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忘れられたケニアの国内難民

2008-07-27 17:50:51 | 時事ネタ(海外)
今回は、ケニアの国内難民問題に関する記事の紹介。
・Q&A:How Not to Resettle IDPs(2008年7月22日 IPSNEWS)

この記事では、ナイロビを拠点として国内難民の状況を調べたりしてる Internal Displacement Policy and Advocacy Centre 所属のPrisca Kamungi 氏が、ケニア政府が行ってる国内難民政策で抜け落ちてる問題について語っている。

一応、この記事の日本語訳をでっち上げてみた。
ひょっとしたら、janjan でも全文日本語訳のやつが出るかもしれないが・・・。
例によって、訳文の正確性は一切保証しな(略
それと、訳文中の強調部分や [] の補足は俺が勝手に入れたもの。
ってか、長いよ(馬鹿)。
---- 以下訳文 ----
Q&A:国内難民を再移住させない方法[忘れられたケニアの国内難民]


ナイロビ、7月22日(IPS) - 国中にあるキャンプで暮らす約 35万人の国内難民を、元の家や農場に戻るのを支援するために計画された Rudi Nyumbani 作戦(キシュワヒリ語で「帰宅」の意味)は、少なくてもケニア政府によれば最初の難関をクリアした。
多くのキャンプは閉鎖されて高々 3万人がそこに残ってると政府は主張するが、しかしこの数字は独立した評論家から疑問視されている。


副大統領の Kalonzo Musyoka 氏は先週、[国内難民を戻す]計画は『Ujirani Mwema(良い隣人関係)計画』という第2段階に進んでいると語った。
この段階では、追われた家族と追い出した人達が平和裡に共存するために、お互いをどう受け入れるかかを学ぶことになる。

しかし政府発表は、現地の状況を反映してるのだろうか?
政府が設立した人権に関するケニア国内委員会の報告には、計画が急に実行されてる上それ自体に数多くの欠陥があることが記されていた。
家族の多くが農業を営めるような農場の近くにある周辺のキャンプから動かされたが、元いた地域の住民からの反発により元の家で暮らせない、と書かれていた。

この数週間、ナイロビに拠点を置く Prisca Kamungi 氏は、Rift Valley 地区と東部地区[両方ともナイロビをはさむ形で南北に連なる地区]という最悪の状態に置かれてる地域の1つである 30の古いキャンプと周辺キャンプを訪れた

彼女はキャンプで見てきたこと、[政府がやってる]作戦について思ったこと、そして国内難民がどのように大きなケニアの問題と関わってるかを IPS の記者こと Najum Mushtaq 氏に話してくれた。

IPS:国内で土地を追われた人達の現状はどうなってる?
Rudi Nyumbani 作戦で、どれくらいの国内難民が恩恵を受けてるのか?

Prisca Kamungi(以下 PK):追われた人達に関する[政府の]現状把握と再移住については信用できない。
ケニア政府は、高々 3万人の人達が 38ある難民キャンプにいると言ってる;しかし、OCHA が最近出した報告で未だキャンプに約5万6千人いると見てる一方で、ケニア赤十字社はキャンプの数を 68と踏んでる。

いずれの統計報告も、私達が現地で見た状況を反映していない。
どの情報源も、誰が国内難民で何がキャンプなのかという自らの基準にしたがって(難民とかの)数を公表している。
例として、ケニア政府は国内難民の再定住を実行するための調査を行っている。
しかし、自らの土地を持つ家族や特定の人達を「純粋な」国内難民として認めてるだけだ。

もし土地を持ってないのなら、再定住の方策は国内難民向けのもので無くなる。
国内難民を帰還させる全ての公的支援は、土地所有証明なり地域の責任者(行政区の職員のもとにいる)のような人によって特定された人だけに与えられるに過ぎない。

依然キャンプに住んでる多くの人達は、土地を持ってないし、今いる所から別の所へ[仕事とかで]行く必要があるビジネスマンや労働者たちだ。

IPS:新たに定義された[国内難民に関する]基準はある?

PK:いいえ。
1992年~1997年にかけて追放された国内難民に関する 2004年タスクフォース[2004年11月に立ち上げられたやつ]によって採用された戦略に、ケニア政府は従っている。

タスクフォースでは土地所有の証明書か、本当の国内難民であるという証明としての手紙を持つ人だけを対象にしてる。
それ以外は、[国内難民の]許可を取るためのインチキな主張として却下された。
同じ図式が、今回の場合でも適用されてる。

1万~2万5千ケニアシリング(約 160US$~約 250US$)を稼いでる人と Nyumbani 作戦において援助をもらってる人を区別するためにも、この方針は使われてきた。
しかし政府が、仕事をしてる人達の支援を効率的にやる商工会[The Kenya National Chamber of Commerce and Industry のこと]と議論してるのも知っている。

IPS:[以上の事が]他の国内難民にとって意味するのは?

PK:この方針では、土地を持たない農家の人達やビジネスマンが、追われた場所から都会へみんな移動させられてしまうのが最大の問題だ。
多数の人が土地を持たない女性も、移動させられる。

ケニア政府同様支援団体は、ケニア中部の Nyanza にある Rift 渓谷にいる国内難民に注目している。
しかし、Elgon 山や Nairobi のような都会、Ichamus みたいな東部から来た国内難民はすっかり忘れ去られている。

追われた人達には、以下のような人も含まれる:
農業の為に土地を借りてた家族、他の土地で暮らしたり働いたりしてた小作人、小規模の店主、(土地も持たずに)農場や工場で働いてた人達・・・。
例えば、Nyanza 地区と主な都市 Kisumu で起きた選挙後の暴力は、土地の事でなく、土地を持ってない労働者や店主だったため追われた人達の多くがいた。

加えて、追われた人達の大部分がキャンプで暮らすために来たわけで無く、家族や友人とともに過ごし、強制的移住のあとで自らの場所を借りていた。
彼らもまた支援が必要であるが、一部の人達だけが政府や赤十字(のリストに)登録されている。

だから、多くの国内難民を元いた場所へ政府が再入植してる一方で、その大半が依然周辺のキャンプや住みづらい場所で暮らしてるのに、計画では国内難民における他の主分類[土地を持ってない人達とか]を放置している。
そして、以前の紛争や2007年の総選挙と直接関係がない紛争によって生み出された国内難民もいる。

全ての人達は、再入植計画に表れない、忘れ去れたケニアの国内難民である。

IPS:この政策の行き着く先をどう思う?

PK:家を追われることは、貧困という悪い円環を生み出す。
今の政策に含まれる姿勢は、特に都会のスラム街において貧困というケニアの危機を加速させるだろう。

国連の住居統計によると、1992年から1995年にかけて、スラム街とそこに住む人達の大幅な増加が見られた。
2008年に人々が追われたのとほぼ似たことが起きた 1992年の紛争以前には、ナイロビには2つのスラム街しかなかった。
現在、ナイロビのスラム街は 12以上になってる。

国内難民の流れの拡大は、貧困状態を強めさらに多くのスラム街を生み出すだろう。
他の都市でも、国内難民が散り散りになるという同じことが起こっている。
支援を受けてる人達でも、与えられた金だけでは家を建てたり仕事を再開することができない。
しかし、こうした人達にさらに金を与えるのは、稼ぐ力の減少と国際的食糧危機の複合的影響を受けることから問題解決にならない。

巨大な人口が貧しさの毛布[呪縛?] -- 一日10ドル以下で暮らす層 --に押し込められ、そして多くの人達が都市のスラム街に引き寄せられる。

IPS:帰還処置に関して見受けられることって?
誰が[元いた場所へ]帰還して、誰がそうでないの?

PK:土地所有以外の要因としては、私達が複数キャンプを訪問した際に気づいたことだけど、帰還した多くの家族は自らの子供達をキャンプなり借りた部屋なり親族の所に残している。
理由の1つは、キャンプ近くに学校があり子供達がそこに通い続けてることだ。

しかしその結果、家族は離散状態に置かれ、子供達は色んな搾取や虐待に対しとても弱くなっている。
大人の男が帰還地域の治安状況を確かめたり 1万ケニアシリング[約160US$]の支援を受け取る際、行政機関で登録するため妻と子供を残すことで家族はバラバラになる。
いくつかの町では、子供を家長としてるような追放された家族が増えている。

IPS:[一連の状況には]男の稼ぎ手がいない女性と多くの家族にとって大きな負債という意味もあるのでは?

PK:そうね。
家を追われた女性達、特に中央ケニア地区やナイロビの一部から追われた人達は、最悪の犠牲者だ。
男達はキャンプを離れ周辺のキャンプや元の家で暮らし始めたりするけど、家族を連れてくることができないの。
いくつかの場合、子供達は安全な場所にいる別の親戚筋に預けられてしまう。

借り上げた場所や知り合いから良く扱われたり同情を受ける状態で暮らすのに疲れた女性の状況は非常に悪く、恐ろしいことに -- 男達が彼女達をそこから引き離してしまう。

この暴力で伝えられてない視点の1つは、どのように他部族と結婚した多くの女性達が住んでた場所を離れて[元の]家族の所で住むように言われたか、ということだ。
ある妻は敵対する部族に属していたために、結婚は破棄された。
こうした女性達は、元の家族からも戻ることを許されてない。

キャンプの裏で住んでる女性達は、もし/いつ自分の夫(?)が戻ってきてどこかに連れて行かれるのか定かでない。
暴力と追放による社会的歪みは、女性や子供達に激しく影響を与えている。

IPS:国内難民が帰還する地域における平和活動は存在する?

PK:少しばかりうまくいってる事例がある。
だけど、Burnt Forest と Eldoret みたいな多くの場所では、地域にある敵対的感情が帰還プロセスを阻害している。

長年存在してる政府が任命した年長者達の委員会と地区の平和委員会は、この状況にほとんど力を示してない。
ケニアでは、部族と血族の長と年長者は、西アフリカのいくつかの地域におけるそれと同じというほど、立場が強くないし影響力も無い。

一連の暴力に関して主な責任者である若者達は、平和会合に参加しないし年長者達に敬意を払わない。
このような委員会では、若者達はあまり発言しない。
多くの場合、和平運動は暴力に真に関与した人達が参加しないため、[お互いの]お題目を伝える場みたいになる。
また、平和プロセスは再入植の後でなく前に行われるべきである。

平和委員会における別の難点は、追われた人達に適切な情報を伝えられないことだ。
私が訪れたキャンプの1つでは、平和委員会の会合が近くの警察署で行われていたことに人々が気づかなかった。
こうした委員会で役割を果たしてほしい人達に、一連のプロセスは伝えられてない。
---- 訳文以上 ----

なんだろうな。
ケニアに限った話じゃないだろうけど、国内難民の扱いってのは非常に難しいんだろうな。
ってのも、単純に難民達がいた場所に帰還させればいい、っわけでもないからな。
俺が今回訳文をでっち上げた記事でも触れられてるけど、難民を発生させた当事者と国内難民が再び暮らすには色々問題があるだろうし。

結局、この問題の解決法としては、時間をかけてでもいいから真実解明と和解の努力を続けることなんだろうな・・・。
ってか、そうしたらどれくらい時間がかかるのやら・・・。


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