花郎徒の庵 

目指せ楽隠居! 大長今ファン&歴史フリークの隠者・花郎徒による よろずつれづれ日記です。(*>∀・*) 

太田道灌

2007-01-16 21:35:00 | 歴史全般
歴史フリークの…と自称しているわりに
関連ネタがちっとも出てないいじゃないか~!と
お叱りを受けそうなのでちゃんとネタを出しますね。

ある年の正月に、私が皇居の一般参賀に行った時の事です。
天皇陛下や皇族方のお出ましを待つ人々の中で
私も寒さを堪えながら待っていました。

すると、すぐ近くに居た50代くらいの男女数名が
なにやら話し込んでいるのが聴こえてきました。
(話の内容は記憶頼りですので、こんな感じだったって事で…)

女性1「皇居って想像以上に広いわねぇ」
女性2「だってここ江戸城だったんでしょ?」
女性3「そりゃ広くて当然だわね」
男性「ははは、それじゃ江戸城って誰が最初に築いたか知ってるか?」
女性たち「徳川家康でしょ?」
何を今更と言わんばかりに、女性陣は口を揃えて笑いながらそう答えました。
やがて、男性はやれやれといった表情でこう答えました。

男性「ははは、残念でした。それはずっと後だよ。
元々の江戸城を築いた人物は…サイトウドウカンだよ!」
女性陣「へぇ~○○さん物知りねぇ、全然知らなかった~」

近くで成り行きを見ていた私は
男性の自信満々の解答にかなりずっこけてしまいました。(^_^;)
そして、間違いを直してあげたい気持ちを抑えて心の中で呟きました…
(サイトウドウカンって誰よ? それを言うなら太田道灌だろ!)

私が思うに、その男性はそれなりに歴史を知っている人だったのでしょうが、
太田道灌と斉藤道三をごっちゃにして憶えていたのだという結論に至りました。

まぁ、太田道灌という人物は日本史ではあまりメジャーじゃないですし、
地域史家や研究者、歴史フリーク好みの人物だったかもしれませんね。
ただ掘り下げていくと中々に興味深い人生を歩んだ人間です。
足りないのは知名度だけです。(*-_-)
どっちにしても、後世の徳川家康の功績に隠れているだけの事で、
太田道灌が江戸城の基を築いたのには間違いありません。

首都圏在住の方は、日暮里駅前や川越駅前に
彼の銅像があるそうなのでご覧になってみて下さい。
私如きがクドクド説明するのもおこがましいので、
太田道灌がどんな人物か詳しく知りたい方はこちらへどうぞ!
少しでも興味を持っていただければ幸いです。m(__)m

「我が庵(いお)は 松原つづき 海近く
               富士の高嶺を 軒端(のきは)にぞ見る」 道灌


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3 コメント

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みのひとつだに (きーみ)
2007-01-19 16:31:43
太田道灌なら私も分かります♪
でも、江戸城と 山吹のエピソードしか知りません。
このエピソードは古典の教科書か何かに出てきたような・・・(^^ゞ
皇居の一般参賀ってどんな感じでしたか?
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とんだ目に・・・ (Romeo)
2007-01-20 20:18:50
とんだ目に太田道灌!
とんだ駄洒落で、失礼しましたm(__)m
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こちらにも… (花郎徒)
2007-01-20 21:47:36
きーみさん、Romeoさん、コメントありがとうございます。

きーみさん、
一般参賀は2回行きました。
やはり閑静な一等地なだけに広くて整然として、参集した人たちもまた弁えているらしく、至って穏やかに順序良く中まで進んで行ってましたよ。
 いわゆる陛下や皇族方がお立ちになる場所はずっと奥の正殿で、長いガラス張りのコテージのような部分にてお言葉を述べられます。
 ちなみに日の丸の小旗は二重橋の手前あたりで記念品代わりに貰えますし、颯爽とした騎馬警官(皇宮警察の方)には、よほど忙しくない限りは記念撮影を求めればしてもらえます。

Romeoさん、
チャングマ掲示板みたいなお茶目なコメントありがとうございます。(*^^*)
やっぱりこういう洒落っ気のあるものがあると私もほっとします。
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