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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

「世界四大文明」という言葉は歴史用語ではなく中国人が広めた「政治用語」だった

2020-08-07 11:29:57 | 国内の反日勢力という存在
嘗て日本の社会の教科書で教えられていた「世界四大文明説」という言葉は世界で用いられている「歴史用語」ではなく、「中国5千年」というキャッチコピー同様の、清朝末期の中国人で梁啓超(りょうけいちょう1873~1929年)という中国人が日本に来て広めた「政治用語」だったという話題です。


梁啓超が、「二十世紀太平洋歌」(1900年1月30日)という詩の中に書いて、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジア(メソポタミア)である」と述べたものが、戦後日本で左翼日教組傘下の教員らによって中学の歴史教科書、高校の世界史教科書などで採用されていた「中国礼賛」の虚構の世界観だったというのが真相です。


流石にこの「四大文明」なる言葉は現在の教科書から殆ど消えたようですが、今でもその名残があちこちに残っています。


世界標準では日本は人類最古の古代文明の一翼を担っていた地域と評価されています。日本には世界最古級の学術的に検証された遺跡が数多くあるからです。


■旧石器時代
ご存じのように、日本には旧石器時代の遺跡が全国に数多くあります。


一方中国には新石器時代の遺跡は多数あるものの旧石器時代の遺跡は殆どありません。


メソポタミアのシュメールの先史の「ナトゥーフ文化」(注)ですら中石器時代、亜旧石器時代(終末期旧石器時代)のものとされ、世界最古とされる「イェリコ」のような 大規模な都市遺跡ではないものの、日本各地には数千箇所にも上る「旧石器時代」の遺跡が残っている。これは実は世界で類をみないほどといってよいようです。


日本の旧石器時代の始まりは人類が日本列島へ移住してきた時(年代不詳)に始まり、終わりは1万6000年前とされており、無土器時代、先土器時代、岩宿時代などとも呼ばれています。


旧石器時代の終期については青森県外ヶ浜町大平山元遺跡出土の土器に付着した炭化物のAMS法放射性炭素年代測定暦年較正年代法では1万6500年前と出たことによって、確定されています。


日本列島での人類の足跡も12万年前(島根県出雲市多伎町砂原 砂原遺跡)に遡るようです。この時代に属する遺跡は、列島全体で数千ヵ所と推定。


地質学的には氷河時代と言われる第四紀の更新世(約258万年前から約1万年前までの期間 の終末から完新世初頭まで。


遺跡や遺物の年代を決定するには、旧石器の形態や石器組成などによる考古学的検討と地形・地質学的な検討によることが多く、日本列島は火山が多く、噴出時期が判明する広域火山灰が豊富で、それを利用した火山灰層序編年(テフロクロノロジー)が確立している。


■遺跡の年代決定
①段丘地形の研究から段丘形成年代を究明すること、
②遺跡周辺に堆積している地層中に噴出年代が分かる既知の火山灰を見つけること、
③遺跡の層中の2枚の分厚い火山灰を試料にフィッション・トラック法(FT法)を用いて年代を直接測定すること
などが用いられているそうです。


例えば「日本最古」の石器がみつかっている出雲市の砂原遺跡(すなばらいせき)は、出雲市多伎町砂原に立地する中期旧石器時代の遺跡で、第Ⅱ文化層中に包含される火山灰層(三瓶木次火山灰)の年代から11万年前と特定されている。


日本の全国津々浦々に残る旧石器時代の遺跡

砂原遺跡



「旧石器時代の遺跡」がこれまで殆どみつかっていなかった中国
それに対して、これまで中国にはどういうわけか、旧石器時代の遺跡が殆ど見つかっていなかった。これはちょっと驚きですが事実です。


「黄河文明」という「世界四大文明」があったとされる中国ですが、どういうわけだか、新石器時代の遺跡は中国国内に多くあるものの、旧石器時代の遺跡はこれまで殆ど発掘調査されてこなかった。


旧石器時代の遺跡については、2014年に「広東省で旧石器時代の遺跡初の発見」と大騒ぎしていたほどなのです。


■これまで「中国で唯一の旧石器時代遺跡」とされた遺跡(2014年現在)
2014年に新華社が「広東省雲浮市郁南県と羅定市で、考古学者により複数の旧石器時代の遺跡が発見され、唐ぐわや手斧を含む200点余りの石製品が収集された。
そのうち最も古いものは、旧石器時代初期のものと判断された」と発表。


新華社は「これは広東省で発見された最も古い文明の遺跡であり、周口店の北京原人と同じ時期となった。これにより、広東省の人類が活動を開始した時期が、数十万年早まったことになる」と報じています。


■その後の中国による驚きの発表~「上陳遺跡」って・・・
その後、「中国陝西省上陳(シャンチェン)村の遺跡で発見された100個ほどの石器が年代測定の結果、212万~126万年前頃と推定された」と2018年7月11日付けの科学誌「ネイチャー」に発表され、同じ時期の「ナショナルジオグラフィック」でも報じられています。


「ナショナルジオグラフィック」は科学的なデータをつける必要のない大衆誌ですが、「ネイチャー」は科学者による「査読」がされる英国の科学雑誌です。


この「212万年」という数字が「捏造」でなく、科学的に正しい数字であるならば、インド、インドネシア、中国北部、シリア、イラクなどで、いずれも当時の沿岸部から20km以内の地域 でみつかっている「ホモ・エレクトス(嘗てはピテカントロプス・エレクトスと呼ばれていた)に分類されない他のヒト族がアジアにいた可能性がある、ということらしいのです(注)。


にわかに「北京原人」という今では死語となった言葉が思い出されます。


引用元:

「ナショナルジオグラフィック」での発表





■「四大文明」という政治用語
そもそも、嘗て日本の教科書で教えられていた「世界四大文明説」という言葉は世界で用いられている「歴史用語」ではなく、清朝末期の中国人で梁啓超(りょうけいちょう1873~1929年)という中国人が日本に来て広めた「政治用語」だったそうです。


梁啓超は康有為(こうゆうい1858~1927)の弟子として上海で「時務報」という旬刊新聞を発刊し、中国の近代化を促す啓蒙活動を行った人物で、1898年戊戌の変法(注)が始まると、指導者の一人として活躍。1898年9月戊戌の政変で弾圧されたため康有為とともに日本に亡命。


1889年の12月23日は横浜で「清議報」を創刊した中で彼が唱えた説が「世界四大文明説」というものだったそうです。当時の清朝末期の中国は欧米列強に植民地として国土を蚕食されており、中国人達を励ましたいと思った。彼は日本で中国には西欧文明に匹敵する「黄河文明」があったと聞かされた。


ハワイの同志に会うために太平洋を横断した際、これを「二十世紀太平洋歌」(1900年1月30日)という詩の中に書いて、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジア(メソポタミア)である」と述べたものが、戦後日本で左翼日教組傘下の教員らによって中学に歴史教科書、高校の世界史教科書などで採用されていた「中国礼賛」の虚構の世界観だったというのが真相。

彼の誌の中の世界観では、世界史の流れを三つの大きな区分を呈示しており、第一は大河の周辺に四大文明が出現した「河流文明時代」、第二が地中海や紅海や黄海などの内海周辺に文明が広がった「内海文明時代」、そして今は大航海時代以降の「大洋文明時代」であるなどとした。


要するに「世界四大文明説」なるものは世界の標準的古代史分類ではなく、馬鹿げた「中国礼賛」の政治的プロパガンダで「中国五千年」というキャッチコピーと類似のものだったのだ。


21世紀では中国の政治家の習近平党総書記兼国家主席が「四大文明の中で中華文明だけが中断なく続いている」と主張。米国のドナルド・トランプ大統領を故宮に自ら案内した際も同様の主張を行って注目されたそうです。



■世界標準の考え方
20年前米国の政治学者サミュエル・P・ハンティントンが1996年に著した国際政治学の著作「文明の衝突」で語っているように、世界の認識では日本の古代は「8の文明」に分けられるほど、古代史的に重要な位置を占めている


それどころか、世界最古の土器である縄文土器は日本でしか出土されていないことで、近年日本の古代は注目に値するとして話題になっている。




火焔型土器(伝新潟県長岡市馬高出土)
縄文時代中期を代表する日本列島各地で作られた土器の1種。
燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器を指す。
装飾的な縄文土器の中でも特に装飾性豊かな土器。



サミュエル・P・ハンティントンが分類した8大文明は「西欧、東正教会、ラテンアメリカ、ヒンドゥー、アフリカ、イスラム、中華、日本文明」で、その中でも日本の「縄文文化」は世界最古であるといっていいものなのです。


しかし、戦後の「自虐史観」の中で、日本に元々あった世界最古の古代の文明、最古の土器をもつ縄文文化、元々日本列島各地に広がっていた陸稲栽培や豊かな文明については殆ど矮小化されてしまい、正しい歴史が、曲げられ、日本の文明は稲作も文字もすべて中国や韓国から伝播した文化の下流であったかのような政治的プロパガンダに乗せられた教育が行われ、いまだにその風潮があちらこちらに残っているというのが現状です。

参考:





(注)シュメール文明の前史は中石器時代(亜旧石器時代)の「ナトゥーフ文化」。
「ナトゥーフ文化」(英語:Natufian culture)
紀元前12500年から紀元前9500年にかけてレバントに存在した亜旧石器文化。 人類史において農耕が始まる前であるにも関わらず、定住あるいは定住に近い生活が行われていた点が特徴とされる。 世界最古の都市とされるイェリコは、この時期に建設されたもので、いくつかの考古学的証拠は、穀物、特にライ麦の計画的な栽培が、ナトゥーフ文化期後半にテル・アブ・フレイラにおいて行われていたことを示しており、これは人類史における最初の農耕の証拠とされる。 ただし、野生の穀物の方がより広く利用され、また、ガゼルが狩猟されていた。 


(注)亜旧石器時代
終末期旧石器時代(Epipaleolithic)、中石器時代とも呼ばれ、人類の技術史上、石器時代の新石器時代に先行する発達段階期間にあたる。氷河の影響が限られていた地域で、中石器時代に代わる用語として好まれている。その期間は、更新世終期(約10,000年前)に始まり、農業の開始(世界の地域により時期が異なるが約8,000年前)までで終わる。


(注)戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
中国清朝末期の1898年(=戊戌の年、光緒24年)に実行された、一連の政治改革の総称。明治維新と同様の立憲君主制による近代化革命(維新、上からの改革)を目指す変法自強運動の集大成にあたる。運動を担っていた康有為・梁啓超ら変法派の革命家たちと、彼らを受け容れた光緒帝によって、同年6月11日から改革が実行された。しかしながら、改革を嫌う西太后・袁世凱ら朝廷内の保守派が、同年9月21日にクーデター(戊戌の政変)を起こしたため、改革は強制的に中止された。実行された日数(103日間)の短さから「百日維新」とも呼ばれる。 


(注)「ホモ・エレクトス」以外の「ヒト族」とは?
「中国の上陳遺跡の『212万年前』の化石発表」を受けて、スペインの人類進化国立研究センター(CENIEH)所長で、アジアのヒト族化石の世界的権威であるマリア・マルティノン=トレス氏は、これまでホモ・エレクトスに分類されてきた中国のヒト族化石の一部についても再考するべきだと指摘。「ホモ・エレクトスという言葉は包括的に用いられる傾向があり、アジアで発見されたヒト族の化石がすべてホモ・エレクトスに分類できるわけではないことを認めなければなりません、アジアの最初のヒト族をめぐる問題はまだ解決していないと思います」と述べている。

陳遺跡の石器を製作したヒト族の正体が何であろうと、その脳は現生人類の3分の1程度しかなかったはずで、脳の大きさが全てではないが、専門家は、これほど初期の、小さな脳しかもたないヒト族が、200万年も前にアフリカから中国まで広まったことに驚いている。」とある。

謎のヒト族の正体は、今後の研究によって明らかになるだろう。デネル氏は、210万年前のものよりもさらに古い堆積物を調べてみたいと言う。

上陳村では、この時代の堆積物は農場の下にあり、発掘できなかったからだそうで、アジアのどこかで、今後、さらに驚異的な発見があることは確実だ、と期待されている。

「科学界は長年、人類の進化に関してアフリカの役割ばかりに注目し、アジアは二の次になっていました」とマルティノン=トレス氏は言う。「アジアでの発掘調査が進むにつれ、より多くのサプライズがあるでしょう」という反応。



脳が3分の1以下の「ヒト族」(?)もどきの「石器」って、文明なんでしょうかね。少なくとも、「土器」くらいの文明の利器を出してこそだと思うのですが・・・


引用元:








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6 コメント

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どこまで信用できるか (泉城)
2020-08-07 22:16:49
こんばんは
黄河文明は眉唾物という話は聞いていましたが「世界4大文明」が「政治用語」だったというのは、まさに黄河文明の嘘に繋がるものですね。
小・中の社会の授業?で教えられていたので、まんまと洗脳の罠にはまっていました。
古代史を研究していると「中国5千年」の歴史は真っ赤な嘘だとわかりますが、「世界4大文明」もそれと同様のキャッチコピーですか。
中華思想のChinaがやりそうなことです。

現代人の脳のサイズは約1,400ccで、ゴリラが500cc、チンパンジー400ccですから、脳が1/3のヒト族は、類人猿の部類ですね。
ボッソウの野生チンパンジーは実を割過程で割れた石を利用するそうですので、それと同程度のヒト族をセンセーショナルに言いたいだけのように思われます。
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>どこまで信用できるか (kamakuraboy)
2020-08-08 05:38:44
コメントをありがとうございます。日本でも、旧石器時代前期・中期の石器調査に当たったチームに捏造をする人物がいて、それらの調査の価値が損なわれてしまうという事件が過去にありました。考古学の発掘調査は関わる人々全員の良心に掛かっているといってよいものです。

中国の調査研究に外国の科学者が関与している場合でも、どの部分に関わったかによって、本人の意に反して、結果的に中国の捏造に与することも起こり得ます。

中国は多くの分野で「知財泥棒」を平気でやってきましたし、日本は特に米国以上に一番やられてきましたから、中国のやることなすこと信用できないという気が正直します。

勿論中国の科学者や考古学者などの個人レベルでは良心的かつ正直な人物も中にはいるでしょうが、中国は「歴史」も「科学」も「統計」も共産党の支配の範囲内で、国際機関であるWTOやユネスコなどに中国に与する人物が多数いることからわかるように、英米の科学誌「ネイチャー」や「サイエンス」の内部に、査読者を選ぶ際に「中立でない人物」を選ぶことも当然あり得ると思います。そういう「中立でない査読者」を選べば、論文は中国の意のままに審査を通過してしまうので、これらの科学誌に掲載されたことを持って「捏造のないまっとうな科学論文」とはいいきれません。中国オリジナルでの科学の分野でのノーベル賞はいまだに0ですから。
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お早うございます (井頭山人)
2020-08-09 10:14:47
「何でも俺様が一番」と云うのが中華思想と云う倒錯した劣等感の帰結ですので、チャイナ人の言う事も・報告も、信用すると痛い目に合うという教訓を思い出すべきでしょう。白髪三千丈の世界ですからね。大袈裟な虚構は日常の挨拶のような物なのです。もっと事実に基づいた客観性が尊重されねばならないと思うのは、共通する日本人の見方です。チャイナやコリアで自然科学が発展しない根本原因は、その辺に在るのでしょう。
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こんにちは (kamakuraboy)
2020-08-09 13:02:03
コメントをありがとうございます。欧米列強の草刈り場になっていた清朝末期の中国人が誇大妄想的に自国の歴史を語りたがった。それはつまり劣等感の裏返しなのかもしれません。

長江流域一帯が洪水に見舞われているのに、その中でもどこか飄々としていて、でも悲し気です。

世界は憎悪に満ちて決して分かり合えないようです。
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こんにちは (井頭山人(魯鈍斎))
2020-08-10 11:51:30
古いから偉いとは到底言えないのですが、日本列島は海に面して生活し易かったのだと思います。初期の縄文以前の人々はどうして移動してきたのでしょう。アフリカが発生地と謂われていますが、それは本当だろうか?多元的な発生は考えられないか?、移動とすれば海伝いなのでしょうか?色々な想像が起きます。青森の遺跡土器は前16500年ですか。確か宮城か福島の境辺りにある古川遺跡の土器は前16800年という製作年代だったと思います。
何れにしても前16000年辺りには石器から土器へと技術が進歩したらしい事は分かります。火を使うようになって人間は根本的な生活技術の進展を見ました。この日本列島には驚くほどの過去から、今の日本人につながるご先祖が住んで居た。文字記録が無い時代が永く続く(生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の初めに冥く、死んで、死んで、死んで、死の終りに冥し)、その様な気の遠くなる歳月が横たわっている。人が住んで居れば必ずコトバが生まれる。日本語の変遷は未知の領域ですが、原始日本語が在ったと仮定して、縄文土器はその日本語の範囲に散らばり存在しているのは不思議な事です。
成程、そう言う類推からすれば、日本列島と云う存在は、大海原に浮かぶ「宇宙船日本」なのかも知れません。大陸世界の文明から見て日本文明は本当に特徴ある異質な文明であることを日本人自身が知らない。我々はこの異質な文明、深く自然と一体の文明を、後々までも永く維持する事に努めることが必要です。
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こんばんは (kamakuraboy)
2020-08-10 21:39:27
以前ブログ内でも書いた内容ですが、「G7国家で世界有数の先進国日本において平成時代の幕開けとなった1990年(平成2年)11月行われた今上天皇(現在では上皇様)の『即位の礼』に伴う『大嘗祭』の儀式を世界の歴史学者が注目したことから、日本人の起源について世界の研究者が注目するようになった。

欧米の研究者によれば『大嘗祭』は古代呪術社会特有の『聖婚儀礼』の流れを汲むものという見解で『聖婚儀礼』は6000年前のシュメールに始まるものであり、王統の一貫性において世界最古の天皇家の『大嘗祭』が『聖婚儀礼』であるならば、『天皇家』はシュメール人の流れを汲んでいるのではないか」という仮説が立てられている。

シュメール人は遥かな古代、どこからともなくこの世に姿を現し、何の手本もなしに独力で人類初の文明を築きあげ、今から4000年前に突然その姿を消してしまったとされて、これは「シュメール問題」と呼ばれ、謎とされてきた。

シュメール文字と日本語とは共通点がいろいとろ指摘されているそうです。この仮説を最初に唱えたのは1690年(元禄3年)長崎の出島に医師としてやってきたドイツ系オランダ人の歴史学者(博物学者)であるエンゲルベルト・ケンペルという人物だったそうです。

彼は「言語とその特性が民族の起原を知る手がかりとなる」という考えの下、日本語の構造に注目して、「日本語は隣接する諸国の言語との(構造的な)関連性が見いだせない」ということに注目して「日本人シュメール起源説」を唱えたのが最初だった。

オランダ人ケンぺルの著作である「廻国奇観」から戦前の日本で原田敬吾氏による「日本とバビロン(上)」「日本とバビロン(中の一)容貌の類似」「日本とバビロン(中の二)神話的伝説の類似」などの論文が「バビロン学会機関紙」などで発表されていたが、戦後GHQによって禁書とされ、長い間日の目をみなかったが、今再び注目されている「仮説」である。

このほか、古代ユダヤの失われた10氏族のひとつが日本人の祖先だったという「日ュ同祖論」などもあり、イスラエルの大使などもこの説を信じておられるようです。イスラエル大使が四国の剣山にも登山されておられる動画がYou Tubeにあります。

「日本人ルーツ」は、我々日本人にとり、興味がつきない話題ですね。
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