JKTS

被災地へ医療スタッフとして行ってきました。

短い間でしたが貴重な体験となりました。

2、初日の自分。

2011-03-23 16:51:41 | 皆様へ

3月16日


出発日に自分の行く場所を発表されました。


「あなたは陸前高田」



被害の大きかった岩手県の陸前高田への医療班を告げられ空路で移動。


先輩たちは福島、宮城とそれぞれチームが分かれました。



東京の病院から各チームごと
点滴、薬、包帯、湿布、オムツ、ナプキン、ガーゼ、マスクetc
1万単位の数であらゆる物流手段で移送。
一万個、一万本、一万枚がこの後全然数が足りないことも知らないまま。。。



いつも仕事で着ている白衣ではなくジャージのようなスモッグにNURSE・看護師と印字されたユニフォーム。



空から見ても栃木を越えたあたりかな?
福島上空になると屋根が壊れた家や街並みが増えてくる。原発も見ました。
指揮官ドクターに「海沿いをずっと見ていくと分かるよ」「あれが仙台市内かな」

お友達が住んでいる、何回も行ったことがある仙台の街並みが一変していました。


みんなから「無事」や「大丈夫」メールをもらったけど、
大丈夫じゃないじゃんと
やるせない思いです。



上空から仙台市内の様子を教えてもらうたびに
次第に無口になってく機内。



次第に岩手の三陸地方の街並みに。
足がすくむ思いでした。
まるで水に浸かった焼け野原です。


他人事に聞こえるかも知れないけど「これが日本なんだ、東京からもそこまで離れていないのに」と
これから自分が向かう場所がすごく怖く感じました。




それと同時に
自分は足手まといにならないか不安な気持ちも強くなっていきました。




現地に到着するとそんな不安な気持ちになっていられないくらい過酷な毎日が待っていました。


34 コメント

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歴史に残るブログ (きょお)
2011-03-28 03:42:10
こちらもそこそこの被害はありますが
現地に比べれば全然ましです。
ましてや現地の状況を細かく伝わるものは無く
生の声は伝わりにくかったのですが
細かな情報を知れるブログとして拝見させて頂いております。
まだまだ大変な状況ですが今後のご活躍とご検討をお祈りいたすと共に一刻も早い復旧を目指すように心がけたいと思います。
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全て読ませていただきました (あい)
2011-03-28 10:05:51
言葉になりません…
私は薬学生です。
私も被害は屋根や塀が崩れる程度しかありませんが被災地にいました。
1の『想像以上に~迷惑や嫌味だからね』
この言葉が心に響きました。
医療従事者はどんなに辛い状況でも泣いてはいけない。本当は泣きたいですが…現地の方を考えたら強く強くならなければいけない。生半端な気持ちでは絶対にボランティアなんてできませんよね。
いま、学生の私は無力です。震災が起きてからテレビを見るたび何度も何度も無力な自分が情けなくなりました。
いま自分に資格があり、ボランティアとして薬剤師として働けたら…
あなたのような方々は本当にかっこよく誇りに思います。
私もこの震災を経験して…今までなんとなく進んできた医療従事者への道への考えを改めました。絶対に薬剤師となり、今を生きている人達の役に立ちたい。
3.11のことは絶対に忘れません。
前を向いても絶対に忘れません。
医療従事者になりたいと思っていてもなれなかった学生や若い人達もたくさんいると思います。
その気持ちをバネにしてどんな辛い壁も乗り越えて行きたいです。
瑠奈ちゃんのようにこれから頑張る子も一緒に
新しい日本をたて直しましょう。
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真剣に読んでます! (まるたまり)
2011-03-28 12:32:38
なかなか知りえない情報、ありがとう☆


一生懸命読んでる途中です…

又後で感想送りますね
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2) Myself on Day One. (anonymous translator (English))
2011-03-28 13:26:00
DISCLAIMER FROM THE TRANSLATOR: While I do speak English, I know nothing about medicine. These are rough translations made through tears. Please take all medical details with a grain of salt. This translation has not been proofread and may be revised on a later date.

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March 16


I was told where I will be heading.

"You will be sent to Rikuzentakata."


I was assigned to join the medical team heading for Rikuzentakata in Iwate Prefecture, where the damage was severe, and traveled by air.

The other nurses from my hospital were sent to Fukushima and Miyagi, all in different teams.


Each team sent along intravenous drips, medicine, bandages, wet packs, diapers, pads, gauze, masks, etc.―tens of thousands of each from the hospitals in Tokyo using various means of transportation. We didn't know at this time that these tens of thousands of medical objects won't even come close to being sufficient.


We will not be wearing our usual white coats, but rather a sort of a smock that looks like a sweat suit, a uniform printed with the words NURSE/Kangoshi.


Watching the ground from the airplane, I could guess that we were passing Tochigi. When we were above Fukushima, I could see more and more houses and towns with fallen roofs. I could see the nuclear power plant, too. The leading doctor said, "You can tell if you keep an eye on the coast." "That looks like Sendai over there."

The landscape of Sendai, where I have visited friends many times before, had changed completely.


Everyone sent me messages saying that they're "fine" or "okay," but they aren't fine or okay. It's so heart-wrenching.


As we learn up in the sky more and more about what the situation is in Sendai, the whole plane gradually became silent.


Eventually, we could see the landscape of the Sanriku region in Iwate. I felt weak at my knees. It looked like burnt-out ruins immersed in water.


This might sound like I'm thinking about this as someone else's problem, but I thought, "This is Japan, too―it's not even that far away from Tokyo," and I felt truly afraid of where I was heading.


At the same time, I also became strongly worried about whether I might just get in everyone else's way.


Once we arrived, each day was so full of hardships that I couldn't even bother to feel worried any more.
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石巻 (絹の音)
2011-03-28 13:53:19
本当にお疲れ様でした。
本当にありがとうございました。
本当にあなたがいてくれた事に感謝です。

始めてコメントします。
私は石巻出身で都内で看護師をしています。
災害当日、都内の病院にいて自宅の千葉には帰れない帰宅難民でした。
その後両親、弟の安否確認がとれない日々が1週間も続くとはその時は考えもしませんでした。

すぐに被災地に入りたくて、あらゆるところに手段はないか?探しまくりました。
でも、どこも答えは同じ「特別に教育されている者が現地に入っています。お気持ちはお察ししますが、今は無理です。」と。

泣きながら、何の為に看護師になったのかと悔しくて悔しくて・・・。
日赤に入っていれば行けたのか???

災害すぐに入られたあなたの様子は、生々しくとてもテレビでは伝わらない部分。
現場の過酷な状況は目を閉じても想像ができません。

平常に戻りつつある都内。
当り前は当り前じゃない。
まだまだ、被災地は被災地のままです。

仕事を辞めて被災地に入る事にしました。
私は手を握り、一緒に泣いてこようと思います。それは、心の包帯になるかな・・・と。
『傾聴』
薬、点滴では治せないものが大きいはずです。
私は心理士でも、精神保健福祉士でもありませんが、知人のカウンセラーに特別にレクチャーを受けて現地に向かいます。

友人らと共の「東北救済プロジェクト」を立ち上げ、石巻の中規模の病院を救済すべく、看護師仲間のネットワークを駆使し必要物資を送っています。幸いにも、現地で動いてくれる者がいるので、届けたいところに物資を届ける事が出来るのです。

また、石巻に来てくださるボランティアの方の宿泊についてもアシストできるよう活動しています。
石巻サンプラザホテルは、5月を目途にボランティアの受け入れをしてくださるそうです。

石巻の底力「東北魂」
今!みせます。

明日は今日より素晴らしい!!

私のブログで支援活動を報告しています。
お時間があったら覗いてみてください。
YAHOOブログ「絹の音」です。
お待ちしています。

これから、もっとたくさんの心のケアが必要になるはずです。
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想像をはるかにこえてます! (gata with gata )
2011-03-28 22:47:32
自分もやれることをやります。同じ日本人として
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リスタート (kujira)
2011-03-29 03:27:06
読んでいて目頭が熱くなりました。

瑠奈ちゃん、負けないでほしいですね。

蛍の墓を思い出しました。

被災者の方のことを思えば、今自分の中で日常感じている絶望感なんてお話にならないことだなと思いました。

自分も負けないでリスタートですね。
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ありがとう (よしみん)
2011-03-29 22:14:35
こんな貴重な文章を残していただき、心からお礼申します。
テレビや新聞から伝わる何倍もの悲惨さに
心が震えました。
今一度、この現実を心に焼き付け、
関西に住む私たちにできることをしっかりやっていきます。

私どものブログを読んでいただいている方にも
このことを知っていただきたく、勝手ですが
リンクさせていただきました。
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感謝です。 (ゆすらうめ)
2011-03-30 15:11:48
沢山の人に知って頂きたくてリンクさせて頂きました。
貴重な体験をお疲れの所、よく掲載して下さいました、本当にありがとう。
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カンゴンさんへ (陽花)
2011-03-31 08:09:51
私が知りたかった被災地の現実。
メディアというフィルターを通さない現実。

あなたが私の娘なら、背中からギュッと抱きしめたいです。
よく頑張りましたね。
地上に舞い降りた天使かもしれない。
あなたも瑠奈ちゃんも。
水も電気もない分娩室で誕生した赤ちゃんも。
また、被災地に旅立たれるのでしょうね。
泣きたい時は泣いてくださいね!
カンゴンさん、応援してます。

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