25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

綿屑入手

2018年12月06日 | 日記
 どうにかして「綿屑」が入手できないものか、検索方法を考えて試してみた。以前綿花栽培をしている方に電話したところ、「今は綿屑も取引されていますよ」ということで、中国の大量の綿くずも取引される産業廃棄物になっているのだろうか、と心配した。
 ぼくにとってみれば綿屑は大地に戻した方がよいと思っているので、その電話での綿花農家の回答はショックだった。
 早くしないと綿屑が入手できなくなる。この貴重なものが入手できなければ、ぼくの計画が台無しになる。
 今日は気を取り直して、検索を試みた。すると布団を作っている業者の方のブログにたどり着いた。このゴミを再利用しようという人があらわれる、と書いてある。そして無料で差し上げるので、連絡ください、と書いてある。早速メールをした。するとすぐ返事が来た。10キロもないかもしれないが、取りに来てくれるなら無料で、送る場合は手間代と輸送費で、という返事だった。
綿屑を使った保水性コンクリートの成果がでたら、お知らせします、と感謝の連絡をした。すぐに送料と手間代を振込み、早速返事があり15キロあるという。それをすぐに送ってくれた。
 夕方にたどり着いて、翌朝の午前中には綿屑の入手が済んでいた。フン、とあざ笑うかのような態度の人と無料で提供しますよ、と言ってくれる人。度量が違うなあ、とか、理解力があるんなあ、とか、それに物事の進め方が早いし、きっちりしていると感心しまくったのだった。
 明日には届くので、綿屑で実験をやりたい。春になれば、鉢やもっと大きいもので、保水力をもち、地球のあらゆるミネラルをもつ混和剤を少々のセメントで綿屑を接着させる。また混和剤と綿屑と砂(シルト状の砂)を混ぜて、人口土にする。

 さて、こういったものに市場性があるかという問題がある。もしかしたら、すでのより簡便で、より安く緑地化できる方法がすでにあるのかもしれない。そう思っていたら、日本内蒙古経済文化協会の会長からメールがあり、今日から砂漠の都市フフホトに行くのだという。市場調査をお願いした。緑地化をどんな方法でやっているのか。ぼくが知り得るだけの範囲でやっているのか、新しい優れた方法が出て来たのか。自治政府は内蒙古の砂漠に道を通し、砂防提を作り、農地、牧草地、森林など、全部緑化してしまう壮大な意志をもっているか。その辺を知りたい。三国志時代の魏のふぃうっかツ

 やる気になれば、人は繋がってくる。

 第三回目の素人実験動画
 https://youtu.be/wI5jPHu-oSc
 

あおり運転と言葉

2018年12月06日 | 社会・経済・政治
あおり運転をされ二人の夫婦が高速で止められ、外に出され、後続のトラックにはねられて死んだ。この裁判が連日ニュースで扱われる。
 あおり運転をしていた男は高速のPAの通路に車を止めてタバコを吸っていた。通路に停めるのは非常識でマナー違反である。被害者は「邪魔だ、ボケ!」と言ったらしい。加害者はプッツンした。こいつには勝てるだろうと思ったのだろう。被害者のこの言葉がアダとなった。別の言葉はなかったのか、と悔やまれる。言葉は暴力以上の暴力にもなることは誰もがわかっていることだ。物理的、肉体的暴力はダメだ、と警鐘するが、言葉も暴力になったり、暴力を引き起こしたりすることもあるのだ、とこの裁判はわかりやすく示している。
 言葉においては被害者もいけないことを言った。ボケ!は余分だった。しかしマナー
違反しているのは加害者の方で、追いかけて、あおって、高速道路上の追い越し車線で止めて、外に引きだし、「殺したろか」「海に沈めたろか」と怒鳴り散らし、威嚇するほどのものでもない。ボケはボケなのだから。

 あおり運転がよくニュースになる。そのたびにドライブレコーダーが売れるのだろう。風が吹けば桶屋が儲かるってやつだ。
 一瞬に両親を失った子供らは、死刑にでもしてもらいたいものだろう。

 言葉のやりとり。6人を殺して自殺した男も妻との言葉のやりとりで鬱屈していたようだ。
 関取貴ノ岩が付人の言い訳にプッツンし、手のひらと拳で数発頬を殴った。一番やってはいけない人がやってしまう。
 ぼくもこの前スナックで老人のご注意にプッツンしたばかりだ。ぼくらは言葉によって生きているし、言葉の扱い方が文化でもあるので、加害者にならないようにしたいものだ。
 「時計仕掛けのオレンジ」を思い出す。ベートーベンと暴力を好んだ少年は脳の手術をさせられ、ベートーベンを聞けば吐き気がし、プッツンしない男に戻る。すると過去にやられた少年たちからいじめられ、暴力を、受けるという近未来の話だった。ぼくが映画をみたのは1972年だから、スタンリーキューブリックという映画監督も大変な想像力だった。