25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

中国と台湾

2018年12月05日 | 社会・経済・政治
中国はなにせ人口が多いから、多くの先進国にしてみれば巨大な市場であり、中国より後進の国は中国からの援助があれば、その市場にもありつくことができるから魅力的だ。そのように行動しているのがフィリピンのドゥテルテ大統領が代表的だろう。

 制海権をもつアメリカに対抗して新たな制海権をもちたい中国。グーグルやアップル、マイクロソフト、インテルなどに席巻されたITの世界市場は、中国14億人に解放されなければ、14億人をバックにして中国がグーグルに替わるものを作ることもできる。すでに作っている。

 中国、イギリスはガソリン車廃止の方向を取り決めている。すると俄然14億人市場は、電気自動車なのか水素自動車なのかを決めていくことになり、世界はそれに倣っていくことだろう。

 こんなことも思ってみる。中国は一党独裁の国だから危うい。あのいくつにも省や自治区で分かれた国を統御がいつまで続くか、どこかで無理が来るのではないか、とぼくはひそかに思っている。経済成長をし、14億人の豊かさが達成されてそれがいつまでも続けば言うことなしだが、国にひずみがでたときに一党独裁の限界があるように思える。それで台湾に参加してもらって、共産党と国民党の二台政党制がよいのではないかと素人なりに考える。台湾の国民党の結成目的は中国に帰り、政権をとることである。仲良く台湾と中国が合併して新たな体制で国を運営することができる。台湾の民進党も加わっていいと思う。
 とにかく政情が不安定にあると、ぼくには都合が悪いし、中国にとってもよくない。

 書いておかなければ納得できないことはこの3年間ほどで書いたと思うので、来年の一年は中国を実験地にして行いたい。中国とも縁が深まる。内蒙古を視察してから4年が経つ。ようやく動けるようになった。道路、砂防堤、牧草地、農地、森林を造るぞ、と思いを馳せている。
砂漠の農地化が可能となれば、サハラ砂漠は日本列島の24倍ある。農地が砂漠化した砂漠だ。取り戻すことができるはずだ。。


M1グランプリを見た

2018年12月04日 | テレビ
名古屋から帰ってきて録画してあったM1グランプをCMを飛ばしながら見た。
 「ジャルジャル」と「和牛」と「霜降り明星」の対決となり、それぞれが面白かった。ぼくは中でも「和牛」は機智に富み、面白く、安定感があったので、「和牛」が一位かなと思ったのだった。「ジャルジャルもその前にやったのも腹を抱える面白さでゲーム性を取り入れていて、決勝でも水準を保ったまま、面白かった。「霜降り明星」は体を動かすだけのもので、ぼくには面白さはなかったが審査員得点が一番高かった。新しい漫才ということなのだろう。確かに意味なく、なにがなんだかわからず、声がでかく、ああ、こんな芸もあるんだと思わせる。その意味では「あり得る芸」の「和牛」は安定しすぎであったのかもしれない。審査員七人の内、三人が「和牛」に、四人が「霜降り明星」に入れていた。

 好かんのは漫才で有名になると漫才芸をやめ、司会者になり、芸をやめてしまう者が多いことだ。上沼恵美子は司会を新しい芸にしているからまだいい。爆笑問題やらダウンタウンの松本やらは芸も見せないのに芸人面している。それはビートたけしも同様である。みっともない。だったら司会業に転向し、それを極めてまいります、と宣言してくれた方がよい。したがって松本人志にM1の審査をする資格はない。
 その点では「阪神巨人」「中川家」などは現役漫才師として芸道を歩んでいる。M1に出る芸人らも必死である。だから当然審査する側も必死でやらなければならないのだ。
 
 若い人たちがどのジャンルの世界においても旧世代を乗り越えるようにして出てくる。楽しみである。

呑気にいる中でのテレビ世界

2018年12月03日 | テレビ
 車に乗る時はこの頃サザンオールスターズの最初のアルバム「熱い胸さわぎ」を聞き、何度かかけて次に「テン ナンバーズカラット」「タイニーバブルズ」「ステレオ太陽族」と聞いてゆく。ステレオ太陽族のころになると桑田佳祐の発声法が変わってきて、最初の頃の喉でうたい、しゃがれた声のしゃがれがなくなってくる。歌の演技力は天性のものなのか、日本人やら外国人やらわからず、1960年代のものやら、1970年、80年代、はたまた2018年かもしれないと思うほどに曲の古さがない。「綺麗」が出たころに息子が産まれた。娘は乳児のころから弟のたんじょうまで、どっぷりとサザンの音楽を聴かされたと思う。
 ぼくはどちらかというと、テンポの早い曲が好きで、チャチャチャやマンボ、レゲエなどのラテンリズム調が好きでハチャメチャに歌える爽快感がある。

 とこんなことを書いていたらフランスの大規模デモ、暴動のニュースが入ってきた。同じ構図が日本にもある。地方は車がないとやっていけない。交通機関はタクシーやバス会社のように既得権益者がいて、シロタクも相乗りもままならず、免許証返上ムードも高齢者を脅かす。
 日本人はおとなしい。株主、輸出業者、土建業者優遇の政策は効果を出しているように見えるが、地方についてはほぼ無策である。地方創生大臣は名前だけだ。何もしないで任期が終わる。そうしているあいだにさらに衰退していく。

 日本の十年後や二十年後はどうなっているか。
 次のニュースはメキシコで足止めされているホンジュラスの収容所が伝染病のため閉鎖され、路上生活を余儀なくされているというものだった。加えて数千人が姿を消し、暴徒化するのではないかとニュースは報じていた。

 世界はてんでばらばらになっているようで、イギリスはEUを離脱難航し、EUのリーダーであるドイツのメルヘル首相は党首を辞任し、EU存続派のフランスのマクロン大統領は金持優遇で不人気である。ロシアはEUとアメリカから経済制裁をされている。中国とアメリカは貿易戦争で見通しがつかない。

 戦後73年が煮詰まってきた感がある。豊かであることは借金ができることだともいわんばかりの日本。保護主義に傾くアメリカ。難民で困惑するヨーロッパ。

 こんなニュースを目にしながらサザンのことを考え、これから名古屋まで孫たちを送り、夜はきっと「千年の愉楽」を三度目再読しているだろう。



政治がすること

2018年12月02日 | 社会・経済・政治
 日本社会は、よい点で言えば、比較的に安全で、落とし物をしても戻ってくる倫理性があり、飢餓はなく、社会保険、年金制度も整っている豊かと言える社会である。アスリートで言えば、若者は記録を塗り替え、技術は進歩している。カルチャーも裾野が拡がり、深化さえしている。
 国民の圧倒的多くが支持しているわけでもない自民党がこの国の進む航路の舵を取ってきた。徴兵制がないのも嬉しいことだ。天皇陛下は人々に寄り添い、できるだけ視線を人々に合わせ、えらそうな様子もなく、慰問の旅を続けている。欲を言えばキリがない。世界的に見ても良い社会といえるのではないかと思う。
 持続的に社会の安定を図っていくのが政治や行政の仕事ということだろう。

 心配することに目を向けてみると、例えば尾鷲市には中心部の旧尾鷲町があり、周囲に天満浦、古里、向井浦、大曽根浦和、行野浦が猫の額ほどの中心部の隅にあり、八鬼山を越えて、九鬼浦、早田浦、三木浦、古江浦、三木里浦、賀田浦、曽根浦、梶賀浦がある。そして海を隔てて須賀利浦がある。この浦村らはすべて限界集落である。
 山の斜面に家が建っているのは津波を避けるのと、平地がそもそもないことによる。
 例えば須賀利は高度経済成長期に養殖漁業で栄えた。子供の教育にも熱心であった。そのためか、漁業でしか生きられない故郷に帰って働く場所はない。十年前に小学生が二人いて、市が配車するタクシーで隣町の学校に通っていた。今はおそらく児童数はゼロに違いない。曽根もゼロである。詳しくは人口統計を見ないとわからないが、九鬼も、早田、三木浦、三木里、古江、梶賀もゼロか一桁だろうと推測する。
 車は必需品である。免許証も必需品になっているが、70代以上で持っている人は少ない。
 しかしこのことが人を不幸にするわけではない。買い物難民となれば必ずどこかから車で食品や必要品などを御用聞きのように定時に来てくれる商売人がでてくる。病院がないといっても尾鷲の総合病院までバス走らせる市のバスサービスもある。

 問題は市として、その浦村の人口が何人になるまでインフラの維持をするのか、ということだ。
 そしてその浦村をどうするのか、という政策をたてておく必要があるのではないか、ということだ。残された土地家屋をどうするか。市道の維持、水道のメンテナンス、電気や電話網などにどう対処するか考えておくほうがよい。須野のように人口が一人になっても維持している熊野市のような方法をとるのか、市として考えておかなければならない。都市計画の一種である。
 毎月20人から30人の人口が減っている尾鷲市。おそらくこのような地方の町は全国にいっぱいあるのだろう。大きく急速に栄えた時代が過ぎたということだ。
 そして地方の町は中心地に浦村や隅にいるご老人を集め、コンパクトに効率よく自治体を維持していく方向に進む施策を考えなければならない。
 
 社会が変革しなければならないときに、自治体や政府に資金がないと有効な手立てが打てない。政府、自治体の過剰な借金が足を引っ張り、なにもできないまま月日が流れていくのではないか。そしてそれは全国規模で起きるのではないか。
 夕張市が破綻したことがあった。そのようなことが同時多発的に、連続的に起こるのではないか、という心配である。ずっと先に支配と披支配や、占領ということも起きかねないことを心配する。こういう考えは体験から演繹されている。



雲田はるこ

2018年12月02日 | テレビ
月刊誌「ユリイカ」が12月号で「雲田はるこ」を特集していた。雲田はるこへのインタビューも対談も読者や評論家の感想もある。
 デビュー2年して描いた「昭和元禄 落語心中」で数々の賞をとったらしいから、それはネットで検索すればわかる。
 漫画家である。
 漫画をめったに読まなくなったぼくはNHKでの実写化された金曜日夜10時からの「昭和元禄 落語心中」で原作者の名前を知ったのである。ドラマをみていて、なぜかこれは原作は漫画だと思ったのだった。なぜなもだろう。セリフまわし、セリフの選択がマンガマンガしていた。短いキレのよいセリフのせいだろう。漫画家の優れたストーリー創作能力を感じたのだろう。
 現在流行している音楽シーンも漫画シーンもぼくはほとんど知らない。落語というものをほとんど知らなかったぼくは落語のイロハや奥行きをこのドラマで知ったのだった。雲田はる子は若い時期に(今も十分若いと思うが)オタクを卒業してニュージーランドにワーキングホリデー制度を使っていく経験をもつ。海外に行ったものが必ずと言っていいほど気がつくことは自分はいかに、自分のくらしている、帰らなければならない母国の文化や歴史を説明できないことだ。「落語心中」も海外滞在体験がなければ生まれなかったろうと思われる。そしてそういう若者からぼくらは教わる。

 ぼくは「昭和元禄 落語心中」を先にドラマで観たものだから、有楽亭八雲は岡田将生のはまり役者だと思ったのだが、漫画ではどうなっているのだろうと興味を持つ。助六の山崎育三郎もよかったし、八雲を死ぬほど好きなみよ吉を演じた大政絢は妖艶ですごかった。助六とみよ吉のあいだに生まれる小夏を成海璃子には役柄が重すぎたのかも、「ひよっこ」で警察官を演じていた流星涼も大熱演だと拍手したいほどに、いろいろな感想をもつ。
 落語をプレイヤーで聴いてみたいものだと思わせる。このドラマも12月には終わるのだろう。
 
 それにしてもサブカルチャーと呼ばれた漫画。漫画家才能は軽く小説家を越えているように思えてならない。文化波及手段としても翻訳が易しい。日本文化の中心を占めてくるような勢いであり、それを支える読者がいる。「ユリイカ」が素早く特集を組んで、おっ、さすがだ、と新聞広告で思っていたら、息子の嫁さんが持ってきてくれた。 

体験

2018年12月01日 | 日記
 実験というのも体験の積み重ねで、頭も中で描いたとおりにはいかないものだと改めて思う。
 ぼくは1週間前、薬局で硫酸第2鉄500gを2瓶買った。たまたま在庫があってラッキーだった。一週間経って再度注文した。づると夕方電話がかかってきて、前に売ったのは古いものでして、新しいのは「硫酸鉄Ⅲ n水和物」というのですが、それでいいのでしょうか、という確認の電話であった。ぼくは、ああ、それでいいんですよ、と即答した。
この一週間で硫酸第2鉄について、ネットでなんども検索し、別名も知っていたから即答できたのである。しらなかったらあわてて、慎重に名称を聞き取り、メモの残して、一度電話を切り、ネットで検索確認し、再度こちらから電話をするという手間が必要だったと思う。
 幾つかの化学薬品を検索じて機能など調べたことが役立ったので、ちょっと嬉しかった。

 溶液をアルカリ性にしてしまうと中性脂肪、やや酸性にするのが難しく、下手にすると大変なことになるからね、薬局の先生に助言され、だったらまた初めからやってみようと思ったのだった。
 また作りなおすには前の体験が役に立つ。今度は段取りをちゃんとしておき、溶解もきちんとみと見届ける。計量も0.01までの厳しさでやるつもりだ。
 
 混和剤で保水性ソフトコンクリートを作って、その上に砂と乾燥苔と混和剤で多孔質な人工土を作る。6つのパターンを作り、毎日水やりをした培養土で育つものがこの保水層と人工土で水をやらずに育てばほぼ同じ環境がつくれるのではないか、と仮定するのである。

 しこしことやっていると楽しく、ワクワクもする。なぜうまくいかないか考えもする。

 さて、今日は東京から孫と息子の嫁さんがくる。明日、白浜のワンダーランドへいくのだそう だ。パンダの赤ちゃんがいるのだとか。へえ、それで和歌山の白浜までかあ。
 殼つき牡蛎でも買ってもてなすとするか。