ファミリー メンタル クリニック

児童精神医学,サッカー,時にテレビや映画、Macのネタ。
要するにひとりごと・・・

小沢氏、今日 不起訴 の文法構造は?

2010年02月07日 | Weblog
小沢氏、今日 不起訴・・・・・
この文法構造はおかしい 何がおかしいのか分からなかった。

色々とblogを読んでいてなるほどと思うのがあった。


この文法構造はおかしい。
いつも 悩んでいる 故障中 にも匹敵する。(笑)
故障というのは現在使えないという状態を表しているので、そこに「中」は要らないだろう。
逆に、稼働中とか運転中なら分かるが。
強いて言えば、温かくなったので現在は暖房を停止「中」が、許せる範囲かな。

しかし、暖房はオフが常態なので、つけているときだけ稼働中と言うべきで、停止しているときは、
特に指示する必要がないはずだ。
逆に、こんなに寒いのに暖房入ってないの? うん、今 修理中 なら良いかな。

さて、「小沢氏、今日 不起訴」 を考える。

ボクも、今日 不起訴だろうし、これを 読んでいる400人の人もほとんどが 今日 不起訴だろう。
起訴されてないのだから。(笑)
事情聴取をされても、それは当然不起訴「中」だろう。
検察が話を聞いている間はずっと不起訴「中」だ。

存在しないことを、敢えて存在しないと説明する文法構造はおかしなものだ。
存在する・しないは 基本的に対比構造が意識されたときに表現される。

北海道には雪が降るが、沖縄には降らないとか、冬には雪が降るが夏には降らないとか。

だから、小沢氏が起訴されるのなら 小沢氏 今日 起訴 という文法は正しいだろう。
先日から不起訴の通常の状態が続いているのだから、 今日 不起訴 という表現はおかしい。
ただしくは、 「今日も 不起訴」 かな 強いて言えば。
それもおかしな文章だ(笑)


他のblogにあったように、 検察 小沢氏 今日 不起訴決定 なら まだ分かりやすい。
主語が検察になるから。

検察の側に立つと、起訴・不起訴の判断が主体的になされる。
小沢氏が受動的に 不起訴 というのは 言ってみれば 昨日も「ヒト」である小沢氏が 今日も「ヒト」であると言っているようなことではないだろうか。

小沢氏 今日 ヒトへ ・・・そんな 文法構造になる。
オレは、昨日までヒトじゃなかったのか? そんなニュアンスだ。

ヒトと決めるのは自分が決めるのでなく、ヒトによって産まれてきたからでしかない、受動的な状態だ。
トラになって産まれたくても、明日トラになれるわけはない。
そんなことは誰も意識しない。
無意識にも存在しない。
存在するときは、精神病性の思考障害の場合だろう。


何だか訳の分からない議論だけど、何が言いたいかというと、(きっとここは ラカン的だと思う)
マスコミの報道で 主語がはっきりしない文法構造が多いのだ。

この文法構造はおそらく彼らの主体性が自明なものでなく、場合によって主体が変わりうることを指し示しているせいだ。
少なくても中立のマスコミの視点からだと、誰が、いつ 誰に対して、どのような理由で、どうした・・・と小学生の作文の時間に習ったことを忠実に守らないといけない。
小沢氏 今日 不起訴 の文法構造は
小沢氏が主語のようだが、そのあとの文章は続かない。


せめて、きちんとした大学を卒業し、かなりの給料をもらって報道のお仕事をしているのなら、
大学受験で不合格となるような文章はやめてもらいたい。

え? この文章が不合格?
残念ながら、入試に 筆記式の現代国語はありませんでした。

最新の画像もっと見る