もう何十年も経つと、これだけ違って来ます。
左が今の世代の737-700.右がはるか昔のCV-880
時代の違いが一目瞭然という事でしょうか。
乗客のキャパシティーもほぼ同じ、航続距離は737に軍配が。
もう何十年も経つと、これだけ違って来ます。
左が今の世代の737-700.右がはるか昔のCV-880
時代の違いが一目瞭然という事でしょうか。
乗客のキャパシティーもほぼ同じ、航続距離は737に軍配が。
昨日の880に続き、今日はコンベア990です。-880よりも更に悪い結果になったー990.それでもそれを使い続けて頑張ったエアラインは、忍耐と言うほかありません。
IBERIA
AMERICAN
SAS スカンジナビアン航空
ALASKA
今のエスキモーのカラースキムとは全然違うイメージ。
NORTHEAST
-880、-990、両方を使い続けたのは、たぶんこの航空会社だけではないでしょうか。律儀な会社ですこと。結局、ここはデルタ航空に吸収されています。
1/400でもこれだけ集めると壮観です。
おまけ CV-440 メトロポリタンと呼ばれていましたね。結局、コンベアはどれも乗った事はありません。
私がさいしょに乗ったのは、グラマンG73 マラードという水上飛行機です。その後、YS-11、F27-フレンドシップ、B727-100、-200 B737-200、DC8-30、DC-8-55、DC-8-61 、DC8-62、L-1011トライスター、747-SR、DC9、A300と続いていきました。
コンベア 880
CATHAY PACIFIC
JAL これもまた、アテンションプリーズに登場していました。
羽田空港や大阪空港でよく見ていました。とにかく音がやかましいんですよね。
離陸してもそこから高度がなかなか上がらない。いつまでも地面をはっているような飛び方。しかも煙がこれまたすごい。特に大阪空港では、近くにうちの親戚があるんですけど、家が滑走路のすぐ近くで、部屋にいてもうるさかったです。
NORTHEAST
SWISSAIR
DELTA
この飛行機、今では、キャパで言うと、ボーイング737-800クラスかそれよりも若干小さい。中も座席が5列と細いし、これにターボジェットを4個ぶら下げて、中距離旅客機と言っていました。気持ちだけ先走った飛行機でしたね。
結局、JALでは10年足らずで全機リタイアしてしまいました。事故で損失した他、全てスクラップになっています。これもアメリカの大富豪、ハワードヒューズが仕掛けて、コンベアー社に偉大なる負債をもたらしているんですよね。
金持ちの言うとおりしたら、こうなったと言うケースはよくあるんですよね。これが。
YS-11
私が学生の時から、この飛行機には何十回も乗ってきました。結婚してからも、ずーーーーーっと。
東亜国内航空 JA8776
最初に私が乗ったのは、高校時代に、東亜航空のYS11でした。離陸した途端に、主翼の外板にさーーっとシワが寄るのを見て、びっくりした記憶があります。
大阪~米子が最初のフライトでした。
その後70年代になると、日本国内航空と東亜航空と合併し、東亜国内航空になりました。写真の(しれとこ)JA8776は時々航空雑誌や旅行のパンフレットによく登場していました。
この会社は、割合に塗装のパクリをよくやっていたようです。写真の機体は、一度ブラジルかどこかの航空会社に入り、また日本に戻り、会社名の文字だけ変えて、塗装はそのままでした。
70年代も半ばを過ぎると、今度はレッド&グリーンのスキムになりました。
TDAになっても、このJA8776は、(しれとこ)のままでいてくれました。
そして今度は、日本エアシステムになりました。
レッド&グリーンの次は、レインボーカラースキム。
そして最後はJAC、日本エア、コミューター
まあとにかく、息の長い飛行機でした。初飛行が私の小学校5年生の時、引退したのは還暦をすぎてから。自分もよくのりました。
JA8776も何度も塗装を変えては黙々と飛び続けていましたね。
JA8776
JA8776
JA8776
出雲~大阪でよく乗りました。スチュワーデスさんとも、何回も同じ顔を拝見したりしてました。あのロールスロイスのダートエンジン、独特な音で、空の旅を引っ張ってくれました。
悪天候の時にもよく出くわして、そのゆれかたが、また独特でして、体も一緒に左右に振られているのがよく分かるというものでした。それがまた、いつまでも続いて、なかなか収まらない。
後で専門の方にお聞きしたら、この飛行機の垂直尾翼が原因らしいと言う事でした。これを設計した有名な大学の教授が、後退翼が嫌いだったらしく、このデザインになったということです。
今では、スピードの遅い飛行機でも垂直尾翼だけは、ある程度、後退翼になっています。そのほうが揺れが早く収まるようです。JACのSAAB340などもそうですね。
アテンション、プリーズは羽田空港がベースで、JAL以外に、遠くに外国の飛行機が映っていましたね。
ブリティッシュ航空、スーパーVC-⒑ です。
カンタス航空 BOEING 707-320C Vジェットと呼ばれていましたね。
YS-11 これもまたブルーのモヒカンルックになっていきました。羽田~米子は何度もこれに乗ってました。
それとBOEING顔のコックピット回り、707も727-100、-200も全部同じ顔です。
これらは全て、同じデザインで、737のシリーズもこれから作る予定の737-MAXもずーーーーーっとこれが続くんですね。じつはこのウインドウシールド、ガラスの枠がエッジが立っていて、風切り音が結構うるさいらしいです。
操縦席の中、当然やかましいそうです。エアバスは比較的そうでもないらしいです。
手狭な羽田空港は、駐機スペースを確保するために、わざわざ滑走路をつぶして、このように、互い違いに飛行機を留めていました。
アテンションでは、この他にもフラタイのDC8、JALやPANAMの747ジャンボジェットなどが登場していました。
ですが時々画面が裏返しになっていました。富士山の横を飛行中の空撮では、日本航空の文字が逆に、鶴丸も反対を向いていました。ほかにも怪しげな場面が時々出てきます
このほかにも、当時の現役スチュワーデスさんが何人も出て来られてましたが、もう一つの不思議なことが。それはドラマの中で、三上教官が早朝にハワイに向け出発して、翌日の夜には帰国して、機長のお宅にお邪魔するというもので、本当にそんな事が出来るのか、当時話題になっていました。