震災から5ヶ月が立ち
寒くてバスタオルに包まって凍えていたあの日から
今の猛暑日が続く毎日を過ごしていると
時間の流れや季節の移り変わりを感じます。
定期的に送ってもらえる被災地の映像や写真はあの日から大きく変わることはなく、
まだ5ヶ月、もう5ヶ月と月日のとらえ方も変わっていきます。
医療支援に行かせていただいた陸前高田の避難所も閉鎖になり
皆が仮設住宅や他に引っ越して行きました。
起きてしまった災害に怒りと悲しみをぶつけようがなくみんなで涙を流した避難所。
そんな中、再会出来て喜びと安堵の涙を流した避難所。
これからのことを皆で話し合い途方に暮れた避難所。
途方に暮れた中でも
小さな希望や幸せを見つけたり探した避難所。
寂しいときも誰かが必ず気が付いてくれて寄り添った避難所。
そんな避難所が閉鎖になるのは寂しい気持ちもあり、
皆が仮設でも住まいを確保出来た嬉しさもあるけど
避難所がなくなったことで「これから」訪れる孤独や不安に対する気持ちの持っていき所やそれに対するケアが行き届くことが出来るのか
問題や課題も山積みで心配です。
私達の役割や存在ももっと見つめ直していかなくては。
お盆の時期できっと犠牲になった方々の御霊が天国から帰ってきているはず。
きっと大切な人のそばで花火を一緒に見ていたと思うし
そっと背中を押してくれていると思います。
5ヶ月もたてば色々と状況は変わり、
私の周りの環境も少しずつ変わって来ました。
その環境に我慢出来ずに
このお仕事を辞めようか迷っていたりしました。
でも、そんなときに
コメントを見ると頑張ろう!!という想いが強くなりました。
また被災地に行く約束も果たせてないので、
それも年内には実行しなくては!!
もっと勉強もしなくては。
寒くてバスタオルに包まって凍えていたあの日から
今の猛暑日が続く毎日を過ごしていると
時間の流れや季節の移り変わりを感じます。
定期的に送ってもらえる被災地の映像や写真はあの日から大きく変わることはなく、
まだ5ヶ月、もう5ヶ月と月日のとらえ方も変わっていきます。
医療支援に行かせていただいた陸前高田の避難所も閉鎖になり
皆が仮設住宅や他に引っ越して行きました。
起きてしまった災害に怒りと悲しみをぶつけようがなくみんなで涙を流した避難所。
そんな中、再会出来て喜びと安堵の涙を流した避難所。
これからのことを皆で話し合い途方に暮れた避難所。
途方に暮れた中でも
小さな希望や幸せを見つけたり探した避難所。
寂しいときも誰かが必ず気が付いてくれて寄り添った避難所。
そんな避難所が閉鎖になるのは寂しい気持ちもあり、
皆が仮設でも住まいを確保出来た嬉しさもあるけど
避難所がなくなったことで「これから」訪れる孤独や不安に対する気持ちの持っていき所やそれに対するケアが行き届くことが出来るのか
問題や課題も山積みで心配です。
私達の役割や存在ももっと見つめ直していかなくては。
お盆の時期できっと犠牲になった方々の御霊が天国から帰ってきているはず。
きっと大切な人のそばで花火を一緒に見ていたと思うし
そっと背中を押してくれていると思います。
5ヶ月もたてば色々と状況は変わり、
私の周りの環境も少しずつ変わって来ました。
その環境に我慢出来ずに
このお仕事を辞めようか迷っていたりしました。
でも、そんなときに
コメントを見ると頑張ろう!!という想いが強くなりました。
また被災地に行く約束も果たせてないので、
それも年内には実行しなくては!!
もっと勉強もしなくては。
しばらく記載もなかったようで、自分もたまたま今日、当時自分が仲間にこのブログを紹介するために書いたメールを見つけて、このページを久しぶりに見てみて、ちょうど今日しばらくぶりに書かれたようですね。
仕事をやめようと思われたとの言葉、状況わかりませんが、被災地で経験されたこと、何らかの形で活かしていただきたいと希望します。
このブログを読んで、いろいろと思い、気づかされた人がたくさんいますので。
他人事のように聞こえたらすみません。
直前になって、自分なんかが現地へ行っても何の役にもたてず邪魔になるだけでは、、、と迷っていた部分もあったのですが、気持ちを入れ直すために、もう一度ここのブログを読み現地へ向かいました。
実際、現地でどの程度のことができたのか自分ではわかりませんが、ボランティアに参加できてよかったと思っています。迷っていた自分にこのブログで背中を押してもらったおかげです。ありがとうございました。
未だ被災地に行くことも叶わぬ状態の自分ですが、片時も忘れることなく、何か役に立てることはないか、常に考えていたいと思います。
私共はテレビ、新聞でしか知る事のできない状況でしたが、想像以上の現地でのお仕事、自分は何をすればいいのだろう・・・募金はしました、節電も続行しております。人に対する思いやり、JTKSさんを通じて気づかされる事が多すぎて。反省しております。
これからも東北へ行かれる事がおありでしょう。どうぞお体大切になさって下さい。瑠奈ちゃん、再会してお母さんの分まで抱きしめてあげて下さい。
昨日、第一中学校の非難所が体育館に戻るというニュースが流れました。
子供たちに早くに体育館を返せてよかった、と明るく言われながら掃除をされているご様子に、「これから」への不安を胸にしまってお話してくださってることを見逃してはいけない、と強く強く感じました。
最近は認知症の講座がよく開かれています。勉強を繰り返して、被災地で今日を生きるご本人やご家族とお話が出来るとき、役立てたいと思います。
カンゴンさん、心配していました。先月の今頃は相当のストレスだったんだろうと想像しています。
お体は大丈夫ですか。何年か経ったとき、あの時やめなかったから今があるなあ、と振り返れる日がくることを信じてほしい。今のまま踏ん張っていてほしいという気持ちでいっぱいです。今はぐっと辛抱して、仕事と勉強の両立は大変ですが、更なる資格取得を経て、そうしてカンゴンさんの真摯な思いを生かせる世界に大きく高く羽ばたいてください。
カンゴンさんは、首都圏の最先端医療と、このたびのような被災地医療の両面を橋渡ししていく、未来に生きていく大切な人です。
心から応援しています。
お食事、とってますか。ストレスでからだを壊さないようおだいじにしてください。
慌て者でごめんなさい。
「避難」所です。お詫びして訂正します。
真っ先に読んだのは、ルナちゃん。
4歳になるうちのムスメと同じ名前です。
3月11日のこと、ムスメのルナは2歳の弟保育園にいました。
二人とも、その日の出来事を覚えています。
私は、生後1ヶ月の子供を抱き、揺れが続く中保育園に行きたくても、首もすわっていない子供を抱いて外に出てよいのか不安になり、迷っていました。
約1時間後、ルナと2歳のムスコに逢えました。
ルナちゃんの記事を読み、ムスメと同じ名前なので、叔母さんのこと、ルナちゃんのお母様のこと、そして、お母様との思い出の地を離れて、遠くに移ったルナちゃんのこと。
本当に胸が痛みます。
ルナちゃんに、何か出来ないかしら。
難しいけど、メディア宛てに送りルナちゃんに代送してほしいです。