途中で

2012-02-24 20:47:32 | 夢の途中で

夢を見ることは悪いことではない。


むしろ素晴らしいことであると思っている。


しかし、夢を見ているだけでは現実は何も変わらない。


徐々に徐々に夢に近づいていく努力をすることで夢が目標に変わっていく。


目標に変わったことで


自らがどうするべきか・・・


自らが何をするべきか・・・


自らで考えて


自らで行動できるようになるはずである。


だから夢を見ることは素晴らしいことなので。


それが夢を見る価値ではないだろうか。


夢を見ることで人は成長していける。


成長していくことこそが人が生きている証であるようにも思う。


成長していく過程には、成功も失敗も喜びも悲しみも嬉しさも悔しさも楽しさも怒りも・・・


様々な感情の下で様々な経験を積み重ねていく。


生きているからこそ湧き出る感情・・・


生きているからこそできる経験・・・


私はそう思う。


だからこそ、私は生きている限り一生夢を見続けていく。成長し続けていく。


それが私の望む生き方なのだから・・・


2006.08.16


From Ken-O



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書籍『夢の途中で』のまえがきより・・・

2012-02-24 20:22:00 | 夢の途中で

人は必ず夢を持っています。


将来への夢、スポーツでの夢、勉強での夢・・・


大きな夢から小さな夢まで、夢は様々です。


夢を持つことで“生きる活力”を育んでいます。


すべての活力は“夢”に集約されていると私は思っています。


学習指導要綱などで“生きる力”を育むとありますが、果たして“生きる力”とは何をさしているのでしょうか?


子どもに夢を与えることこそが“生きる力”を育むためには必要だと私は思います。


そのためには、大人達自信が夢を持っていなければ、子どもにそれを伝えることはできません。


夢を実現するためには、努力や犠牲も必要です。


どうせ無理だからと努力を怠ることは、夢を捨てるということになります。


だから、どんな小さな夢でもいい。


人は夢を見続けなければ、成長はできない動物です。


私はいつもそう思っています。


『夢の途中で』というタイトルには、様々な想いを込めています。


『夢の途中』ではなく、『夢の途中で』と付けたには理由があります。


『途中』で終わってしまってはいけない理由があります。


それは、夢の途中で何をするべきなのか?夢の途中でどうするべきなのか?


そんな自分自身への問いかけの意味を込めてつけました。


私は常々「いつまでも子ども大人でいい」そう言っています。


大人になると損得や利害、しがらみなどが交錯し、子どもの頃のように純粋に夢を見られない人が多いように私は思います。


私はそんなのが嫌です。


たった一度しかない人生なのだから、いつまでも純粋に夢を見続けていたいと思っています。


そんなちっぽけな夢こそが私の最大の夢です。


2009.10.22


From Ken-O


 


そんなちっぽけな夢すら忘れかけている、そんなちっぽけな夢すら見失っているのが今の私です。。。



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