日本航空の727より前に全日空では727をアメリカからリースにより飛ばしていたようですが、こちらの写真はその後正規に導入された、全日空727の初号機です。
JA8301 初号機
レオナルド.ダ.ビンチの「回転式航空機」最初、えらい地味な塗装だと思っていました。大学に入り、やはり旅客機好きの友達と知り合いになり、この塗装についてレクチャーを受け、私はすぐにそれに洗脳されていきました。
羽田空港や大阪空港空港で、しょっちゅうこの2社の727を見ておりました。
やがて、大阪で万博が始まると、この飛行機も飛ぶようになりました。
727-200 ですね。
青いモヒカンルックがとても似合っていたと思います。
でも、このJALの727-100は、アテンション、プリーズでしょっちゅう登場してきます。最初の、美咲洋子が九州から上京するときや、初めて見習い常務に就く場面などに、この飛行機は欠かせない存在になっています。
でもドラマと違い、実際にはJALの727-100は肩身の狭い存在になっていきます。JALではDC-8が全盛で、国内線でもDC-8-61が就航し、全日空の727-200と競い合うようになります。
特に大阪~東京は競争が激しく、まだ成田空港が出来る前でしたので、あの狭い羽田空港へ国際線も国内線も、全部乗り入れていましたので、時間帯で、ラッシュがすごかったですね。JALなど時間帯によっては、15~30分おきに出発していました。
あるとき、大学の友人と大阪空港から羽田空港へJALで出発しようとしていました。で、私は727の便を、かれはDC-8-61を選択。15分違いでそれぞれ出発しました。 離陸して15分位してキャプテンからアナウンスがあり、「今日の羽田は、空域がとても込み合っていて、時刻表どおりには降りられない可能性がある」との報告をうけました。羽田へ近づくと悪天候も重なり、同じところを何回もグルグル旋回し初めました。ときおり窓の外に他の飛行機がすぐそばを、上や下へ何機も飛ぶのを眺めては、ひとり喜んでいました。
結局、羽田へ降りたのは、大阪空港を離陸してから、1時間45分後でした。私としては、余分に飛行機に乗れて大変うれしかったです。こんな私の性格は旅客機好きは、皆同じだと思います。
DC8に乗って来た友人もとても喜んでいました。