25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

若者の凄さ

2018年12月19日 | テレビ
 バドミントン、卓球、フィギュア、驚嘆しながら観ている。同様に、「関ジャム」の番組では音楽やダンスなどのオリンピックとは違う部門での解析がすごくて、解析しながら見せるテクニックをみると、驚嘆どころではない。全く育ちの違う、豊かな時代の若者の凄さを感じる。
 フォーメーションダンスの魅力を「関ジャム」では見事に解説してくれていた。
 身体能力は昔の人間が普通にもっていた能力を取り戻しつつあるようにおもえるし、ある面では技が進化しているように思える。100メートル走、100メートル競泳も、まだ新記録がでるにだ。張本は卓球の選手だが、張本並の陸上選手や水泳選手が今にも出てきそうである。
 親子で頑張る選手が出て来て、失敗と成功のドラマは数多くあるのだろうが、失敗の方が多いことは容易に想像がつく。虐待とスレスレのところ若い選手の子ども時代はあるのだと思う。ぼくは子供をもったときにその道は選ばなかった。要するにのびのびと好きにさせたつもりである。

 強い選手がでてくると、テレビ局も動き出す。今や卓球番組ができ、バドミントンも長時間放送する。テニスの放送のしかたをみていると、局側の困惑がよくわかる。NHKはウィンブルドンにしか焦点をあてていないため、大坂なおみがUSオープンで優勝すると、あわてふためいている感じがある。錦織のテニスはWOWOW が放映権を取っている。ぼくはWOWOWに入っていないから観戦できない。

 アマチュア相撲は相撲選手権は放送する。剣道も日本選手権は放送する。ぼくなどはもっと相撲も剣道も、他の競技も、例えば、乗馬や自転車なども放映してほしいと思うのだが、その世界で天才が現れないと番組にはならない。つまらぬ噂番組やえらそうに批評する芸能人の大衆の代理みたいな顔をした男がえらそうなことばかりを言っている番組の方が優先される。カスみたいな番組がおもしろおかしく続くのはマスコミの大衆への追従であり、ヨイショである。
 まあ、兎も角も、バドミントンが世界のトップクラスに躍り出て、中国の卓球には勝てなかった日本の卓球が勝ち、テニスではウィンブルドン制覇も遠くないのである。これが虐待スレスレの若者たちの達成であり、達成すれば虐待とは違うことになり、褒めそやされ、ヒーローになるのである。若者たちはたくさんの様々な世界で、たとえそれが小さい世界であろうと、深化していくのだろうことは想像できる。
 そういう若者にむきになって対抗しようとするのは至極当然の人間の反応で、この反応を通りすぎる経験をもって、よくある「境地」というも達するのではあるまいか、と思う。