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硫黄島からの手紙、もしも三上医師が死んだら

2006年12月23日 20時18分25秒 | 社会、政治、経済
カテゴリーはあえて「映画、ドラマ」じゃ無く社会、政治、経済です。

Dr.コトー診療所2006の第10話と最終話を見た人へ。

礼別島診療所の三上新一先生が、礼別島の藤原さんの長女であるバツイチで、出戻り娘の藤原恵さんと結婚し、新婚旅行先にコトー先生を訪ねて志木那島に二人で来たとします。恵さんのお腹には三上先生の子どもが宿っていました。しかし、三上先生は蚊を媒体とするテング熱を発症し、コトー先生の必死の治療も叶わず亡くなった。それは、どんなに辛いでしょうか?テレビを見た人へ。

私は人の命ほど重たいものは無いと思うのです。本当は地球より重たい。なのに、人間は殺し合いをするんですね。

戦争は狂気です。「正しい」戦争などありえない。もし「ありえる」なら、それは偽政者(某都知事やイニシャルFの極右)の「言い訳」以外何物でもない。

朝鮮民主主義人民共和国(以下「北」)が核兵器開発をちらつかせ、ミサイル発射実験を繰り返す瀬戸際外交をしています。だからと言って日本がそれを「防衛」と言う名の武力、イコール「戦争」で解決しようとしたら、世界の何処かで今日私が見た映画「硫黄島からの手紙」が再現されることでしょう。

太平洋戦争で、日本本土爆撃の拠点となったサイパンや硫黄島では「玉砕」という悲劇以外の何物でもない、理不尽な殺戮と自決という名の自殺が頻繁に起こりました。
映画の内容の多くを、今日はここでは書きません。関心のある方は映画館か後日DVDで観賞してください。

実のところ北と日本の関係以前に、アメリカとイラクでは「硫黄島の手紙」状態が毎日繰り返されています。毎日のように殺害される米兵。そして「報復」のようにイラク市民が米兵によって殺害された事件が昨日から軍事裁判の審議に入りました。

戦争を反対することは、誰にでも出来ます。しかし「防衛」の為なら、武力を行使できる。さらに「国際貢献」の為、国連軍に自衛隊を派遣し第三国で戦闘が起きた場合に、自衛隊が集団的自衛権を行使できる憲法の「改正」と防衛庁の省格上げがまもなく行われます。

硫黄島では渡辺謙さん演じる将校以外に、無数の一兵卒が、戦闘により腸(はらわた)が千切れ飛び、手足が吹き飛び、脳みそをぶちまける死に方をしました。

憲法を「改正」する政治家は、間違っても前線で死ぬことはありえません。命を落とすとしたら、終戦後の戦勝国による軍事裁判で弁護士を付けてもらい、裁判を経て「後日」それ(軍事裁判)が不当だったとか後世に言ってもらえる死に方です。

「靖国で会おう」

それが「合言葉」のように私の耳に焼きつきました。後世に日本を救った英雄として称えられると信じて戦場に死に、自決して死んでいった兵士たち。

日本はカネばかり出して、人を出さないと世界から批判されても、それを耐える「本当の勇気」が今の世の中、現在、私たちは試されているのです。