのスイッチは入っているぞ。
日本庭園は自然に属するのか、人工に属するのか。
自然は偶発的でその場限りのものというイメージ。
人工は理論的で保存のきくものというイメージ。
お茶会を開く季節、時間、場所によって、同じ庭園でも花が咲いていたり、雪が降っていたり、光がさす方向や量が違ったりするんだよな。
日本庭園は自然を人工的に切り取って来て配置し、そこに生じる偶発性を楽しむものと考えよう。
とすると、日本庭園は人工でもあり自然でもあるんだよな。
なんとなく、そういう両面性はある種の現代アートにも通じるものがある気がする。
考えるに、人工も自然の一部なんじゃないだろうか。
人が作り出すものも、ある種の偶発性に作用されている。
どんなに滑らかな板でも、拡大して原子レベルで見れば、そうとうな凹凸が露わになるはず。
一つとして同じものは作れない。
人工と自然は対義語じゃないんじゃない?
兼六園を見た後は、金沢城址の公園を歩いた。
なんだか、松ばかり見ているような気がする。
あとの二つは知らない。
あまり、庭園に関して詳しいことは分からないんだよな。
要はお茶会で、お茶を飲みながら自然を鑑賞するために庭園があるのかな。
しかし、さっき見てきた現代アートと今見ている庭園は食い合わせが悪いっていうか。
日本酒とワインを飲んでいるようなおなかの気持ち悪さ。
しばらく何か違和感を感じながら歩いていた。
でもさっきから哲学モードのスイッチは入っているぞ。
日本庭園は自然に属するのか、人工に属するのか。
自然は偶発的でその場限りのものというイメージ。
人工は理論的で保存のきくものというイメージ。
お茶会を開く季節、時間、場所によって、同じ庭園でも花が咲いていたり、雪が降っていたり、光がさす方向や量が違ったりするんだよな。
日本庭園は自然を人工的に切り取って来て配置し、そこに生じる偶発性を楽しむものと考えよう。
とすると、日本庭園は人工でもあり自然でもあるんだよな。
なんとなく、そういう両面性はある種の現代アートにも通じるものがある気がする。
考えるに、人工も自然の一部なんじゃないだろうか。
人が作り出すものも、ある種の偶発性に作用されている。
どんなに滑らかな板でも、拡大して原子レベルで見れば、そうとうな凹凸が露わになるはず。
一つとして同じものは作れない。
人工と自然は対義語じゃないんじゃない?
兼六園を見た後は、金沢城址の公園を歩いた。
なんだか、松ばかり見ているような気がする。