美と知

 美術・教育・成長するということを考える
( by HIGASHIURA Tetsuya )

教師の教育責任とは

2006年02月19日 | 学校・教師考
教師の教育責任とは、結果責任を背負うことです。どこまで生徒に責任を持つ学校、教師であれるかが社会にも見られています。
教師として、授業はきちんとやった。勉強するかせんは生徒の問題、あとは知らんという姿勢でも、やるべきことはやったという遂行責任という責任をとることにはなるのでしょう。しかし、いい学校というのは、本当に生徒をのばそうとする、結果責任をとる先生が多くいる学校なのです。

先生にもいろいろなタイプがあります。
1、教科指導、専門性において一流になりたい。自分の研究を本に書きたい・・・
2、常に、生徒とともにいて、指導していきたい・・・
3、管理職となって、学校運営に携わりたい・・・
4、平穏無事に、淡々と仕事ができれば特に何も求めない・・・
どんなタイプであろうと、結果責任をとろうとする教師はいい先生です。
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学校・教師を考える

2006年02月19日 | 学校・教師考
学校のあり方を考えるとき、生徒とともに教師にとってもいい学校(職場)であるようにしていきたい・・・長い目で見たときに、教師にとって無理のかかっている環境は生徒にとっても良い影響をもたらさない。生徒がのびのびと成長を遂げるには、身近な大人である教師も生き生きと活動しているという姿が絶対に必要であろう。
ただし、こういう言い方をすると誤解が生まれる。教師は組織の一員であるという意識が低く、一人一人が専門職であることが、学校としてのチームプレイを効率悪くしている面がある。教師が自分のことだけを考えて物事を判断しては、その個人にとってはよくても学校という組織にとってはよくならない。
個々の教師のやりがいと、学校というチームとしての協力というバランス関係をしっかり考える必要があるのだが、このバランスのとり方が意外と難しい・・・

生徒・保護者と直接対面する一人一人の先生の個性と力量が学校のイメージを作り上げるということも事実だが、学校は目的を持った組織であり、その学校の目的を教師集団が共通して自覚した上で自分の個性を生かしていくという姿勢を忘れないようにしたい。

特に私学の場合に大切なのは、建学の精神の深い理解です。創立者のどうしてもこんな学校を創りたかったんだという当時の深い思いを、今の時代に、それを引き継ぐ私たちの心の中に、時代に合った形で、常に灯し続けるということが無くなれば、学校の値打ちが無くなります。根底に建学の精神を持った上で、日日の活動を考えることが求められます。
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クラス通信2006年2月21日

2006年02月19日 | クラス通信Ⅰ(C組高2~高3)


◆2006年度高等部入試が終わりました。
2月13日A方式入試合格発表。2月16日B方式入試合否郵送通知。で入試は終わりました。入試期間中の休みがありましたが、みんなどんな過ごし方をして、どんなことを考えたのでしょうか。

◆君たちは入試の日のことを覚えていますか。
毎年、入試の時期になると私は感動がこみ上げてきます。入試に向けて様々なことを我慢して、必死に勉強してきた中学3年生。合格発表の時、そのがんばってきた沢山の思いがそこに集約されます。
発表を見て、合格を確認できて喜びの涙する者がいます。自分の番号が確認できずがっくりと肩を落とす者がいます。現実を受け止めなければならない瞬間です。合格者も不合格者も結果をしっかりと受け止めて次の自分の人生を歩みだす出発点にしてほしいと願います。
その現実の姿の中に一人一人の受験生のドラマが見えてきます。
合格発表の日には、そこに凝縮した15歳の涙が流れます。そしてその家族の涙も流れます。私自身その彼らの姿を忘れずにいる教師でありたいと気持ちが引き締まる瞬間です。
2Cの諸君にも、合格した時の感動をぜひ思い出してもらいたいです。君たちは中学入試、高校入試にチャレンジしてきた諸君です。そして2Cの全員が、合格という大きな感動を経験した人たちなのです。自分が経験してきたドラマをぜひ思い出してください。
毎日の生活の中で常に新たな感動を生み出すということは難しいことですが、感動した経験を思い起こし、感動の気持ちを新たに持つということはできます。
気持ちを新たに持つということも含めて、人はその感動の数だけ成長すると私は信じています。
毎日の学校生活の中にも自分が経験してきたさまざまな感動を思い起こす場面がきっといくつもあります。それに気づき、そのことを大切にできる感性をもつことができるか、それとも全く鈍感になってしまい何にも感じなくなった、気づかなくなった自分がいるのか。両者の人生はきっとずいぶん違ったものになるでしょう。

素直な気持ちで、自分の心に問いかけよう。
忘れかけていた大事なものを失わないように・・・
コメント (1)
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