25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

最終的な課題

2019年07月10日 | 社会・経済・政治
老後を安心して暮らせるというのは人間の最終的課題のひとつであり、極めて重要な課題である。月に20万円の年金があればほぼ言うことはないように思う。老後が不安かどうかは社会の質にかかわってくる。2050年。ぼくの息子は69歳。この時に年金はほぼないに等しいだろう。年金機構は株を買っている。株は上がったり下がったりする。それに額が大きいから株式市場に大きな影響を及ぼす。日銀の投資も同様だ。容易に引けなくなる。
 自民党政権は天下りの法人を作り、公共事業にお金を使い、大企業を優遇してきた。今、戦闘機やイージスアショアまで購入しているのに、年金のお金がないと言っている。年金機構はグリーンピアを作っては失敗した。だれが責任を取ったのかしれないが、この問題の解決方向を見出さない限り、不安な生活が続くことになる。<不安>というのは心身に一番悪い。不安が溜まっていくと病気を起こす。

 その最も不安であるはずの30代や40代からの大きな抗議が出てこない。今度の参議員選挙で現れるのだろうか。
 ぼくらの社会は昔から緩い社会、温和な社会なのだ。だからこそ、精神論も蔓延るのだ。パイロットにパラシュートをつけるべきところ、撃たれたら精神で飛べ、などと平気で太平洋戦争中には言っていたのだ。操縦できる人を生き残らすべきのところを、である。その精神論の最高人者は東条英機だった。
 日本列島人は「戦争反対」を言えなかった。みなおとなしく従い、戦地で多くがマラリアや赤痢や餓死で死んだ。戦後、敵国であったアメリカにも従順だった。そして、
 緩さの本領を発揮した70年だった、
 日本列島人は朝鮮半島に近い福岡離れ、さら東向かい奈良を拠点とし、ついで京都盆地を本拠地とした。ここまで敵は来ないだろう、と考えた違いない。京都に奈良や城郭城郭がなかったことでもその緩さがわかる。ぼくにはこういう歴史を否定するつもりはないので、日本列島人の温和性を否定するつもりはない。かと言って平和ボケしているというつもりもない。
 すでにぼくらは学校教育を受け、世界の実情も日本の実情もわかる時代に生きている。生活の根本のところが不安になってくると、言うべきときには言う、主張する、権力に物申すこともしなけっればならない。とりあえずは選挙も一票しかない。