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オリャンタイタンボ -聖なる谷、ペルー-

2007年07月05日 | Around the world 2005-2007
聖なる谷最後はマチュピチュに行く拠点になっているオリャンタイタンボ。ここにもインカ帝国時代の遺跡があるのでツアーできていた。雰囲気のよさそうな街があるなと思っていながら、ほとんど街を見ることができず残念に思っていたところだ。


 
 ウルバンバからのミニバス。自分のバックパックに羊さんが4匹寄り添いオリャンタイタンボへ。


 
 ツアーで訪れた時に。遺跡から見たオリャンタイタンボ。


 
 後日訪れたときに。上の写真にある山から見たオリャンタイタンボの遺跡と村。
 石垣でできた段々畑と建造物が残る遺跡。


 
 で、また上の写真にある山の遺跡。穀物倉庫だったらしい。


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 修復作業中だけど、建物の内部まで入れる。
 建物にいく山道は急斜面で途中からはあまり足場もよくないです。
 どうでもいいけど、もう靴底が平らに近くなっているのでちょっとしたことでこけそうになる…。
 もう新しい靴を買わなきゃと思い出しから3ヶ月がたっているな。。。


 
 修復現場。


     
     遺跡から見た村周辺の景色と子供たち。
     ここでは太陽が谷の流れに沿って落ちていく。


オリャンタイタンボは小さな村で家々は狭い範囲に寄り添うように立ち並んでいる。ここもスペイン風の街並みを持っており、広場と碁盤状の通りが基本となっている。狭い村だから碁盤だろうが入り組んでいようがあまり関係はない。あっという間にこの道を進むとあそこに出ると把握ができた。
街並みはまるで忠実にそのものを再現した映画のセットのようで、古い街並みがきれいに保存され、現在も使われている。クスコ周辺の他の町と同じく、石垣と石畳が基本の町だが、ここではそれに加えて街中に水路が走っていた。そして、水路の走る路地は人が4、5人も立てば埋まってしまうほど、道幅が狭いので、石垣が迫ってくるように両側に立っている。水の流れる音、人の歩いていない狭い石造りの路地裏、ファンタジーの世界に迷い込んだような気分になってくる。


 
 直線に伸びる石垣と石畳。
 んん、路地から遠近法を使え!!といわれているようだったね。


     


 
 ダンジョン突入みたいな感じですか。
 バックパッカーの間で雰囲気のある町を「ドラクエみたいだ」といったりしますが、
 この村はまじでドラクエです。


     
     水路を流れる水の音が気持ちいい。
     個人的には最低でも歩いて2、3日かかる
     ネパール、アンナプルナ山域のジョムソン街道の村を連想させられた。


 


     
     犬がよく寝転がっています。
     撫でていると他の犬が突っ込んできて、
     撫でられ権を巡って争っているなんてこともあるほど人懐こかった。
     まぁ、ただ単に発情期なだけかもしれない…。


 


     


 
 街角で。


     
     夜の街中。濃い暖色の白熱灯が灯されていて、夜の散歩も雰囲気抜群。


 


 
 表通り。
 観光産業の村なので、ローカル食堂もツーリスト向けの店も何軒かあって、不自由もしない。


 
 屋根の上に沖縄のシーサーのような置物が。同じような意味を持つものなのか。
 縄文時代に日本人が船で南米にやってきたという学説もあるし。
 インディヘナ(先住民族)の間でも顔つきが違うなと感じし、
 日系何世なのかもしれないけど、東洋人顔もいる
 アメリカ大陸の先住民族の先祖は、かつてベーリング海峡が陸続きだった時に
 ユーラシアから渡ってきた民族らしいけど。
 インディヘナとメスティソ(インディヘナと白人の混血)の違い
 といわれてもかなり漠然としかわからない。
 それに一口にメスティソといってもどちらの血が濃いのかによって意識も変わってくるだろうし、
 当人たちのアイデンティティはどちらに属しているのだろう。
 メスティソの間でも差別意識みたいなものはあるのだろうか。
 インディヘナ多数派国家の民族構成は謎が多いです。


いやあ~、オリャンタイタンボも本当にいいところだった。久々に心底リラックスできた聖なる谷の村々だった。ここも連泊してもいいところだけど、ひとまず、予約していた20時15分のオリャンタイタンボ発アグアスカリエンテス(マチュピチュに向かう最寄り駅)行きの列車に乗ってマチュピチュへと向かいます。