キノコ取りの名人は自分の稼ぎ場所を決して他の人には言わないという。
正直に告白すると、僕は事前にひのはらユースホステルに行くと書いてしまったことを後悔している。
誰にも教えたくないのだ。
旅の記事の日付は基本的にその出来事が起こった日であり、記事を執筆した日ではない。
ひのはらユースホステルを体験してきた今だから言えるのだが、僕はこの場所は知る人ぞ知る場所であって欲しいと願う。
だからといって、これ以上何も書かないというのは中途半端である。
逆にひのはらユースホステルの魅力を存分に語りたいと思う。
まず、この宿を何も知らない人が泊まりに来るということはまずないと思う。
宿泊者はリピーターが多く、初めての人も大なり小なりこの宿の噂を聞きつけてやってくるのだ。
というのも、檜原村は観光名所のような場所ではない。
見た限りコンビニもなかった。
山と川しかないのだ。
山を見たいのなら普通は奥多摩に行くのだと思う。
それこそ、ひのはらユースホステル自体を目的としなければ絶対に行かない場所である。少なくとも僕の場合は。
都内といっても交通の便も悪い。
立川、拝島から出ている五日市線に乗って、終点の武蔵五日市へ。
(五日市線という路線が存在していることは今回始めて知った)
そこから1時間に1本程度のバスに乗り10kmほど走るのだ。
都心からスムーズに乗り継いでも2時間はかかる。
しかも、僕のように宿がどこにあるか分からず、全然見つからないし。
そして、宿は男女別相部屋。
特に男性は2階を全部1つの部屋として使った広々としたスペース(もはや部屋ではない)に適当に布団を敷いて寝るのだ。
いかにも山荘といった雰囲気なのである。
ただし、ゆっくり出来る宿ではない。
そんな、遠くて、山と川しかなくて、何にもなくて、それでいて騒々しくて、と決してこの宿の良さはカタログでは分からない。
囲炉裏があっておいしい食事が楽しめ、温泉があり、露天風呂がある(今の時期は寒いので露天風呂は使えなかった。脱衣所も吹きっさらしの外にあるそうだ)、
というのもひとつの魅力であるが、それはひのはらユースホステルの魅力のほんの一部でしかなかった。
正直に告白すると、僕は事前にひのはらユースホステルに行くと書いてしまったことを後悔している。
誰にも教えたくないのだ。
旅の記事の日付は基本的にその出来事が起こった日であり、記事を執筆した日ではない。
ひのはらユースホステルを体験してきた今だから言えるのだが、僕はこの場所は知る人ぞ知る場所であって欲しいと願う。
だからといって、これ以上何も書かないというのは中途半端である。
逆にひのはらユースホステルの魅力を存分に語りたいと思う。
まず、この宿を何も知らない人が泊まりに来るということはまずないと思う。
宿泊者はリピーターが多く、初めての人も大なり小なりこの宿の噂を聞きつけてやってくるのだ。
というのも、檜原村は観光名所のような場所ではない。
見た限りコンビニもなかった。
山と川しかないのだ。
山を見たいのなら普通は奥多摩に行くのだと思う。
それこそ、ひのはらユースホステル自体を目的としなければ絶対に行かない場所である。少なくとも僕の場合は。
都内といっても交通の便も悪い。
立川、拝島から出ている五日市線に乗って、終点の武蔵五日市へ。
(五日市線という路線が存在していることは今回始めて知った)
そこから1時間に1本程度のバスに乗り10kmほど走るのだ。
都心からスムーズに乗り継いでも2時間はかかる。
しかも、僕のように宿がどこにあるか分からず、全然見つからないし。
そして、宿は男女別相部屋。
特に男性は2階を全部1つの部屋として使った広々としたスペース(もはや部屋ではない)に適当に布団を敷いて寝るのだ。
いかにも山荘といった雰囲気なのである。
ただし、ゆっくり出来る宿ではない。
そんな、遠くて、山と川しかなくて、何にもなくて、それでいて騒々しくて、と決してこの宿の良さはカタログでは分からない。
囲炉裏があっておいしい食事が楽しめ、温泉があり、露天風呂がある(今の時期は寒いので露天風呂は使えなかった。脱衣所も吹きっさらしの外にあるそうだ)、
というのもひとつの魅力であるが、それはひのはらユースホステルの魅力のほんの一部でしかなかった。
なんですよねー。それでいて、あのボリューム、味も満点の夕食、朝食。
新緑、避暑、紅葉とすばらしいところです。
村の吉祥寺の名物和尚さんも昨年(一昨年?)亡くなられて、さびしくなりました。
キノコ採りが自分のキノコの採取場所を教えないのと同じで、檜原村のユースホステルの場所を教えないと書いてあるところで笑ってしまった。
私はここに泊まったことがない。
檜原村へ行くたびに、民宿とか旅館に泊まっていたから。
なくなってしまう前に、ユースホステルに一度でも泊まっておけば良かった。残念。
今は、その建物、何になっているのだろう。
もう更地にしてしまったのだろうか。