フランス映画「男と女 "Un Homme et Une Femme"」(1966年)において、サウンドトラックとして使われたボサノヴァがこの作品の見事な映像美を更に純化していることは間違いない。そしてフランスにおけるボサノヴァ熱は、この映画が発火点となって熱狂化していったと思われる。キーパースンはフランシス・レイFrancis Laiと共に映画音楽を担当したピエール・バルーPierre Barouhだ。
後年レア・グルーヴシーンで発掘されるジャズ・サンバの傑作Le Trio Camaraのアルバムが1968年に発売されているが、このトリオは「男と女」に出演もしていたピエール・バルーがブラジルで発掘し、フランスでデビューさせたと言われており、一連の流れからフランスにおけるボサノヴァ音楽普及化のロードマップがピエール・バルーによって描かれていたことは想像に難くない。ピエール・バルーが主宰するサラヴァSARAVAHレーベルが果たした功績については別途紹介したいと思う。
そしてピエール・バルーがボサノヴァをフランスで広めていた時期に、あるブラジル人音楽家がフランスで活躍していた。孤高のアーティスト、エグベルト・ジスモンチEgberto Gismontiだ。彼は1967年にフランスへ渡り、歌手のマリー・ラフォーレMarie Laforêtの指揮者、編曲家を勤めていたのだ。実は今日紹介するマリー・ラフォレMarie Laforêtの1970年の映像を観るまではジスモンチのキャリアにフランスでの活動があったなんて知らなかった。
参考までにエグベルト・ジスモンチのプロフィールを日本の公式サイトから引用させて頂いた。なんとフランスに渡航するきっかけはアントニオ・カルロス・ジョビンの言葉だったというから人生は面白い。
「エグベルト・ジスモンチは1947年、ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ州カルモで、レバノン人の父、イタリア、シシリー島出身の母の間に生まれる。5歳からピアノを、10代でフルート、クラリネットギターを始める。1967年、ブラジル音楽院の奨学金でウィーンに渡る予定が、トム・ジョビンの一言で奨学金を蹴り、単身パリに渡る。フランスの女優マリー・ラフォーレの依頼でアレンジなどの仕事をする傍ら、コープランド、バーンスタイン、ピアソラ等を教えたナディア・ブーランジェ女史に出逢い、作曲とオーケストレーションを学ぶ。
1969年、MPBソング・フェスティバル入賞のご褒美に、デビュー作"EGBERTO GISMONTI"をブラジルでリリース。翌年、"SONHO 70"、"ORFEO NOVO"で欧州デ ビュー。1971年、ブラジルに帰国。そして、アマゾンの密林でインディオと共に生活し、ブラジルの土着音楽に対する造詣を深め、独自の音楽性を身につけた。」
マリー・ラフォーレのバックでギターを弾いているのがエグベルト・ジスモンチだ。ジスモンチは1947年生まれだから、23歳の時の映像ということになる。ジスモンチのギターは荒削りながら音の粒が立っていて、曲の進行に合わせて、どんどん気持ちが高ぶっていくのは私だけだろうか。
エグベルト・ジスモンチ オフィシャルサイト
後年レア・グルーヴシーンで発掘されるジャズ・サンバの傑作Le Trio Camaraのアルバムが1968年に発売されているが、このトリオは「男と女」に出演もしていたピエール・バルーがブラジルで発掘し、フランスでデビューさせたと言われており、一連の流れからフランスにおけるボサノヴァ音楽普及化のロードマップがピエール・バルーによって描かれていたことは想像に難くない。ピエール・バルーが主宰するサラヴァSARAVAHレーベルが果たした功績については別途紹介したいと思う。
そしてピエール・バルーがボサノヴァをフランスで広めていた時期に、あるブラジル人音楽家がフランスで活躍していた。孤高のアーティスト、エグベルト・ジスモンチEgberto Gismontiだ。彼は1967年にフランスへ渡り、歌手のマリー・ラフォーレMarie Laforêtの指揮者、編曲家を勤めていたのだ。実は今日紹介するマリー・ラフォレMarie Laforêtの1970年の映像を観るまではジスモンチのキャリアにフランスでの活動があったなんて知らなかった。
参考までにエグベルト・ジスモンチのプロフィールを日本の公式サイトから引用させて頂いた。なんとフランスに渡航するきっかけはアントニオ・カルロス・ジョビンの言葉だったというから人生は面白い。
「エグベルト・ジスモンチは1947年、ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ州カルモで、レバノン人の父、イタリア、シシリー島出身の母の間に生まれる。5歳からピアノを、10代でフルート、クラリネットギターを始める。1967年、ブラジル音楽院の奨学金でウィーンに渡る予定が、トム・ジョビンの一言で奨学金を蹴り、単身パリに渡る。フランスの女優マリー・ラフォーレの依頼でアレンジなどの仕事をする傍ら、コープランド、バーンスタイン、ピアソラ等を教えたナディア・ブーランジェ女史に出逢い、作曲とオーケストレーションを学ぶ。
1969年、MPBソング・フェスティバル入賞のご褒美に、デビュー作"EGBERTO GISMONTI"をブラジルでリリース。翌年、"SONHO 70"、"ORFEO NOVO"で欧州デ ビュー。1971年、ブラジルに帰国。そして、アマゾンの密林でインディオと共に生活し、ブラジルの土着音楽に対する造詣を深め、独自の音楽性を身につけた。」
マリー・ラフォーレのバックでギターを弾いているのがエグベルト・ジスモンチだ。ジスモンチは1947年生まれだから、23歳の時の映像ということになる。ジスモンチのギターは荒削りながら音の粒が立っていて、曲の進行に合わせて、どんどん気持ちが高ぶっていくのは私だけだろうか。
エグベルト・ジスモンチ オフィシャルサイト