箱根山・延年の会

皆様への箱根延年の紹介と、連絡用(会員専用)として使いますので、よろしくお願いしま~す。

修身2 ~ 何を目指す? ~

2010年09月01日 16時56分11秒 | 箱根延年の会から皆様へ
今日は、箱根の学校でも始業式が行われ、いよいよ二学期が始まりました。
ということで、先日の修身の課外授業のお話の続きです。

おばあちゃんは
「みんな夢を持ちなさい。そしてその夢に向かって努力しなさい」と
 本当に、何度もおっしゃいました。

そこで、今日のテーマは「志をたてよ」=野口英世のお話です。

            第4期(昭和9年~)小学校4年生の教科書
                  (尋常小學修身書より転載)

野口英世は、三歳の時、ろ(炉)にころがり落ちて、ひどいやけどをしました。
母の一生けんめいのかいほうのかいがあって、命だけは助かりましたが、左の
手に大きなきずが残り、指先のきかぬ不自由な体になりました。

五歳・六歳となって、英世は、外に出て近所の子供たちと元気よく遊ぶように
なりましたが、きょうそうでもして英世が勝ったときなどは、負けた子供たちは
くやしまぎれに、英世のかたわの手を笑いました。

小学校に行くようになっても、友達はやはり其の手を笑いました。
英世はそれをざんねんに思い、
「手は不自由でも、一心に勉強して、きっと、今に、りっぱな人になって見せるぞ。」
 とかたく決心しました。

英世はうちがびんぼうでしたから、朝早く起きて、近所の小川や沼に行って
川魚をとって来て売り、其の金でふでやすみなどを買いました。
又、夜、本を読みたくても、あかりをともすことができませんから、冬はろの
たき火をたよりにし、夏は学校の小使室に行って、ランプの光で本を読みました。

英世はこうして、ゆうとうで尋常小学校をそつぎょうしました。
それから、或人の世話で、高等小学校に行くことが出来ましたが、英世は遠い道を
かよって一生けんめいに勉強しましたので、せいせきは一そうよくなりました。
其のうちに、人々の親切で、医者のしゅじゅつを受け、手が余程自由に使えるよう
になりました。

手がよくなるにつけて、英世は医術の人を助ける仕事であることを知り、医者の
学問をして、世のため人のためにつくしたいという志を立てました。

そこで、高等小学をそつぎょうすると、さきにしゅじゅつを受けた医者にたのんで、
其の弟子にしてもらいました。

それからの英世の勉強は一そう烈(はげ)しくなりました。医者の手伝いをする
ひまに、いろいろの医学の本を読み、外国語のけいこまでしました。

其の後、英世は、東京に出て、二十一歳の時、医者のしけんを受けますと、見事に
きゅうだいして、一人前の医者になりました。

それからますます研究を進めるために、アメリカ合衆国に渡り、夜を日についで
おこたらず勉強しました。そうして、医学の上でりっぱな発見をして世界に名高い
学者になりました。

又、いろいろのむずかしい病気を治す方法をくふうして、人々を助けました。

昭和三年、アフリカへ渡って、人の恐れる熱病を研究しているうちに、それが
うつって、五十三歳で、かの地でなくなりました。
人々は、英世をあっぱれ人類の恩人と言って惜しまぬ者はありませんでした。


おばあちゃんは「夢を持て」のお話と共に「いじめに負けるな」と繰り返し
おしゃっていました。

野口英世の夢に向かう不屈の精神。
自分のこととして考えると、とても大変なことではありますが、ぜひ見習いたい
ものですね。

今月のお稽古はお休みです。
10月のお稽古再開まで、みんな学校の勉強がんばってくださいね。