25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

いつまで続く国の借金

2019年07月14日 | 社会・経済・政治
 国の借金は国民の資産だ、もっと借金を増やして経済に活を入れろ、という意見がある。国の借金は国民の資産だということをわかりやすく言うと国はどこから借金をするかと言えば、国民であり、国民で構成する企業が元にあり、それを銀行が預かり、その銀行の預り金を日銀が買い取るという循環なのだから、借金はまた資産として国民・企業に戻ってくるというわけだ。そうなると、なるほどそうか、と思ってしまうのではないか。これは詭弁である。
 国民は国にお金を貸しているのだ。これも詭弁である。
 なぜなら国民は貯金を担保にとられている、とも言えるからだ。

 日本の借金は1100兆円となり、国民の貯蓄は1700兆円。この論理で行けば永久に借金をすれば資産が増え、全く財政は心配なしである。日銀が供給する貨幣は、1990年の国内総生産(GDP)は450兆円だった。しかし年初のマネタリーベース(通貨供給量)は39兆円台に過ぎなかった。2016年にはマネタリーベースは400兆円となり、GDPは500兆円程度である。39兆円で回していたのがいつのまにか、400兆越となった。異次元の金融緩和が原因であり、そのまた原因デフレからの脱却があった。年に2%物価が上がれば、政府の借金は2%減るはずだった。当然国民の貯金は2%減るはずだった。
 1100兆円、さらに膨らむ借金はどうなるのか。督促状を書く人は誰なのか。担保を抜いて欲しいと誰が言えるのか。

 絵を描いたように物事は上手くいかないこともある。
 株価を上げて輸出企業は一息ついた。一息ついたお金を内部留保した。賃上げをする大企業もあったが、多くの中小企業はできない。終身雇用制度も崩れてきた。企業は正社員と非正規社員を使い分けし始めた。
 日銀は政府の国債を買い続けている。お金はどんどん世の中に回っているはずだけれど、使うわれず、日銀眠っている。なのに、貧乏な20代-40代の人たちが40数パーセントいる。
 国の借金が国民のプラス面の資産であればよいが、実は国民は国にお金を貸しているということだったら、返してくれないとえらいことになる。国民は返してくれるだろうと思っている。sるいは担保を抜いてくれるだろうと思っている。だから国も毎年借金の分割返済をしているのだろう。本当は頬被りしたいことだろう。戦後、一度政府は開きなおって貯金封鎖をしたことがある。
 返せないから逆に国民のお金を奪いとるのと同じことをしたのだ。

 いつまで続けられるのか。自国貨幣をもつ国はいくら貨幣を刷っても大丈夫だなんてことはない。スーパーインフレになる。財布に札束が入らなくなる。国は乱れ、治安が悪くなる。
 海外に400兆近くの債権があるのなら売ってしまえばいいではないか。国内に国の資産が高橋洋一が言うようにあるならば売って、予算に充てればいいではないか。
 
 希望がもてる国造りをしなければならない。決して贅沢をせずとも、普通であればよい。
 現在は、お金の供給量は1990年の10倍になっているのに、GDPは10倍にならず、貯金ゼロが増えているにはお金の流れがイビツである。