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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

二日市保養所の記憶

2019-05-26 13:34:53 | 歴史
2018/1/27(土) 午前 10:24ヤフーブログ投稿記事より


福岡県筑紫郡二日市町(現筑紫野市)

二日市保養所(当時)
現在、済生会二日市病院がある。


「竹林はるか」で語られている終戦後の満洲、朝鮮など外地からの引き揚げ女性たちが受けた暴力や性犯罪被害の記憶は、戦後70余年の今に至るまで、殆んどが沈黙の悲しみの中に沈められ、当事者が声を出して語られませんでしたし、その方々の大半は既に亡くなっておられると思います。


主に博多港や佐世保港に到着した引揚女性たちは当初、性犯罪に遭ったことを自己申告するか、一目で明らかな妊娠に対して検査をしていたそうですが、それでは全てを把握できないということで、14歳以上の女性は全員、港に設けられた婦人科検査室で検査を受けたそうです。被害に遭った方々が大勢いたことが想像できます。


暴力や性犯罪被害を受けた引揚女性たちは、身籠っていても当時は優生保護法(1948年7月13日)施行前であり、普通の産婦人科では堕胎手術を受けることは出来なかったため、厚生博多引揚擁護局保養所と在外同胞援護会救療部(外務省の外郭団体)は、新聞に広告を出したり、ビラを配って、「外地引揚のご婦人方に告ぐ」と保護的措置を受けるよう呼びかました。


二日市保養所の医務主任だった橋爪将の報告書によると、施設の開設から2カ月間で、レイプ被害者の加害男性の国籍内訳は、朝鮮28人、ソ連8人、中国6人、米国3人、台湾・フィリピンが各1人、1946年3月から1947年の施設閉鎖までに500件の堕胎手術を行った、とあります。


二日市保養所以外に、九州帝国大学医学部、国立福岡療養所、九州高等医学専門学校において「特殊婦人患者」の治療に当たったとあり、また、同書によると、佐世保港に上陸した満鮮引揚特殊婦人入院患者に対しては、陸軍病院中原療養所が手術・治療にあたったそうで、レイプによって身籠り、堕胎手術を受けなければならなかった被害者の数は1000から2000人、あるいは更に大きい数の被害であったのかも知れませんが、(正確な数の資料が残っているのかどうか)またレイプされた人が全て身籠るとは限らず、身籠っても自然流産のケースもあるため、暴力や性被害に遭った引揚女性の実数は数万人規模と思われます。



引揚女性達について、京城(現ソウル)から釜山までの旅程で引揚者の医療にあたった移動医療局(英名:MRU メディカル・リリーフ・ユニオン)の調査(1946年3月時点)によると、調査対象855人中レイプ被害者70人、性病罹患者19人と、約1割の女性たちが性犯罪に遭っていたそうですが、ソウルよりもっと遠い外地からの引揚者であれば、その移動距離に比例して高い値になることは間違いないでしょう。


これは敗戦国日本が受けた大きな犠牲の1つです。ソ連による日本兵のシベリアでの強制労働、戦後の日本国内で起きた在留韓国朝鮮人による横暴や不当な駅前の占領など今でも続いていることといえます。敗戦国ドイツが東欧引揚のときに受けた凄まじい迫害など、敗戦とはどういうものか物語っていると思います。


コメント
kamakuraboyさん、この話は敗戦の結果の一端を示したものですね。

初めて知りました。
まだまだ知らないことだらけです。
2018/1/27(土) 午後 9:07 泉城


> 石田泉城さん
コメントをありがとうございます。戦争とはどういうものなのかを、戦争を知らない世代の我々も歴史からな学ばなければならないと思っております。
kamakuraboyより
2018/1/27(土) 午後 10:54 kamakuraboy



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