JKTS

被災地へ医療スタッフとして行ってきました。

短い間でしたが貴重な体験となりました。

南三陸町で出会った友よ。

2011-10-15 18:24:24 | 皆様へ

9月の終わりに健診と病院の夜勤のお手伝いで南三陸町に行きました。

震災直後と今とでは医療従事者の役割もだいぶ変わってきたように思います。

南三陸町にある土手に上って景色を見渡すと

果てしなく続く更地と所々に集められた瓦礫しかありませんでした。

たくさんの職員のかたが犠牲となった役所も通りましたがTVで見ていたよりも

はるかに大きく本当に見上げるほどの建物でした。

 

健診は希望者がとても多かったけれど順調にすすみ、

仮設のほうもまわって診療介助にあたりましたが震災直後に比べれば環境はよくなってるように見えますが

まだまだ赤ちゃんやお年寄りのかたがたが生活していくうえではこれから来る冬対策も兼ねて改善していく面や予防接種の被災地無料化など挙げられる問題点がたくさんありました。

東京に帰ってそれらを政府に届けるためのレポート作成も今やっているところです。

 

今回、私と同じ年であの3・11に一瞬にして旦那さんも子供も両親も

妹夫婦も家も職場も同僚も何もかもを失ってしまった人に出会いました。

「半年たってもいろんな人に励まされても全然良いほうに今でも考えられない。今は仕方なく生きてる、早くあっちの世界に行きたいけど、一周忌、三周忌だ、ってみんなで仕事を残して行っちゃったからそういうのをこないていればいずれあっちで会えるからね。

でもなんで私も死ななかったんだろう。それが悔しい。」

と言っていました。

何の苦労もなく平々凡々に生きている私には想像を絶する絶望です。

携帯を見つめながら「登録してる人、ほとんど死んじゃったんだよ」と泣いている彼女にかける言葉はみつかりませんでした。

ずっとそばで背中をさすっていたときにやっと見つけた言葉が「友達になろうよ!」です。

時が止まったままの彼女の携帯に私の連絡先を登録してもらい、

気が向いたらでいいからいつか遊びに来て!と小さな約束をしました。

彼女も笑顔が見れたとき本当に嬉しかったです、一瞬でも。

 

被災地のみなさんは強いなって思っていたけど、踏ん張っていないとどうしようもない現実に負けちゃいそうだからなんですよね。

でもずっと踏ん張ってると体も心も疲れてしまうから

今は寄り添える「人」や「音楽」や「本」だったり「ペット」だったり「思い出」だったり

そういうのが大事な時期に突入していることを実感しました。

誰かの支えになるということは簡単なことじゃないけど

何気ない一言やしぐさでも伝わることもあると思うし、自分も誰かに支えられて誰かを支えられるような存在でいたいと思いました。

悲しみや絶望の中、そんな中でも前を向く勇気を持っている人たちとの出会いは小さなことで挫けてしまう私に色んなことを教えてもらう気がします。

だからこそ、私に出来る医療支援という形でこれからも出来ることはどんどんやっていこうと思う。一日も早い復興のためでもあるし、自分のためにも。

 

南三陸町の方々が言っていました。

「こんなに悲しい震災を忘れられていくことが一番つらい」

 

これから冬が来ます。もっともっと出来ることがあるはず。

 

★ドリカムのコンサート、楽しかったです!!

オープニングから「何度でも」で、イントロが聞こえた時点で化粧が全部落ちるくらい泣いてました。

歌に励まされて腕まくりをしていたあの頃が鮮明に蘇って

どんなに頑張ってもどうしようもないことがいっぱいあったあの夜や、ダメだと思っても明日は何か変わってるかもしれない、奇跡が起こるかもしれないって言い聞かせていた自分や

寝ないで物資や医療機器を運搬してくれた運転手さんや

全員に国民栄誉賞をあげたいくらい本当に本当に頑張っていた自衛隊のみなさんや

励ましてくれた仲間や家族、そして、ずっと心は繋がっている陸前高田のみなさんを思い出して周りが心配するくらい泣いていました。

たくさんの素敵な歌にいっぱい背中を押してもらって泣いたり笑顔になったり、

そして何よりもコンサートに参加出来ることは当たり前じゃなく幸せなことなんだって感謝の気持ちでいっぱいでした。