北川純のアートなお仕事

現在進行形作品の紹介から旧作品の制作裏話まで小出しにお話します。

『風船Tシャツアドバルーン』

2015年10月06日 | Tシャツアート
渋谷のTシャツショップイベントで制作した。
大きい風船TシャツのTシャツ胸部にイベントロゴをプリントして渋谷駅周辺を練り歩くというものである。

‘移動アドバルーン’といったところか・・・。

意外と思う人も多いようだが基本サイズの風船Tシャツは浮かない。
風船の浮力よりはるかにTシャツのほうが重いのだ。

今回は風船を大きくして浮力を高め、Tシャツを極力軽い素材で作った。

そして浮かせてみたらびっくり!
胸よりお尻のほうが大きいため尻のほうが浮力が高くなり逆さになってしまうのだ。
苦肉の策として頭部に黄色風船を取り付けて何とか上体を保った。

なるほど尻軽女とはこのことだったのか・・。

『風船Tシャツ in 学士館』

2015年10月05日 | Tシャツアート
これは神田神保町にある学士館という由緒正しき建造物でのクリスマスパーティー装飾の図である。

中央図の廊下に浮いてる風船について思い出したことがある。
当時のお客さんは一人が持って帰ったらみんな持って帰ろうとするので慌てたものだった。
一応これも館内装飾なんだから・・・。

由緒正しきところでも図々しい人はあっぱれである。

『風船Tシャツ in Bank Art」

2015年08月30日 | Tシャツアート
横浜のBank Artでの展示の様子である。
現在Bank Artは海の倉庫のほうへ移ってしまい、ここは財団関係が管理していると聞く。

建築は横浜らしい洋風の歴史的建造物で内装もなかなか素敵である。
映画やCMのロケなんかにも使われたりするらしい。

「食とアート」というテーマだったので風船Tシャツを円筒状に積み上げ内部で『風船バー』を開店した。
風船バーの風船とドリンクをドッキングさせた奇想天外な飲み物だ。

次回に詳細を語りたい。


『風船Tシャツ in ミドル』

2015年08月29日 | Tシャツアート
これは渋谷センター街にあったTシャツショップ「ミドル」のショーケースに展示した時の様子である。

普通風船Tシャツを設置する祭、作品同志の間隔に気を使うのであるが今回はそれをやめてショーウィンドウ全体にギュウギュウに詰め込んでみた。
「おもちゃ箱をひっくり返した」という定番の表現が良く似合うにぎやかな空間となったかと思う。

画像下にインディーズというフレーズがあるがこれはインディーズTシャツというフレーズが印刷されている。当時流行ったのである。
その勢いに乗ってこの店も人の出入りが激しかったものだ。

インディーズTシャツという言葉が聞かれなくなって久しいが、当然この店も今は無い。

Tシャツ屋苦難の時代である。

『Tシャツスクリーン in 葉山』

2015年08月28日 | Tシャツアート
葉山の一色海岸だったであろうか。
海の家の最終日イベントであった。
Tシャツで何かやってほしいということでこれを考えてみた。

ヨットのマストを2本の柱としてTシャツのスクリーンを作った。

映像は地元の写真家がこの夏の海岸で出会った人の顔がアップで映し出されては消えていくという作品。

うまくいくかな?とちょっと心配であったが想像以上に面白いものになった。

海を背景とした闇夜にくっきりと浮かび上がる人の顔たち。
何か切れ目があるなと思ってよく見ると何とTシャツではないか。
さすが海らしい演出だ。
ここちいいそよ風が吹いてきた。
自然とTシャツがはためき、映像がその分だけ闇夜に溶け込んでいく。

そこで観た人の気持ちになって書いてみた。

それにしてもこの画像の顔・・・もうちょっとかわいい娘の写真は無かったのかね・・

ブログを読んでいる人の気持ちになって書いてみた。

『風船Tシャツ in 都庁』

2015年08月27日 | Tシャツアート
東京都が運営するギャラリーに展示していたときそこの関係者から電話がかかってきた。

「石原都知事(当時)があなたの作品を買いたいと言っているが値段はいくらか?」ということだった。

「えっ!石原都知事!?私の作品を買いたいと言ってもらえるのはうれしいのですが、風船なので近いうちにしぼんでしまいます。ですから作品としては販売していませんが・・・」

「それでもいいと言っている。」

「それでいいのなら売ります。」

ということで早速都庁の都知事室に設置することになった。
この画像がそのときの様子である。

そして1ヵ月後に連絡があった。 「風船がしぼんでしまったので取り替えてほしい」・・・と。

えっ?そうと言ってあったのに・・・。(人の話聞いてないな~)
経費が出るのであればまだしもそういうわけでもないらしい。(けちだな~)
毎月、取替え工事をすることになるのだろうか? 無償で・・・ それはたまらない。
皆さんもご存知のように強引そうな人なので早くしないと怒られそうだ。

慌てて風船業者を駆け回り、なんとか長く持つ風船を探した。
そうして見つけたのが現在でも愛用している風船である。

この風船は何年でも形状を保持し、また色数が多く、その上熱を加えることにより多彩な加工が可能という特徴を持つ。
おかげでその後これを使って様々な作品を作ることになる。

こんな素敵な風船を見つけることが出来るなんて、強引な人でよかった。

『風船Tシャツ』 in ビッグステップ

2015年08月18日 | Tシャツアート
これは大阪ミナミ(?)のファッションビル ビッグステップの吹き抜けに展示したものである。
このころはまだ普通の風船を使っていたので展示途中でよくしぼんだものだ。
近くなら修復にいけるのだが大阪ではそうはいかない。
後半は情けない状態になっていたそうだ・・(旅費が無く、撤去も現地スタッフにお願いした)

現在は長期保存可能な風船を使っているのでこういう心配はほとんど無い。
まあビーチボールに近い素材であろうか。
 
コレを使うようになったいきさつを次回お話しよう。

『風船Tシャツ』 in ラスカ

2015年08月17日 | Tシャツアート
平塚市の駅ビルラスカの吹き抜けで展示したときの様子である。

ゴールデンウィーク期間に全館上げての“Tシャツイベント”のシンボル的存在であった。

こちらは広告代理店からの仕事でこういう形で作品を作るのは初めてだったと記憶している。

商業施設での展示にはありがちなのであるが開店中は作業が出来ない。
制作の途中経過も見せてはならない。よってお客さんが帰ってから始まり、お客さんが入る前に終わるというタイトなスケジュールになる。

何人かの知人に手伝ってもらったのだが、これは開店数分前ギリギリセーフで完成した。

この後、商業施設やイベントでの展示が増えるがこれらは物事が商業ベースで進んでいるから良い。・・つまりお金が入る。
こうでなくてはいけない。

アートなんぞは趣味の世界と思い、思われているのでケチ臭くてやってられない。・・・やってるけど。

『 Tシャツシンボルタワー 』

2015年08月16日 | Tシャツアート
これは平塚市市民文化祭の時、中央公園の噴水場に文化祭シンボルとして設置された。

これより3年ほど前から、平塚海岸でTシャツを展示したり、カンボジアへ風船Tシャツを持っていったりしていたので
役所関係の人から「何かTシャツで変なことをやってくれるんじゃない?」というかんじで話が来たのだろう(・・たぶん)。

とりあえず、私にとって始めての公的機関からの依頼だったのではないだろうか。

それゆえ私の知らないいろんな人に手伝ってもらったものだ。

一つ記憶に残っていることがある。
噴水場管理者に設置許可がなかなか出なくて、「こりゃ無理かな」と思いながら最終打ち合わせに望んだら、その会議机上にこのタワーの模型が出来ているではないか!なんと管理者を説得するために建築科の学生達が私の知らないところでこれを作ってくれていたのだ。

先方の「私も見てみたい」の一言で、設置許可が下りた。

その後私の仕事においてもどうしても実現させたい作品は模型を制作することにしている。

『環状の舞』

2015年08月12日 | Tシャツアート
これは、神奈川県三浦市油壺海岸の「海の美術館」での展示である。

2000年の「Tシャツアートinカンボジア」というイベントで初めてその後私の代表作の一つとなる“風船Tシャツ”というオブジェを作った。
それはカンボジアの小学生たちと一緒に「風船Tシャツ」を作って教室に飾りましょう!という企画であった。
当時はそれでよかったのであるが、私的にはこの「風船Tシャツ」をもっとアート作品として展示したいと思っていた。

そこで翌年やってみたのがコレである。
今見ると「風船Tシャツ」をキレイに円柱状に配置して、照明もちょっとかっこよくしてみました、というぐらいではあるが・・。

私自身としては納得してこれで「風船Tシャツ」は終わりかなと思っていた。
しかし、その後この形がユーモラスでTシャツという宣伝媒体として利用できると言うことでいろんなところから声がかかった。

もう何度「風船Tシャツ」を作ったことだろう。

貧乏な私にとって彼女らはまさしく体格だけでなく金銭的にも“福の女神”である。