今回は、自由社の歴史教科書ネタを2つ(手抜き)
先月になって、年表を無断流用していたことが発覚した自由社の歴史教科書。
実は、長崎に原爆が落とされた直後の画像を間違える、という妙なミスをやらかしていた模様・・・。
・つくる会教科書、長崎原爆の写真を広島と誤記(2011年8月8日 asahi.com)
・長崎原爆の写真を広島と誤記 自由社の中学歴史教科書(2011年8月8日 TOKYO Web;共同)
広島における原爆投下直後の画像は覚えていたけど、長崎の原爆投下直後の画像を忘れていた俺(馬鹿
さしあたっては、2011年8月8日分 TOKYO Web『長崎原爆の写真を広島と誤記~』を全文(略
---- 以下引用 ----
「新しい歴史教科書をつくる会」が主導し、今春の教科書検定に合格した自由社(東京)の中学歴史教科書の2012年度版で、「広島に投下された原子爆弾」として掲載された写真が、長崎に投下された原爆の写真だったことが8日、分かった。
来春から使用予定で、同社は近く文部科学省に訂正申請する。
自由社によると、同じ写真は11年度版には「爆発した原子爆弾」として掲載していたが、担当者が説明文を差し替えた際に間違えたという。
自由社の中学歴史教科書では、日本史年表のほぼ全部を東京書籍の教科書から流用していたことも判明している。
---- 引用以上 ----
広島と長崎の原爆投下直後の画像を間違えるのは、十分ありえることらしいんだよな。
この辺りは以下参照(手抜き)
・広島原爆投下と長崎原爆投下の写真とりちがえは「あるある」ではある(2011年8月8日 法華狼の日記)
原爆投下直後には「キノコ雲」が出たという説明からすれば、長崎の原爆投下直後の画像を使うのも無理ないとはいえ・・・。
前回の年表丸ごと無断流用のことや画像裏焼きの件とは、違う意味で問題なんだろうな。
この画像間違いに負けず劣らず、自由社の歴史教科書で使う際の教師用指導書に書かれてたことも相当危険な代物だった。
・侵攻→「現地は歓迎」 特攻→「自ら志願」 侵略美化授業の勧め 自由社・扶桑社の教師指導書(2011年8月9日 jcp.or.jp)
自由社と育鵬社(扶桑社)の歴史教科書の内容がだいたい同じってことを踏まえれば、教師用指導書の内容が非常に似ているのも当然といえば当然だが・・・。
以下、2011年8月9日分 jcp.or.jp『侵攻→「現地は歓迎」 特攻→「自ら志願」~』から、教師用指導書について述べてる部分を(略
---- 以下引用 ----
(中略)
扶桑社版と自由社版の歴史教科書は日本の侵略戦争を「大東亜戦争」と呼び、「アジア解放のための戦争」「自存自衛の戦争」と描き出しています。
両社の教師用指導書はその意図をより鮮明にしています。
指導書の内容は両社ともほぼ同一です。
例えば、アジアへの日本の侵攻については次のように授業することになっています。
「日本軍が進撃してきた時、東南アジアの現地の人々はどのような態度で日本軍を迎えたでしょうか」と教師が問いかけ、四つの選択肢を示します。
生徒が選ぶべき「正解」は「歓迎し、協力した」です。
さらに太平洋戦争開戦時の授業では、「日本の戦争目的は何ですか」と問いかけ、生徒に「自存自衛」と答えさせるようになっています。
戦争末期に、飛行機による体当たり攻撃をさせて多くの兵士が犠牲になった「特攻隊」についての授業は、さらに侵略戦争美化の様相を強めています。
「沖縄を救うため、日本は歴史上、例を見ない作戦を展開しました」「特攻隊員の多くは若い青年でした。皆、死を覚悟して志願したのです」と教師が説明。
「特攻隊員たちが生きて帰れない作戦に自分から志願したのは、なぜでしょうか」と問いかけたあとで、資料として特攻隊員たちの遺書を生徒に読ませます。
遺書には「清(自分の名前)は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に」「今かぎりなく美しい祖国に、わが清き生命を捧げ得ることに大きな誇りと喜びを感ずる」と書かれています。
侵略戦争のため青年に命を犠牲にさせたことを美化するものです。
(以下略)
---- 引用以上 ----
実は、自由社の歴史教科書の本体(?)側では、申し訳程度に「負の側面」も掲載してるんだよな。
この辺は以下参照(手抜き)
・★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>(2009年6月8日 正統保守の敵「つくる会」一部首脳を追撃します;←凄い blog タイトルだ)
なんでこういう表記を歴史教科書の本体(?)でやったのか?
おそらく、自由社としては、「バランスを取った」形にして各地の教育委員会で採択される可能性を増やすのが狙いだったと思われる。
とはいえ、現実には、育鵬社の歴史教科書を採択する教育委員会の方が多いけど・・・。
つーか、なんで教師用指導書の記述が妙に偏ってる(?)のか?
元々教師用指導書って、教科書検定を通過した後で作成されるらしい。
要は、文部科学省が教師用指導書の内容を確かめることがないのよね。
この辺は以下参照(手抜き)
・教科書ができるまで(東京書籍)
で、教師用指導書を作成する目的については、当の「つくる会」が Web教科書パネル展なる資料で述べていた。
・教科書問題への「素朴な疑問」(つくる会Web;.pdfファイル)
以下、つくる会Web『教科書問題への~』から、Q8. と A8. を(略
---- 以下引用 ----
Q8. 教科書が改善されても、それを教える教師が変わらなければ意味がないのでは?
A8. 教科書の是正は教師の意識改革の第一歩です。
教育の場において教師がもつ意味はたしかに絶大です。
しかし、市民運動として教師の意識改革に直接関わるのは困難です。
そこで「つくる会」は十分に工夫された教師用指導書を教科書とセットで用意することで、授業の改善に役立てたいと扶桑社に要望しました。
さらに、教科書を一新し、それを支持する圧倒的な国民の声を教育現場に届けることで、教師が変わってゆく第一歩を築くことができるのではないでしょうか。
---- 引用以上 ----
つまるところ、「つくる会」の歴史教科書は、当初から生徒のみならず教員の意識改革も狙って作られたことになるか。
裏を返せば、「つくる会」にとって歴史教科書は自分達の主張を広めるためのツールでしかないという意味になるけど・・・。
それはそうと。
大阪維新の会や橋下 徹大阪府知事は、自由社と育鵬社の歴史教科書を大阪市の学校で使うことを求めてたんだよな。
・橋下維新「自虐史観でない教科書を」 大阪市会で決議提案へ(2011年6月22日 MSN産経ニュース)
橋下知事にしてみれば、歴史教科書は自分達の主張を広めるためのツーr(略
先月になって、年表を無断流用していたことが発覚した自由社の歴史教科書。
実は、長崎に原爆が落とされた直後の画像を間違える、という妙なミスをやらかしていた模様・・・。
・つくる会教科書、長崎原爆の写真を広島と誤記(2011年8月8日 asahi.com)
・長崎原爆の写真を広島と誤記 自由社の中学歴史教科書(2011年8月8日 TOKYO Web;共同)
広島における原爆投下直後の画像は覚えていたけど、長崎の原爆投下直後の画像を忘れていた俺(馬鹿
さしあたっては、2011年8月8日分 TOKYO Web『長崎原爆の写真を広島と誤記~』を全文(略
---- 以下引用 ----
「新しい歴史教科書をつくる会」が主導し、今春の教科書検定に合格した自由社(東京)の中学歴史教科書の2012年度版で、「広島に投下された原子爆弾」として掲載された写真が、長崎に投下された原爆の写真だったことが8日、分かった。
来春から使用予定で、同社は近く文部科学省に訂正申請する。
自由社によると、同じ写真は11年度版には「爆発した原子爆弾」として掲載していたが、担当者が説明文を差し替えた際に間違えたという。
自由社の中学歴史教科書では、日本史年表のほぼ全部を東京書籍の教科書から流用していたことも判明している。
---- 引用以上 ----
広島と長崎の原爆投下直後の画像を間違えるのは、十分ありえることらしいんだよな。
この辺りは以下参照(手抜き)
・広島原爆投下と長崎原爆投下の写真とりちがえは「あるある」ではある(2011年8月8日 法華狼の日記)
原爆投下直後には「キノコ雲」が出たという説明からすれば、長崎の原爆投下直後の画像を使うのも無理ないとはいえ・・・。
前回の年表丸ごと無断流用のことや画像裏焼きの件とは、違う意味で問題なんだろうな。
この画像間違いに負けず劣らず、自由社の歴史教科書で使う際の教師用指導書に書かれてたことも相当危険な代物だった。
・侵攻→「現地は歓迎」 特攻→「自ら志願」 侵略美化授業の勧め 自由社・扶桑社の教師指導書(2011年8月9日 jcp.or.jp)
自由社と育鵬社(扶桑社)の歴史教科書の内容がだいたい同じってことを踏まえれば、教師用指導書の内容が非常に似ているのも当然といえば当然だが・・・。
以下、2011年8月9日分 jcp.or.jp『侵攻→「現地は歓迎」 特攻→「自ら志願」~』から、教師用指導書について述べてる部分を(略
---- 以下引用 ----
(中略)
扶桑社版と自由社版の歴史教科書は日本の侵略戦争を「大東亜戦争」と呼び、「アジア解放のための戦争」「自存自衛の戦争」と描き出しています。
両社の教師用指導書はその意図をより鮮明にしています。
指導書の内容は両社ともほぼ同一です。
例えば、アジアへの日本の侵攻については次のように授業することになっています。
「日本軍が進撃してきた時、東南アジアの現地の人々はどのような態度で日本軍を迎えたでしょうか」と教師が問いかけ、四つの選択肢を示します。
生徒が選ぶべき「正解」は「歓迎し、協力した」です。
さらに太平洋戦争開戦時の授業では、「日本の戦争目的は何ですか」と問いかけ、生徒に「自存自衛」と答えさせるようになっています。
戦争末期に、飛行機による体当たり攻撃をさせて多くの兵士が犠牲になった「特攻隊」についての授業は、さらに侵略戦争美化の様相を強めています。
「沖縄を救うため、日本は歴史上、例を見ない作戦を展開しました」「特攻隊員の多くは若い青年でした。皆、死を覚悟して志願したのです」と教師が説明。
「特攻隊員たちが生きて帰れない作戦に自分から志願したのは、なぜでしょうか」と問いかけたあとで、資料として特攻隊員たちの遺書を生徒に読ませます。
遺書には「清(自分の名前)は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に」「今かぎりなく美しい祖国に、わが清き生命を捧げ得ることに大きな誇りと喜びを感ずる」と書かれています。
侵略戦争のため青年に命を犠牲にさせたことを美化するものです。
(以下略)
---- 引用以上 ----
実は、自由社の歴史教科書の本体(?)側では、申し訳程度に「負の側面」も掲載してるんだよな。
この辺は以下参照(手抜き)
・★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>(2009年6月8日 正統保守の敵「つくる会」一部首脳を追撃します;←凄い blog タイトルだ)
なんでこういう表記を歴史教科書の本体(?)でやったのか?
おそらく、自由社としては、「バランスを取った」形にして各地の教育委員会で採択される可能性を増やすのが狙いだったと思われる。
とはいえ、現実には、育鵬社の歴史教科書を採択する教育委員会の方が多いけど・・・。
つーか、なんで教師用指導書の記述が妙に偏ってる(?)のか?
元々教師用指導書って、教科書検定を通過した後で作成されるらしい。
要は、文部科学省が教師用指導書の内容を確かめることがないのよね。
この辺は以下参照(手抜き)
・教科書ができるまで(東京書籍)
で、教師用指導書を作成する目的については、当の「つくる会」が Web教科書パネル展なる資料で述べていた。
・教科書問題への「素朴な疑問」(つくる会Web;.pdfファイル)
以下、つくる会Web『教科書問題への~』から、Q8. と A8. を(略
---- 以下引用 ----
Q8. 教科書が改善されても、それを教える教師が変わらなければ意味がないのでは?
A8. 教科書の是正は教師の意識改革の第一歩です。
教育の場において教師がもつ意味はたしかに絶大です。
しかし、市民運動として教師の意識改革に直接関わるのは困難です。
そこで「つくる会」は十分に工夫された教師用指導書を教科書とセットで用意することで、授業の改善に役立てたいと扶桑社に要望しました。
さらに、教科書を一新し、それを支持する圧倒的な国民の声を教育現場に届けることで、教師が変わってゆく第一歩を築くことができるのではないでしょうか。
---- 引用以上 ----
つまるところ、「つくる会」の歴史教科書は、当初から生徒のみならず教員の意識改革も狙って作られたことになるか。
裏を返せば、「つくる会」にとって歴史教科書は自分達の主張を広めるためのツールでしかないという意味になるけど・・・。
それはそうと。
大阪維新の会や橋下 徹大阪府知事は、自由社と育鵬社の歴史教科書を大阪市の学校で使うことを求めてたんだよな。
・橋下維新「自虐史観でない教科書を」 大阪市会で決議提案へ(2011年6月22日 MSN産経ニュース)
橋下知事にしてみれば、歴史教科書は自分達の主張を広めるためのツーr(略