9月の終わりに健診と病院の夜勤のお手伝いで南三陸町に行きました。
震災直後と今とでは医療従事者の役割もだいぶ変わってきたように思います。
南三陸町にある土手に上って景色を見渡すと
果てしなく続く更地と所々に集められた瓦礫しかありませんでした。
たくさんの職員のかたが犠牲となった役所も通りましたがTVで見ていたよりも
はるかに大きく本当に見上げるほどの建物でした。
健診は希望者がとても多かったけれど順調にすすみ、
仮設のほうもまわって診療介助にあたりましたが震災直後に比べれば環境はよくなってるように見えますが
まだまだ赤ちゃんやお年寄りのかたがたが生活していくうえではこれから来る冬対策も兼ねて改善していく面や予防接種の被災地無料化など挙げられる問題点がたくさんありました。
東京に帰ってそれらを政府に届けるためのレポート作成も今やっているところです。
今回、私と同じ年であの3・11に一瞬にして旦那さんも子供も両親も
妹夫婦も家も職場も同僚も何もかもを失ってしまった人に出会いました。
「半年たってもいろんな人に励まされても全然良いほうに今でも考えられない。今は仕方なく生きてる、早くあっちの世界に行きたいけど、一周忌、三周忌だ、ってみんなで仕事を残して行っちゃったからそういうのをこないていればいずれあっちで会えるからね。
でもなんで私も死ななかったんだろう。それが悔しい。」
と言っていました。
何の苦労もなく平々凡々に生きている私には想像を絶する絶望です。
携帯を見つめながら「登録してる人、ほとんど死んじゃったんだよ」と泣いている彼女にかける言葉はみつかりませんでした。
ずっとそばで背中をさすっていたときにやっと見つけた言葉が「友達になろうよ!」です。
時が止まったままの彼女の携帯に私の連絡先を登録してもらい、
気が向いたらでいいからいつか遊びに来て!と小さな約束をしました。
彼女も笑顔が見れたとき本当に嬉しかったです、一瞬でも。
被災地のみなさんは強いなって思っていたけど、踏ん張っていないとどうしようもない現実に負けちゃいそうだからなんですよね。
でもずっと踏ん張ってると体も心も疲れてしまうから
今は寄り添える「人」や「音楽」や「本」だったり「ペット」だったり「思い出」だったり
そういうのが大事な時期に突入していることを実感しました。
誰かの支えになるということは簡単なことじゃないけど
何気ない一言やしぐさでも伝わることもあると思うし、自分も誰かに支えられて誰かを支えられるような存在でいたいと思いました。
悲しみや絶望の中、そんな中でも前を向く勇気を持っている人たちとの出会いは小さなことで挫けてしまう私に色んなことを教えてもらう気がします。
だからこそ、私に出来る医療支援という形でこれからも出来ることはどんどんやっていこうと思う。一日も早い復興のためでもあるし、自分のためにも。
南三陸町の方々が言っていました。
「こんなに悲しい震災を忘れられていくことが一番つらい」
これから冬が来ます。もっともっと出来ることがあるはず。
★ドリカムのコンサート、楽しかったです!!
オープニングから「何度でも」で、イントロが聞こえた時点で化粧が全部落ちるくらい泣いてました。
歌に励まされて腕まくりをしていたあの頃が鮮明に蘇って
どんなに頑張ってもどうしようもないことがいっぱいあったあの夜や、ダメだと思っても明日は何か変わってるかもしれない、奇跡が起こるかもしれないって言い聞かせていた自分や
寝ないで物資や医療機器を運搬してくれた運転手さんや
全員に国民栄誉賞をあげたいくらい本当に本当に頑張っていた自衛隊のみなさんや
励ましてくれた仲間や家族、そして、ずっと心は繋がっている陸前高田のみなさんを思い出して周りが心配するくらい泣いていました。
たくさんの素敵な歌にいっぱい背中を押してもらって泣いたり笑顔になったり、
そして何よりもコンサートに参加出来ることは当たり前じゃなく幸せなことなんだって感謝の気持ちでいっぱいでした。
お盆に帰省した際、母親が亡くなり管理されなくなった畑や家の周りの背丈程伸びた雑草を涙を流しながら草刈りしてる時、普通である事がどれ程ありがたい事かを感じました。
津波をかぶっても雑草は強く強く成長しますが人間は雑草みたいに強くありません。弱い気持ちを受け入れながら普通である事に感謝しつつ前向きに生きていけたらいいなと思ってます。
東北人は決して負けないよ
看護師志望の高3です
いつも 読ませて頂いてます。
私の親戚は 福島で被災してしまいました。
大きなショックを受けていた時
このブログに出会いました。
そして、
私の「なりたい看護師の姿」が変わりました。
JKTS の筆者さんのような
看護師になることを目標に
頑張っていこうと思います。
ありがとうございました **
ありがとうございます
実家の陸前高田も瓦礫が片付けられ
何も無いと…
私もドリのコンサート元気をもらいました
そして実家の陸前高田でもドリはミニライブ
してくれました
本当にありがたいです
これからも忘れられないように
私もいろんな形で
発信していこうと
思います
お身体に気をつけて
無理せずに
3月に鬼嫁日誌のブログから流れてまいりました。
祖父母と伯父が南三陸町に住んでました。
伯父はバックミラーに映る津波を見ながら車で逃げたそうです。
祖父は震災とは関係なく、先々月に亡くなりました。
福島に友人がいます。
ニュースでは流れてない話、本当に多いんだと思います。
(うちの町に来て下さってありがとうございます)皆様への御恩は終生忘れず、私も故郷に小さなお手伝いを続けて行きます。
またこのブログがこうして更新されていて嬉しいです!
>背中をさすっていたときにやっと見つけた言葉が「友達になろうよ!」
これ、とても良いことだと思います。
自分の気持ちに寄り添ってくれる人がいる、と思えだけで全然ちがいますもの。
JKTSさんがブログや現場で被災地に寄り添う様子を、こうやって時々読ませていただくと、それだけでも感謝の念と勇気が湧いてきますよ。
これからもブログの更新を楽しみにしております(^^♪
このブログに出会って以来、何かせずにはいられなくなり、自己満足とはわかっていますが、何回か、被災地に津波の被害にあわれた方の家の片づけにいってきました。
最近のニュースは除染や復興のことがメインになってしまい、どんどん被災地の今、特に被災された方々の気持ちから遠ざかってしまっています。
「想像を絶する絶望」の中にいる方に寄り添うJKTSの姿勢、勇気に頭がさがります。 あまりにも無力ですが、私ができることをこれからも続けていこうとあらためて思いました。
どうか、お元気で。 またブログ更新してくださいね。
JKTSさん、体調には留意してがんばってください。
いて、きました。
勤務中ですが、涙が出てしまいました。
私は、親一人子一人の家族で、お手伝いに行きたかったけど、親の心配は振り切れず、この場でできることをしようと思っています。
でも、それだけでは、現状を知ることはできず、JKTSさんのブログで知った次第です。
普通に家族を失っただけでも立ち直るのに数年かかったというのに、こういう方たちはどうしたら良いのか・・・・。9・11で家族を失われた方が「時間しか解決できない」とおっしゃってました。確かにそれが一番の解決法なのだろうと思いますが「友達になろう」は本当に素晴らしい言葉だと思いました。一人ではないということを伝えてあげたいですね。
JKTSさん、素晴らしいブログをありがとうございます。大変だとは思いますが、これからもお知らせ下さいませ。
知ることができて感謝しております。
仕事をしながら、支援も続けていることに
感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。
ありがとう。
沢山の人を支え、
心に寄り添うことは
本当に簡単なことではないよね。
友達になった人と、
被災地のみんなに。
僕らは助け合う星にうまれてきた。
生きてる、それだけで明日が来るんだ、信じて。
2011/10/17