ファミリー メンタル クリニック

児童精神医学,サッカー,時にテレビや映画、Macのネタ。
要するにひとりごと・・・

特別支援教育は学校で行うものなのだが

2015年11月21日 | 児童精神医学
発達障害という言葉が医療界、教育界,一般社会(支援の枠組みも含めて)に拡がっている.
良いこともあるが、こりゃどうもね、という面もある。
教育現場とのやりとりのなかで感じる事がある。

何が,これほど物語を複雑に分かりやすくしているんだろう。
近視という目の病気も小学生から出てくるが,これ程複雑な話にはならない。
精神医学という,学問、臨床領域の境目の曖昧さが、例によって話を難しくしている、もしくは簡単に済まないようにしているのではないだろうか。

常に現場で起きている呪縛から逃れることが困難である。
ADHDは病気なんですか? という根本的な問いかけだ。
DSMでは、そこんとこは 著しく臨床的に支障があるときに・・・みたいな定義がある。
これは精神疾患を定義するマニュアルなので、そんなもんだろう。
しかし学校は医療現場じゃない.教育の場所だ。

教育現場にいる、ある種の人たちは,病気なので,魔法の薬が著効するのだと盲信しているかのような人たちもいる。
同じ教育現場にいても,これは病気なんかでなく「個性」だという。
魔法の薬は頼りにしないが,病気の症状なので,何でもかんでも対応を主治医に委ねたいと言いたげな人たちもいる。
(露骨に電話で,診察もしないうちに◎◎君の対応はどうしたら良いでしょうか?と訪ねてくる教師もいる。驚くことに.)

同じ教育現場にいても、理解と対応の原理原則がかなり幅広い.
同じ ADHDという単語を用いているが.全く別物のようだ。

例えば、喘息であり、近視であったり、骨折と,小学生から比較的多い疾患で,教師の理解がこれ程までに幅広く理解される事ってあるんだろうか?

似た様な状況が保護者にもある。

どうも、育てにくくて,気になっていた。やはり、TVで放送のあった発達障害のようだ。
と、担任に相談しても,お母さん他の子がもっと落ち着かないし、宿題出来ない子も大勢いますよ と丁寧に親の心配を無視することがある。

教育現場で発達障害について、どれだけ十分に検討がなされたのだろうか?
特別支援教育も開始されて10年経つ.
いつまでも、どう対応したら良いですか?と医療に丸投げするのは如何なものでしょうか?

発達障害に関する医療と教育の間に架け橋をかけることを、これから考えないといけない。

・・・でも これって 零細企業のクリニックで考えることなんだろうか?
宝くじが当たったらクリニックを閉めて,スペインに移住する計画を日々夢想する俺が。


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