25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

あいまいな責任 これが日本列島人か

2017年03月30日 | 社会・経済・政治

 小沢一郎にはすぐに検察が動いたのに、小渕優子の場合は証拠隠滅のためパソコンまで壊してしまったのに、おとがめがない。

 森友学園問題でも、昭恵婦人病付きの谷という公務員から、FAXで丁寧に返事をし、それ以後神風がふいたように、すべてが森友学園にとって大満足の結果になっているにもかかわらず、昭恵夫人、谷職員、財務省の責任者は証人喚問されない。安倍首相の強い意向なのだろう。予算委員会は過ぎたから、よほどの証拠でもでてこない限り、自民党は卑怯にも幕引きにするつもりである。マスコミの動きをみていても、独自調査ができない能力順に幕引きを行っている。

 教育勅語を唱える学校などに感動するとは、天皇対臣民の関係を説き、天皇およびこの国が危機のときには命をなげだせ、と書いていることも知らないのだろうか。クリスチャンであるという。天皇とどう整合性があるのだろう。

 日本の伝統はよい伝統ばかりが継がれているわけではない。責任の曖昧さも、脈々と受け繋がられている。関東軍の暴走でも、責任があいまい、福島の原発でもしかりである。

 この無責任さは受け継ぐ美しい伝統なんかではない。一般国民にも蔓延している「無責任さ」には辟易する。

 株主は責任をとらない。いじめで自殺したら、学校や先生d人のせいにする。

 サムライジャパンだのサムライを使いたがる風潮はあるが、武士ならば籠池は遠島であり、昭恵夫人も谷も城中で自刃ものである。肩書きで谷が財務省や国土交通省を回った、そして返事を書いたのは明らかではないか。

 コメンテーターも腰が引けている。どこかに気骨のあるものがいないものか。デモでもあれば馳せ参じたい気分で、収まらない怒りがある。戦後71年で政治家のレベルとはこんなものかと思うのは情けないものだ。

 照ノ富士に千秋楽の一番で、「モンゴルに帰れ」 というヘイトスピーチがあったらしい。嫌な雰囲気の一党独裁の国になっている。戦争はそんなところから忍び寄ってくるものだ。もし、明日、アメリカと韓国が斬首作戦を始めたら--------。