生きてる証

2006-09-13 23:35:06 | 宝物

生きる


 


今日は9月13日


私が大好きな“哲治さん”の命日


 


『雨は天から


涙は眼から


生きるよろこび心から』


(我が家のトイレにある浄土宗??寺のカレンダーより)


 


今日、平成18年9月13日


名古屋では朝からずっと雨が降っています


アニキが泣いているのかな?


そういえば・・・


 


平成9年5月31日


私は初めて、披露宴で新郎が感極まって泣いている姿を見た


その時は・・・


思わず私も感激してしまったが


今思うと・・・


新婦が泣いていないのに、新郎が泣いているなんて


少し笑える


 


少し余談だが・・・


もう一人、披露宴で新郎が泣いた奴がいたな~


その時は感激するどころか


笑えて笑えて・・・


一緒のテーブルにいた頭の良さそうな人達はみんなだまされてもらい泣きしていたので、


私は仕方なく一人下を向いて、肩を震わせて笑っていたよ“タクオ君”


 


元に戻る


 


平成9年5月31日に結婚


平成9年9月13日に他界


最も愛し合った二人が一緒に過ごせたのは、わずか3ヵ月半


 


それからです


私が“『今』を生きる”ということにこだわりだしたのは・・・


だってそうでしょう


私だって、これを読んでいる皆さんだって、いつ死んでしまうか分からないんですよ


 


だったら


『今』を生きなきゃ、いつ生きるんだい?


過去?未来?


 


過去があるから『今』がある!


『今』があるから未来がある!


そう言う人もいる


言っていることはよく分かる


確かにごもっともな正論だと思う


 


でも


『今』は『今』であって、過去でも未来でもない


 


“『今』を生きよう”するからこそ


自分を信じられるんじゃないだろうか?


自分を信じられないまま生きる


それでは


いつも過去にしばられて・・・


いつも未来に不安を抱いて・・・


だから


“『今』を生きる”ことはできなんじゃないか?


そんな気がする


 


『今』は、それが正しい


『今』は、それしかできない


『今』は、それが一番いい


 


自分が『今』そう思ったのなら、それを信じる


自分を信じるから『過去』と『今』と『未来』の3つが繋がる


 


自分を信じていても不安になったり、悩んだりすることはある


でも


それこそが“生きている証”である


 


生きているからたくさん悩む


生きているからたくさん考える


生きているからできる最高の贅沢だ


 


自分を信じて“『今』を生きよう!”


“こころ”から生きる喜びを感じながら・・・


 


いつまでも遠くから私の生き方を見守っていて下さいね


合掌


 


2006・9・13


From Ken-



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あなたへ

2006-09-04 22:38:03 | 宝物

『あなたと知り合ってから20年以上が経ちますね
私は一度だけあなたに本気で叱られたことがあるんです
覚えていますか?
あなたが高3で私が高1
兵庫で行なわれたインターハイ最終日
メダルを目標に臨んだ800Mリレーの予選
私は自己ベストよりも2秒以上遅いタイムしか出せずに
チームの足を引っ張った
幸い7位で決勝へ進めたが
自分のふがいなさが
悔しくて、悔しくて涙が止まりませんでした
監督やコーチ、周りの先輩や同級生は決勝に向けて励ましてくれた
そんな中、あなただけは私に厳しい言葉を投げてきた
「泣くな!悔しかったら決勝で結果を出してみろ!」
あの時あなたが叱咤してくれなければ、たぶんやれなかったと思います
目標だったメダルを手にした時
あなたは泣きながら私を抱きしめて褒めてくれました
「よく頑張ったな」
とてもとても嬉しかったです
私は今でも
あの時のことを思い出すと涙が止まりませんよ
あの時一緒に取ったメダルは今でも私の宝物です
今年もあなたがいなくなった日がもうすぐ来ます
今、どうしていますか?
今、どこにいるんですか?

もう一度、会いたいです
もう一度、いろんな話がしたいです
もう一度、叱って欲しいです
もう一度、あなたに会いたいです・・・
ココに来てもあなたはいつもいません

いったいあなたはどこにいるんですか?
どこに行けばあなたに会えますか?
ずるいですよ、哲治さん!

いつまで経っても
どこまで行っても
どんなに頑張っても
あなたの背中には追いつけない
あなたの背中は追い越せない

私の中で
平成9年9月13日から
前にも進めず
後にも戻れず
ずっと止まったままです
あなたのことを思い出すと涙が止まりません
今でもあなたの命を奪った奴が許せません
恨んでもあなたは戻ってこないのに・・・

でも、いつかきっと・・・また会えますよね、哲治さん!』

私が憧れ続けるあなたへ


2006・9・4
From Ken-O
 


 



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言葉とともに

2006-08-30 00:39:20 | 宝物

【言葉とともに】2006・8・29


〉言葉には


〉私の感情や


〉私の表情や


〉私の声とそのトーンや


〉私の身振り手振りが伴っているはずである


〉だから


〉私の“こころ”が少しは伝わる可能性はあるかもしれない


 


それと同時に相手の“こころ”も少し見えてくる


 


会話をするということはどういうことなのだろうか?


 


言葉を投げる


頭で言葉を並べる、そしてその言葉を組み合わせて、声にする


言葉を受ける


耳から聞こえた言葉を頭で並べる、そしてその言葉の意味を考え理解する


 


言葉とともにあるもの・・・


それが相手の表情である


 


そこに相手の表情があるからこそ、言葉は生まれる


相手の表情をなくして言葉など生まれはしない


 


〉相手の表情や声のトーンなどから


〉言うことを差し替えたりもする


〉それこそが相手への思いやりのひとつなのではないだろうか


〉相手を傷つけまいと


〉相手に理解してもらおうと


〉その時の相手の表情や声のトーンなどから言葉を選ぶ


〉それをするから


〉お互い分かり合える・お互いに理解し合える可能性が生まれるのだ


 


難しいボール(言葉)を投げてみる


返すボール(言葉)を捜しているが見つからない


相手の表情を見て違うボール(話題)に変えてみる


別のボール(話題)でキャッチボールを続けている


しばらくしたら、また元のボール(話題)に変えてみる


すると捜していたボール(言葉)が見つかった


 


話が行き詰る


相手の顔を見てみると


向こうもこちらを見ている


目と目が合う


お互いに微笑む


そしてまた、話を始める


 


そこに表情と声を持った相手がいるから生まれる“キャッチボール”


これが会話であると思う


 


相手がいなければ、投げたボールは自分で拾いに行くしかない


 


〉文字だけでは感情も表情も覗い知ることができない


〉だから


〉お互いの思いは単なる一方通行にしかならないのか・・・


〉自分の思いを相手に押し付けようとするだけになってしまうのか・・・


 


これでは“キャッチボール”にならない


だから会話として成立しない


 


〉言葉こそがコミュニケーションの全てである


 


言葉とともにあるもの・・・


それが相手の表情である


 


そこに相手の表情があるからこそ言葉は生まれる


相手の表情をなくして言葉など生まれはしない


 


 


 


824日に書いた日記を何度も何度読み返してみた


自分で書いたのに


自分で何度も何度も読む・・・


たぶん、“ひたすらに”を


見た人の中で一番何度も読んだのは私だと思う


ちょっとおかしな行動かもしれませんね


 


〉文字であって言葉ではない


〉言葉こそがコミュニケーションの全てである


〉文字ではその代わりは務まらない


 


そうだったのか・・・


私はメールやブログでコミュニケーションを図ろうとしていたということなのか・・・


考えなくたって、それでコミュニケーションなど図れないことは簡単に分かるはずなのに、私はそんなことに気付いていなかったのだろうか・・・


そんな自分に少しショックを受けた


 


〉では


〉ブログを書くのは辞めるのか?


〉・・・・・・


 


日記(ブログ)を書く意味が分からずに書かずにいた


自分が書いてきた日記を読み返してみる


自分の日記だから読み返す


ブログだけど、自分の日記だから


・・・・・・


 


ある人がメールを送ってくれました


「更新されていませんけど、ヤバイ病気ですか?」


ある人が声を掛けてくれました


「もうブログは書かないの?」


ある人がコメントしてくれました


「応援しています!」


 


私の文章から何かを感じたり、考えたり、想像したり・・・


本当にそんな人がいてくれるようです


 


ある人に言われました


「文章でも想いは伝えられるじゃない」


 


そうだ・・・


確かにコミュニケーションは図れない


でも


自分の想いは伝えられるかもしれないし、読んだ人が何かを考えるきっかけになることだってあるかもしれない


 


私、やっぱり文章を書くことが大好きです


上手くは書けないかもしれないけど、文章を書くことは楽しいです


不思議です


昔は作文なんて大嫌いだったのに・・・


学生時代にやたらとレポートを書かされた


卒業論文は手書きで原稿用紙50枚


やらされてやっていたことでも知らないうちに好きになることもあるんですね


『今』はたくさんレポートを書かされたことにすごく感謝しています


 


2006・8・29


From Ken-O


 


 



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2006-08-08 22:13:05 | 宝物

書きたいことがあるのだが


上手く言葉に変換できないかな・・・


 


書きたいことは


「流されるな!」ということなんだが・・・


 


今日は台風の影響もあって雲が風に流されまくっていた


雲は自分の意志とは無関係に風に流されている


時々そういう人もいる


 


『みんながしているから・・・』


『べつに何でもいいし・・・』


『どっちでもいいし・・・』


『よく分かんない・・・』


そこに自分の意志があるのか?ないのか?


みんながそうしているからとその流れに乗ろうとする


意図的に流れに乗っているうちはまだいいが


気が付かないうちに流されてしまうこともある


流されだすと自分の意志とは無関係に流されていく


気が付いた時にはどこにいるかも分からなくなる


そうなってから元に戻ろうとしても


おそらく戻ってこれないだろう


だってどこにいるのか分からないんだからね


戻ってこれる訳がない・・・


 


 “流れに乗っても流されるな!”ということ


 


 


2006・08・08


From Ken-O



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In The middle Of A Dream-8-6

2006-08-06 21:58:40 | 宝物

夢を見ることは悪いことではない


むしろ素晴らしいことであると思っている


しかし夢を見ているだけでは現実は何も変わらない


徐々に徐々に夢に近づいていく努力をすることで


夢が目標へと変わっていく


 


目標に変わったことで


自らがどうするべきか・・・


自らが何をするべきか・・・


自らで考えて


自らで行動できるようになるはずである


だから夢を見ることは素晴らしいことなのだ


 


それが夢を見る価値なのではないだろうか


夢を見ることで人は成長していける


成長していくことこそが人が生きている証であるようにも思う


 


成長していく過程には


成功も失敗も喜びも悲しみも嬉しさも悔しさも楽しさも怒りも・・・


様々な感情の元で様々な経験を積み重ねていく


生きているからこそ湧出る感情・・・


生きているからこそできる経験・・・


私はそう思っている


 


だからこそ


私は生きている限り一生


夢を見続けていく


成長し続けていく


それが私が望む生き方なのだから・・・


 


 


2006・08・06


From Ken-O



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空とこころ

2006-07-26 22:33:51 | 宝物

空はたくさんの顔を持っている


明けゆく空・悩む空・澄んだ空・燃える空・閉ざす空・怒る空・・・


たぶんもっともっとたくさんの顔を持っているだろうね


 


人もたくさんの“こころ”を持っている


開くこころ・悩むこころ・澄んだこころ・燃えるこころ・閉ざすこころ・怒るこころ・・・


たぶんもっともっとたくさんの“こころ”を持っているだろうね


 


“空”と“こころ”は同じ色


 


 


2006・07・26


From Ken-O



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“こころ”を磨こうよ

2006-06-30 22:03:13 | 宝物

“こころ”を磨こうよ


 


あなたの“こころ”はウソをつかない


あなたの“こころ”はごまかせない


あなたの“こころ”は・・・・・


 


見えるところを美しく かっこよく きれいに見せるよりも


目には見えない“こころ”を磨こうよ


 


いくら化粧をしたり 髪型決めたり オシャレしたりしても


見せかけだけでは『メッキ』はれる


目には見えない“こころ”を磨こうよ


 


“こころ”が美しくて かっこよくて きれいな人なら


きっとそれに気付いてくれるはず


“こころ”が美しいと


“こころ”がかっこいいと


“こころ”がきれいだと


 


だから“こころ”を磨こうよ


 


 


2006・06・30


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レスポンス

2006-06-14 22:58:30 | 宝物

【レスポンス】2006・6・14


私 車好きです


昔はけっこう走る車に乗ってましたよ


 


いい車は


アクセルONにすると回転数がポン!と上がってゆっくり下がっていきます


アクセルONにした時の反応をレスポンスと言う?あってる?


最近


『おっ!レスポンスいいじゃん!』なんて思ってたんだけどな~


 


オイルが悪いのかな~


結局“糠喜び?”


【糠喜び=喜びのあてがはずれること(広辞林より)】


 


何が足りないんだろう?


“喜んで がっくり よろこんで ガックリ”


この繰り返しが結構多いんだよな


 


『辛抱!辛抱!』と自分に言い聞かせるんだけど


どうも辛抱が足りないんですね 私


コーチとしての“資質”で特に不足していると感じてしまう今日この頃です


 


 



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選ばれし者の特権

2006-06-03 22:41:12 | 宝物

“試練”の持つ意味


 


つらい


たのしい


たいへん


やりがい


いやだ


やってやる


 


“試練”はどんな奴に与えられる


 


ぐうたらな奴


てきとうな奴


がんばる奴


まじめな奴


あきらめる奴


たちむかう奴


にげだす奴


のりこえる奴


 


神様や仏様を信じるような輩じゃないが


乗り越えられると神様が信じたから 試練を与えてくれた


諦めて逃げ出すような奴には 試練など与えてもらえれない


立ち向かって乗り越えられる奴だからこそ 選ばれた


 


乗り越えられた時 そいつはもっと強くなれる


乗り越えられた時 そいつはもっと優しくなれる


乗り越えられた時 そいつは必ず成長できる


 


誰にでも試練が与えられるわけじゃない


神様に歩むことを許可された選ばれし者だけに与えられる特権だ


 


つらく苦しい時にこそ にこやかな笑顔


投げ出したい時にこそ 挑戦してみる勇気


怒れてしまう時にこそ ほんの少しの優しさ


 


もう一人の自分が“こころの中”でそう囁いた


 


 


2006・06・03


From Ken-O



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時には

2006-06-03 22:07:30 | 宝物

がむしゃらな姿って 熱いね


がむしゃらな姿って かっこいいね


がむしゃらな姿って こころを感じるね


 


でもね


いつもいつもがむしゃらだと


こころもからだも悲鳴を上げちゃうよ


 


だからね


ときには 肩の力を抜いてみてごらん


ときには 大きく深呼吸をしてごらん


ほら なにか軽くなった気がしないかい


 


重たい荷物を降ろしたら


きっとまた どんどん進んでいけるよ


 


ときには 肩の力を抜いてみてごらんよ


ときには 大きく深呼吸をしてごらんよ


 


 


2006・06・03


From Ken-O



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