JKTS

被災地へ医療スタッフとして行ってきました。

短い間でしたが貴重な体験となりました。

雨の松島

2011-04-26 12:53:49 | 皆様へ
先週末に仙台市内に住んでいる友達に会いながら
一緒に松島へ一泊旅行に行ってきました。

全国の共通の友人から、あったかい言葉いっぱいのメッセージカードを集めたファイルをどうしても渡したかったのと
松島は私の両親が初めて遠出のデートに行った場所と聞いていて
震災後の松島や瑞巌寺を心配していたので、実際行ってみて確認したくて。



まだ新幹線が復旧していなかったので高速バスで片道6時間かけて仙台へ。


わくわくしてなかなか眠れなくて、やっとうとうとしたらパーキング休憩を繰り返していました。


パーキングでは被災地に向かう自衛隊や医療チームのバスもたくさん止まっていて
ついつい「お疲れ様でーす!!」と言ってしまいました。



東京は桜の時期が終わってしまいましたが、仙台に向かう途中の福島は高速から見える桜も満開ですごくきれいでした。

今は大変な時間を過ごしているけどやっぱり福島は自然もたくさん残っていて
春になったら桜満開になり
大自然からも「大丈夫!!」って言われてるような気持ちになりました。




仙台駅に着いたら寒い中待っていてくれた友達を見つけて嬉しくて駆け寄ってしまいました。

やっぱり実際会って笑顔を見ると本当に本当に安心しました。


地震にあった日のことや
ライフラインが復旧するまでの話を聞いて
改めて怖くなったし、こうして1ヶ月以上が経過して笑顔で会えることに友達に感謝の気持ちでいっぱいになりました。



車で松島に向かい、途中の道のりも海が近くなるにつれて地震の傷痕が所々見られました。



松島は景色は震災前の美しいままでした。
お土産街道は泥だらけで一階部分は商品も撤去されて土嚢が積まれていたけど
1日も早く観光客を迎えたい一心でみんなが掃除をしていました。
瑞巌寺はお寺の手前で津波が止まったらしく、何ていうか「こういうミラクルもあるんだなぁ」って神秘的なものを感じてしまいました。
どんな困難にも負けない力みたいなものをもらった気がしました!



五大堂も無事でした。
みんなの幸せと健康祈願をしてきました。
写真は五大堂からの眺めです。




高台のホテルに泊まって
雨の松島の絶景を見ながら友達といろんな話をして
やっとのんびり足を伸ばしてゆっくりした時間を持てた気がする。



ホテルの従業員のかたや
仙台駅のお土産売り場の店員さんたちも
みんな笑顔で接してくれて復興に向けて一人一人が頑張っている姿が印象的でした。
ぜひぜひゴールデンウィークに仙台や松島に観光に行ってほしいです!!
牛タンのお店も営業してるし駅構内も新幹線復旧前でしたが活気が溢れていました。



帰ってから母の携帯に松島の景色などを送信して
「大丈夫だったよ!!
またお父さんとのんびり旅行してきなよ!」と電話をすると
「お父さんより娘と行きたいわ」との返事にちょっと困ってしまいました(^^ゞ


あいにく雨の二日間でしたが、それはそれで風情があって良かったです。


遊覧船が復活したらまた必ず遊びに行こうと思います!!

何度でも。

2011-04-06 01:23:50 | 皆様へ
最近になりほとんどのコメントを読むことが出来ました。ありがとうございました。まだ続々とコメントを残して下さっているのでありがとうございます、かな。
時間を見つけて目を通します。
ありがとうございます。


たくさんのコメントの中に避難所でかかわった方々もいて本当に感激しました。

それもこれも広めて、呼び掛けていただいた皆様のおかげだと感謝しています。ありがとうございます。
人と人を介して、本当にびっくりするような方々にも読んでいただけたようで
縁というかつながりも実感しました。



あまりにもたくさんの人に読んでもらって
なかなか次のこの日記が書けずにいたのも事実です。

かなり優しくていい人のイメージが出来上がってしまったようですが
全然そんな出来た人間でなく仕事にも普段の生活にも不満もたくさん抱えています。

被災地に行ったことで
知らないうちにいろいろなことを剥ぎ落としてきたというのもあり
今までハマっていたものや好きだったものも
なんであんなにハマってたんだろう?と考えが変わってしまった面もいっぱいあり、なかなか日常に戻るのも実は大変でした。



もともと災害医療を勉強したきっかけは地元にいたときにフライトナースの資格を取った時にセットで取らないとならないものになっており、
ついでのような感じで勉強をはじめました。


そうして災害医療を学びDMATの資格がもらえたときも
「もしかしたら自分が現役の時にでっかい災害に遭遇することはないんじゃないか」
なんて甘い考えも浮かんでいました。


今回実際被災地で医療活動にあたり、学んできたことは活かされたのかと問われると
胸を張ってYES!とは言えないように思います。


マニュアルをこえた現実というか、マニュアル以上の大惨事でした。


帰ってきてからも医療チームでマニュアルも全て改訂する作業をしています。


今は第3チームが行っており、
医療も急性期から慢性期疾患に重点が置かれているようです。
今後被災地医療に向かうコメントも多々あったので参考にして心構えしてもらえたらと、いくつか・・・。


水道工事がまだ復旧していません。
トイレの衛生面がかなり厳しい状況で気温の上昇に伴い感染の増大が見込まれています。
消毒液も多く持って行き、トイレ掃除は自治会の方や当番の方がしている避難所がほとんどですが
ウィルス除菌の消毒液の使い方の指導も必要になっていきます。
あとは血栓予防のフットケア、心労からの胃潰瘍、メンタルサポートがもうすでに必要になっています。

被災地での薬品不足で見落としがちだったのが交換用のストマ、化学療法の薬品、点眼薬。
これらは自分が向かう避難所と病院にどのくらいの該当患者さんがいるか事前に知っておき予定の五倍は持って行ってください。
歯磨きが十分にできていないので肺炎も合併してきているらしいのでせめてものうがい薬も必要です。


みんな我慢強い傾向も見受けられたので症状も全部言ってこなかったり
ギリギリまで我慢してからの受診や救急搬送のケースもたくさんありました。
なので主訴からもどんどん範囲を広めた診察が大事に思います。


私が次に行くのは6月くらいの予定です。
その頃には求められることも前回とは違ってくるのでまだまだ勉強をしなくては。



復興の手助けには程遠く、自分も限られたことしか出来ないので
ほんの少しでも前回より、より良い医療を提供出来るように日々勉強と仕事に励んでいきます。



あと、コメントの中で
翻訳に関してたくさんありましたが
あのような文章でよければ世界中の皆様にも届けていただくきっかけになればと思うので構いません。

出版に関しては本当に夢のようで嬉しいのですが
ここでこのまま残しておきますので個人ブログとしてここに時々読みに来てもらうだけでお願いしたいです。
もともと友達の友達とかにも読んでもらって
被災地で起きていることや医療チームの葛藤を共有出来たら・・・
そのくらいの考えでアップしたものなので
予想外の反響だけでも嬉しいのと、戸惑う気持ちで精一杯なので本当にすみません。



第3チームも今いろいろな局面にぶつかっているみたいです。

そして変わらず大変なのは医療チームだけでなく
復興に携わるあらゆるセクションのみんなもあの日からずっと同じ大変さとそれ以上の過酷な毎日は続いています。
でも常に気持ちはひとつ。東北地方の復興のため、
被災した全ての人の笑顔のため。






被災地の方々はもう十分頑張ったので頑張らなくていいから元気でいてください。




私達が頑張りますから。